降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★重大な〈重体〉=『平成紀』を読む(38)

2016年10月28日 | 新聞/小説

(10月27日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第38回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』151〜153ページから】
元寇デスクの「先に行きたい」という一言にひっかかってはいた。それだけに会社は何の欲気に駆られているのか、ありありと分かる。
秘書官は、目を見開いた楠に袖を引っ張られて「ご容態は相当に悪い」と驚くべき早口で言った。
「いま重体❷と書いていいですか」
「分かんないよ、そんなもん」
秘書官は夢から醒める❸ような顔で、不機嫌に突っぱねた。
「重体と書いていいか」と、もう一度言いそうになり、言うべき言葉が見つからず「重体かどうか内閣にとっても一番大事なところでしょう。確認すべきです」と咄嗟に❸切り込んだ。
秘書官は、黒っぽい背広の袖を摑んでいる楠の手を振り払って総理執務室に去った。
五分ほどで廊下に姿を現し、官房長官室に入り際、「俺だってトイレに行くよ」と小声で言った。
小声は何人かの記者に聞こえた。直接行くわけにはいかない。しかし、そもそもこの手洗いなのかどうかが分からない。官邸には、いったい何か所の手洗いがあっただろう。
誰もいない。官邸全体が狂っていて誰も手洗いに入らない。
どん、とドアを押して、秘書官が入ってきた。


❶元寇デスクの……ありありと分かる
大スクープは記者を酔わせ、社全体を高揚させる。
共同通信社が1988(昭和63)年9月20日午前2時9分、全国の新聞社・放送局、世界の報道機関に向けて発信した
「天皇陛下が初めて大量吐血、緊急輸血中」
速報に続く続報が欲しい、再び他社を振り切りたい——ということ。

楠記者は官邸にいるので社内の動きは分かりにくいのだろうけど、おそらく社の上層部・編集幹部から、政治部・元寇デスクに
「でかした!」「これぞ通信社だ!」
とあったはず(金一封も)。
ただ問題は本来、皇室は管轄外の「政治部」がスクープを連発しているので、守備範囲の社会部がカッカしている——会社あるある。

❷重体
「校閲ガール・河野悦子」で人気上昇中の、校閲記者が一応チェックする語(たぶん)。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、
▽じゅうたい
(重態)➡︎重体
——新聞記事表記では「重体」に統一しましょう、とあるのでホッ。

❸醒める/咄嗟に
石原さとみさん主演のテレビドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール」(日本テレビ系)で人気上昇中の(⬅︎くどい…)校閲記者が必ずチェックする語。
「記者ハンドブック」は、新聞記事表記では共に平仮名表記にしましょう、としている。
▽さめる
(醒は漢字表に無い音訓)➡︎さます・さめる〔酔い・興味がなくなる〕興ざめ、酔いをさます
▽とっさ
(咄嗟は漢字表に無い字、突差)➡︎とっさ
——まあ、このあたりは校閲経験で分かるし、入稿時で平仮名になる(はず)。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★次のネタを、とデスクは催促した=『平成紀』を読む(37)

2016年10月27日 | 新聞/小説

(10月26日付の続きです)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第37回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』151〜152ページから】
楠は早朝から、元寇デスクの「天皇重体と打っていいのか、容態を確かめてくれ」という催促に悩まされていた❶。
「うちは朝刊で吐血を打ったんだから、夕刊ではもっと先に行きたいんだ。分かってるだろ」
赤錆さんはとっくに官邸の奥に入り、連絡の取りようがない。官邸の廊下を行き来する何人かの総理秘書官の袖を、他の記者の目を気にせず引っ張り、柱の陰で一言だけ聞く以外にない。
執務室を見せてくれた秘書官に狙いを定めた。❸内閣が交代したあとも、ただ一人留任した秘書官であった。異例の留任は、この秘書官が昭和最後の日に備える役割を背負っていることを暗示していた。
楠の目にも口にも耳にも脳味噌にも、報道する意味を考えることは欠片もない。元寇デスクの「先に行きたい」という一言に引っかかってはいた。それだけに会社は何の欲気に駆られているのか、ありありと分かる。


❶楠は早朝から……悩まされていた
〈早朝〉は1988(昭和63)年9月20日のこと。
同日朝刊の段階で、
「天皇陛下が吐血」(共同通信配信)
を掲載できたのは西日本新聞、中日新聞ほか数紙。
意外なのは、楠記者(=青山さん)が元寇デスクからの矢の催促に
「悩まされていた」
という記述。元寇デスクの、内なる野望を感じ取っていたのだろう。

❷「うちは朝刊で……分かってるだろ」
はい、分かります。
他社・他紙を振り抜きたいんですよね。
ドカーンと、世界に向けて超トップ級
「陛下が吐血」
と打電したんだから、次(の情報)が欲しい➡︎先行したい➡︎二の矢、三の矢が欲しい——のは当たり前ですよね。

通信社だけではなく、スクープを報じたときの新聞社でも同じ。
(たいがいネタを小出しにするから、次号データは残してはあるのだが)
整理部デスクは出社するなり、座っている報道デスクの肩を自紙でバンバン叩き、
「いやぁ、やったなぁ、朝刊」
「スタンドもコンビニも、ウチ完売だったぜ」
「……で、次のネタは?あるんだろ?」
「大きくやるから、ちょっと教えてよ」
なのだ。
スクープ一本で、編集をはじめ、制作局、広告局、営業局と社全体が高揚するから面白い。

❸執務室を見せてくれた秘書官に狙いを定めた
楠記者(=青山さん)は当時36歳。
新しいネタを取ろうと、古参秘書官にロックオンしたシーン。
赤錆高官をはじめ、独自の楠コネクションを持っているようだ。
常日頃からの、信頼できる楠記者の人徳なのだろう。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値





★あのスクープは青山さんだった=『平成紀』を読む(36)

2016年10月26日 | 新聞/小説

(10月25日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第36回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』149〜150ページから】
「陛下は吐血。大きな洗面器まるまる一杯」
楠は間髪を容れずに聞いた。「赤十字は、輸血?」
「そう、いま治療の最中」
そして赤錆はさっと、応接間に去った。

(中略)
酸素に飢えて苦しむ魚のような元寇に「時間がこれですからこのままカンジンチョウで原稿を送ります❷」とぶつけた。
勧進帳とはマスメディアの符牒だ。弁慶が義経を救うために、存在しない勧進帳を読みあげる歌舞伎の名場面になぞらえて、書いた原稿のないまま電話で完成品の記事を吹き込むことを言う。
通信社は午前二時九分、全国の新聞社と放送局、世界の報道機関へ向けて「天皇陛下が初めて大量吐血、緊急輸血中」というニュース速報❸を打った。
午前三時、宮内庁の次長が記者会見した。
「天皇陛下が吐血され、緊急輸血を受けられました」。
朝刊に間に合う新聞は、あるはずもなかった。楠の通信社の国内ニュースを取っていない朝日、毎日、読売の全国紙三紙はいずれも二十日夕刊にようやく「天皇吐血」の一面トップ記事を載せた。


❶「陛下は吐血。大きな洗面器まるまる一杯」
小説の時間は、1988(昭和63)年9月20日午前1時53分。
共同通信社の楠記者(=青山さん)が政府高官から、陛下の具体的ご容態を聞いた瞬間。
直後、楠記者は高官宅台所を出て社のハイヤーに駆け込み、共同通信旧本社9階の政治部別室の元寇デスクに電話送稿している。
——素早い。記者の鑑。

小説を読むと、楠記者は取材先でまず公衆電話のある位置や電話が借りられそうなところを必ずチェックしているのが分かる(当時は携帯電話なかったからね)。
——用意周到。記者の鑑。

この夜は高官宅の架設電話から送稿できないので、自社ハイヤーの自動車電話に駆け込んだ(送稿内容を聞いた運転手の背中が強張った描写には臨場感を感じた)。
日本テレビに〈天皇ご容態急変〉スクープは抜かれたけど、〈天皇吐血〉スクープは青山さんだったのかぁ。

❷カンジンチョウで原稿を送ります
〝勧進帳〟送稿をこなせる最後の世代かもしれない。
読み手(楠記者=青山さん)と受け手(本社・元寇デスク)の息が合っていないとなかなか難しいのだが、元寇デスクは数分で処理して加盟社に流している。
共同通信旧本社9階から編集局のある5階まで、元寇デスクがメモを持ちながら駈けおり、編集局で怒声をあげたシーンが目に浮かぶ感じ。

❸通信社は午前二時九分……ニュース速報
加盟紙のうち、共同速報を20日朝刊に突っ込めたのは西日本新聞、中日新聞と有力数紙だけ。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★吐血、洗面器一杯に絶句=『平成紀』を読む(35)

2016年10月25日 | 新聞/小説

(10月23日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第35回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』149〜150ページから】
しかし宮内庁報道官は、日付が九月二十日に変わって「陛下は落ち着かれている」と語った。
赤錆の官舎に着くと、小さな門の前は社旗をつけた車で埋め尽くされている。応接間に入ると座っている者は誰もない。荒ぶる空気と、刺す怒声のなかで赤錆は耐える表情で「私にも分からないんです」と繰り返すだけである。

(中略)
台所で楠と夫人と二人で突っ立ち、互いの顔を見た。
赤錆が「私も水をね、ちょっと」と言いながら台所に入ってきた。
夫人はさっと水を薄青いグラスに汲んで❶渡した。赤錆は、それをわずかに口に含んで楠を見る。楠は、左耳をその口の間近に近づけた。
「陛下は吐血。大きな洗面器まるまる一杯」
楠は間髪を容れずに❶聞いた。「赤十字は、輸血?」
「そう、いま治療の最中❶」
そして赤錆はさっと、応接間に去った。
勝手口から裸足で外に転がり出た。台所の電話を借りるのでは声を聞かれる心配がある。朝刊締め切り時刻を過ぎようとしている。九階でじりじり待つだけの元寇デスクと、抑えても、怒鳴り合いの声になるのは目に見えていた。ハイヤーに飛び込むと自動車電話で別室にかけた。運転手の背中と首が真っ直ぐに強張っている。


❶汲んで/間髪を容れずに/最中
ゲラに赤鉛筆を滑らせながら読み進んできた、いま話題の校閲(➡︎10月17日付参照してね)記者の手がぴたり止まるところ(止まらない人もいます)。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」(株式会社共同通信社発行)ではそれぞれ
▽くむ
=酌む〔器につぐ、考慮・配慮する〕気持ちを酌む、酒を酌み交わす、事情を酌む、人の心を酌む
=(汲は漢字表に無い字)➡︎くむ〔すくう、摂取〕意見をくみ上げる、誠意がくみ取れる、流れをくむ、水をくむ
——平仮名表記にしましょうね、としている。

▽いれる(容は漢字表に無い音訓)➡︎入れる
——「入」に統一表記しましょうね、としている。

▽もなか(最中は漢字表に無い音訓)➡︎もなか
——サイチュウは最中、モナカはもなかに統一表記しましょうね、としている。

❷「陛下は吐血。大きな洗面器まるまる一杯」
小説の時間は、1988(昭和63)年9月20日午前1時55分ごろ(新聞社の最終版締め切りギリギリ=当時)。
天皇が吐血・下血、ご容態が急変した日。
それにしても「大きな洗面器まるまる一杯」の吐血は尋常ではない。

「高木侍医長が急遽、皇居に向かった」
と第一報を「きょうの出来事」で報じた日本テレビ宮内庁班キャップ・石井修平さんは、
「その時点で、重大な容態の変化があったことは分かっていましたが、そこまでは報じることはできませんでした」
(文藝春秋2009年2月号「ドキュメント昭和天皇の最期」から)
と言っている。
また、高木顯(あきら)侍医長はこの日から翌1989(昭和64)年1月7日早朝の崩御までを自著にまとめ、『昭和天皇最後の百十一日』(全国朝日放送)として、1991(平成3)年10月に出版している。
この日から新聞社Xデー取材班、同整理部チームの、休日返上の臨戦態勢が本格化した。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★凝ったケイ引きを久しぶり見た。

2016年10月24日 | 新聞/小説


久しぶりに、ケイ引きに凝ったボックスを見た。
日経新聞東京本社版10月19日付夕刊3面=写真
左カタの「2016米大統領選」。
「『泣き言はやめた方が』オバマ大統領が苦言」
「『不正』発言巡りトランプ氏に」
全角アミケイを変則的に巻いている(継ぎ目にアミケイのダブりが一部見える)。
周囲に、米大統領モノをいろいろ集めて組んであるので読みやすい。

電子版との兼ね合いから新聞レイアウトが記事矩形型になり、ハラキリだろうが、墓標見出しだろうがOK牧場になったから、この日経3面、なんだか懐かしいよーな、新鮮な感じ。
*矩形、ハラキリ、墓標見出し
「矩形」はタタミやボックスなどの長方形ハコをつくること。
「ハラキリ」は、紙面の真ん中あたりで左から右に横ケイがバッサリ通っていること。上下二つに分かれていること。
以前は整理部タブーだった。
「墓標見出し」は、同じ段数見出しが同じ段に複数並んでいる紙面。
(新聞社整理部によって呼び方は異なります。「卒塔婆見出し」とおどろおどろしく呼ぶ人もいました)


▽全角カスミケイ=右のタテ8段
▽二分(にぶん)飾りケイ=「離島の買い物/ドローン支援」の5段ハコ
▽全角アミケイ=米大統領選のハコ
▽二分ウラケイ=「アイルランド賭け業者」のハコ
——ほとんどの一般紙が無双ケイなので、各種飾りケイも久しぶりに見た。
*無双(むそう)ケイ
黒い太ケイ。
全角(1倍=8U=88ミルス)、二分(0.5倍=4U=44ミルス)があり、いずれも縦1行どり。
「ミルス」は新聞編集の単位だが、現在はU(ユー=ユニットの略)をつかう。

★〈たまたま〉がスクープを呼んだ=『平成紀』を読む(34)

2016年10月23日 | 新聞/小説

(10月21日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第34回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』148〜149ページから】
西暦一九八八年九月十九日の夜だった。
そろそろ赤錆の官舎へ向かう準備をしていた午後十一時四十分、ポケットベルが鳴った。

(中略)
「社会部の張り番がさぁ、侍医長が皇居に入るのを見たんだよ、さっき。奥さんの運転する車でね」
侍医長が深更に皇居へ。
すぐに時刻を繰り上げて、赤錆の官舎へ向かった。いつもはドライバーに外しておいてもらう黄色い社旗をはためかせて、黒いハイヤーは走った。
官舎はすでに車の乗り入れ規制をしているかもしれないと考えている。車の電話へ、吉野キャップから次々と情報が入った。
侍医長に続き侍従長が入り、女官長が真っ先に入っていたことが分かり、そして午後十一時五十九分、日赤のマークをつけたボックス型の車が入った❷。
しかし宮内庁報道官は、日付が九月二十日に変わって「陛下は落ち着かれている」と語った。
赤錆の官舎に着くと、小さい門の前は社旗をつけた車で埋め尽くされている。応接室に入ると座っている者は誰もない。刺す怒声のなかで赤錆は耐える表情で「私にも分からないんです」と繰り返すだけである。
午前一時四十分ごろ夫人が赤錆を呼んだ。「電話が掛かってきたな」と思った。
この官舎の電話は切り替えによって応接室にある電話を殺し、台所にある電話だけごく静かに鳴るようにすることができるのを知っていた。
午前一時五十分ごろ赤錆が応接室に戻ってきた。記者たちから「何か分かったんですか」と絶叫が響き合ったが、赤錆は「いや、分かりません」と首を振るばかりである。
立ち尽くしている赤錆に「ちょっと水を飲ませてください」と声をかけ、台所に行った。異様な行動であった。記者は誰も続かない。



❶「社会部の張り番がさぁ、……奥さんの運転する車でね」
時間経過でみると、共同通信社会部より先に、高木侍医長を〈見た〉のは日本テレビ宮内庁班だった。

九月十九日の午後十一時少し前、日本テレビ天皇Xデーチームの根岸豊明記者(当時)が、代々木の高木侍医長の自宅に夜回りをかけようと、代々木駅前のスクランブル交差点を曲がった。
そこで道路工事の現場にぶつかったのが、大スクープのきっかけとなった。
工事中を知らせる黄色いランプは、向こうからやってきたツートンカラーの日産ローレルの車内にいる高木の姿をはっきり照らし出していた。
「高木さんの奥さんがハンドルを握り、高木さんは助手席にいたそうです。
根岸記者はすぐ車をUターンさせて後を追うとともに、自動車電話で社の報道フロアにいた私
(日本テレビ報道局宮内庁班キャップの石井修平さん=当時)に緊急連絡してきた。私は別の記者にすぐ皇居に向かうよう指示した」
(文藝春秋2009年2月号「ドキュメント昭和天皇の最期」から)

青山さんがいた共同通信の社会部が皇居に入る侍医長の車を見たころ、すでに日本テレビ報道局は侍従や侍医らから情報確認をしていたようだ。
——この、日本テレビ「9.19吐血」速報もそうだけど、朝日新聞「腸のご病気」報道も、
〈たまたま見た〉
記者が異変を感知➡︎確認➡︎大スクープにつながっていることが分かる。

❷侍医長に続き侍従長……日赤のマークをつけたボックス型の車が入った
侍医長は高木顯(あきら)氏、侍従長は山本悟氏、女官長は北白川祥子(さちこ)氏。
ほかに、この年の6月に就任したばかりの藤森正一宮内庁長官も急を聞いて吹上御所に駆けつけている。
「日赤のマークをつけたボックス型の車」
は、天皇と同じAB型血液を運び込んだ血液運搬車両。

【同時刻@新聞社編集局では】
23時30分過ぎだから、都心に近いエリアの版を編集中。
編集局に設置された共同通信スピーカーからは次々、興奮した様子のアナウンスが
「ピーポ、ピーポ、ピーポ!——共同通信から編集参考です。侍医長に続き、藤森宮内庁長官も皇居に入りました。何らかの異変があったもようです」
「ピーポ、ピーポ、ピーポ!——日赤の輸血車両が到着、皇居に入りました」
編集局長、局次長、Xデーチームのキャップ、報道局部長・デスク、整理部デスク、写真部デスク、制作局デスクが集まり、
「この版からやる。1面差し替え」
「写真はとりあえずテレビ抜き」
「降ろせる面は、早め降版っ」
と騒然としていた(のを横目に、整理部ヒラが集まり、「ヤベェよなぁ、まだアレ全部できてないよなぁ」とアタフタしていた)。
*広告局デスクも現れた
23時25分過ぎ、共同通信速報を聞いたのか、上階の広告局デスクが編集局に降りてきた。
通常、夜の朝刊編集時にはいないのだけど、やはりXデー臨戦態勢だったと聞いた(やや赤い顔だったから、どこかで飲んでいたようだが www)

*テレビ抜き
現場からの写真が間に合わないとき、テレビ画像をキャプチャーにしてカラー写真にすること(画像が粗いけど、仕方ないじゃん)。
写真部デスクは「使用させていただきます、と許諾をテレビ局に必ず電話するんだけど、つかまらないんだよ、あっちがさぁ……」とコボしていた。


というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★共同通信がキンコンカンコン=『平成紀』を読む(33)

2016年10月21日 | 新聞/小説

(10月20日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第33回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽天田原優衣(あまだわら・ゆい)=テレビ局政治部官邸詰め記者。ボストン大学卒、24歳。
カナダのテレビ局にキャスターとして勤務後、東京の民放テレビ局に入社。ジャーナリスト志望
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』147〜148ページから】
楠が地下鉄の座席で「天皇陛下 腸のご病気」の見出しを見て❶からちょうど一年後、西暦一九八八年九月十九日の夜だった。
そろそろ赤錆の官舎へ向かう準備をしていた午後十一時四十分、ポケットベル❷が鳴った。九階別室の直通番号が表示されている。元寇デスクは受話器の向こうで「楠ちゃん」と叫んだ。この一年で素面の元寇が大きな声を出したのは初めてである。
「社会部の張り番がさぁ、侍医長が皇居に入るのを見たんだよ、さっき。奥さんの運転する車で❸ね」
侍医長が深更に皇居へ。
すぐに時刻を繰り上げて、赤錆の官舎へ向かった。いつもはドライバーに外しておいてもらう黄色い社旗をはためかせて、黒いハイヤーは走った。
官舎はすでに車の乗り入れ規制をしているかもしれないと考えている。車の電話へ、吉野キャップから次々と情報が入った。
侍医長に続き侍従長が入り、女官長が真っ先に入っていたことが分かり、そして午後十一時五十五分、日赤のマークをつけたボックス型の車が入った。


❶楠が地下鉄の……見出しを見て
前年1987(昭和62)年9月19日付の朝日新聞1面
「天皇陛下、腸のご病気」
「手術の可能性も/沖縄ご訪問微妙」
の紙面のこと=9月13日付第10回参照(「西暦」と記すのが青山さんらしい)。
同記事は、宮内庁でたまたまレントゲン写真を見た清水建宇記者(当時)がスクープ。

❷ポケットベル
時代を感じる。
携帯電話が個人に普及するのは1990年代中頃(ポケットベルは2007年にサービス終了)。
*整理部に支給なし
新聞社でポケットベルを持っていたのは取材・出稿部の記者、デスク、部長ら。
整理部には必要ないと思われたのか、それほど忙しくない部署と思われたのか、社からの支給はなかった。


❸侍医長が皇居に……運転する車で
同夜を時間経過で追うと——
▽22:34=当直侍医から高木顯(あきら)侍医長に「天皇吐血」の第一報
▽23:00=日本テレビXデー取材チームの根岸豊明記者が偶然、代々木駅前交差点で高木侍医長の乗った車を発見
▽23:13=吹上御所に向かう高木侍医長は車中で
「いちばん困ったことが起こった。いよいよいけないかな…」
と思った(1991年、全国朝日放送刊『昭和天皇最後の百十一日』から)
▽23:24=日本テレビ系「きょうの出来事」で櫻井よしこキャスターが
「たったいま入ったニュースです。高木侍医長が急遽、皇居に向かいました」
▽23:24=速報に新聞社出稿部、整理部が総立ち。
日テレ速報と前後して、共同通信の重大事態を知らせるチャイムが
「キンコンカンコーン!キンコンカンコーン!」
「共同通信から編集番外です!高木侍医長が皇居に向かい……なんらかの異変があったもようです!繰り返します……」
▽23:25=新聞社編集局、そして整理部真っ青(後日詳報します)

時間経過をチェックすると、共同通信社会部より、日本テレビ宮内庁取材チーム(報道局・石井修平キャップ)の方が先に〝皇居に異変〟を察知していたようだ。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★答えた・応えた・堪えた=『平成紀』を読む(32)

2016年10月20日 | 新聞/小説

(きのう10月19日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第32回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽天田原優衣(あまだわら・ゆい)=テレビ局政治部官邸詰め記者。ボストン大学卒、24歳。
カナダのテレビ局にキャスターとして勤務後、東京の民放テレビ局に入社。ジャーナリスト志望
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』146〜147ページから】
その笑顔で気が楽になり、元寇を見た。再び突っ伏している。深い寝息が聞こえる。
この人はほんとうにあの一言だけを言いたくて待っていたんだと驚いた。平河クラブの噂好きなキャップが「新橋の飲み屋にさ、元寇のコレがいるらしいよ」と言ったことを思い出した。
コレと言うとき、ひとはどうしてあんなに卑しい口元になるのだろうか。この女将は黙って元寇さんと酒を呑んでくれる相手❶だろうと考えた。
吉野が立ち上がり目顔で楠を促した。二人はほとんど無言で歩いた。七、八分で地下への細長い階段を降り、明かりの少ないバーに入った❷。
黒に近い青色にみえる木のカウンターに吉野は太い腕のひじをつき「なんか嫌でしょう」と、やっと声を出した。吉野は後輩の記者にも丁寧な言葉遣いを変えない。
すこし考えて「元寇さんですか。でも前から同じことじゃないですか」と応えた❸。
吉野は冷酒の最初の一口を含んだ。
「いや同じじゃないでしょう」
楠は「喉の奥までセールスマン」と頭をよぎったままを口にした。吉野は、早春の大和路にいるような、いつもの柔らかな微笑❹を浮かべて「ニュースのセールスマン」と言った。
「でも、元寇さんの話には、嘘がないですよね」


❶この女将は黙って……呑んでくれる相手
テレビドラマ「相棒」(テレビ朝日系)でいえば、「花の里」の鈴木杏樹さんか。
たぶん、新橋のこの女将は白い割烹着姿で、白木のカウンターには桔梗が一輪さしてある花瓶があり、壁には小さな黒板に達筆な字で「本日のおすすめ」書きがあり……あ、関係ない。
*「女将」は、おかみ
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」(株式会社共同通信社発行)では、平仮名表記にしましょうとしている。
▽おかみ
(女将、内儀=ともに漢字表に無い音訓だが、字音・字訓で読む場合には使ってよい表記)➡︎おかみ


❷七、八分で地下への……明かりの少ないバーに入った
共同通信がよく行くと思われる新橋・烏森神社(港区新橋2)の近くだとすると、道を一本渡った銀座8丁目あたりのバーに移動したのかもしれない……あ、関係ない。

❸応えた
新聞表記だと「答えた」としたいところ。
「記者ハンドブック」では3つの「こたえる」書き分けを記している。
▽こたえる
=応える{働き掛けに報いる、応じる}恩顧・期待・声援・要望に応える、手応え、歯応え、批判に応える……
=答える{返答}受け答え、口答え、問題に答える、呼んでも答えがない
=(堪える)堪は漢字表に無い字➡︎こたえる

❹吉野は、早春の大和路……柔らかな微笑
突然の、ポエムな記述。
「大和路」「柔らかな微笑」とくれば、斑鳩・中宮寺におわす国宝弥勒菩薩半跏思惟像のアルカイックスマイルだろうか(でも、吉野キャップは男性)。
小説内の記述から、楠記者はこの吉野キャップと元寇デスクの2人には好感を持っていることが読み取れる。

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★もうすぐ大変なことになる=『平成紀』を読む(31)

2016年10月19日 | 新聞/小説

(10月18日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第31回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽天田原優衣(あまだわら・ゆい)=テレビ局政治部官邸詰め記者。ボストン大学卒、24歳。
カナダのテレビ局にキャスターとして勤務後、東京の民放テレビ局に入社。ジャーナリスト志望
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』145〜146ページから】
「俺はね、社内的にやってるんじゃないんだ。社内政策じゃないんだ」
意味が分からない。
「俺が地方支局に出されるのを阻止、阻止するために」と元寇は「阻止」を叫ぶように重ねて言い「阻止するために、策略で天皇をやってる❶と言う奴がいる。政治部が政治をやらないで❷、なんで天皇なんだってさ。違うってんだ。大ニュースなんだ。大大ニュースなんだ。ここで下手をやれば社長だっていられなくなるんだ。なあ、楠ちゃん。今は、少し病状が落ち着いてるけどさ、もうすぐ、大変なことになる❸のが、俺は分かってるんだ」
楠は、吉野の顔を見た。
吉野は色白の顔をうつむかせ、大柄で丸い身体を縮めるように黙して熱燗を呑んで❹いる。
楠が銚子一本を頼むと、女将は下唇を突き出して煙を吹き上げていたのをやめ、「あいあい」と歯切れ良く応えた。
意外なほど白い歯を見せ「悪かったね。水割り派に見えたんだけど」とにっこりする。
その笑顔で気が楽になり、元寇を見た。


❶「俺はね、社内的に……政策じゃないんだ」/策略で天皇をやってる
共同通信社の〝深奥〟をのぞかせる記述。
小説の時間は、1988(昭和63)年8月29日夜。
次第に社会部との確執、政治部内の派閥争いが顕在化し、佐藤(元寇)デスクも動きにくくなってきたのかもしれない。
組織を重視する長からすると、管轄を超えて取材活動をする元寇チームは扱いにくく、はなもちならないのかもしれない(だから地方支局の話が出ているのだろう)。
………あゝ、やだやだ(組織あるある)。

❷政治部が政治をやらないで
「政治=まつりごと」
が言外にあるようだ。
崩御を含む皇室世代交代報道は、社会部だけが扱えるレベルではない重大ニュースなのだ、といっている。
同時に、社会部からは取材データを寄越せ、皇室ニュースは政治部の管轄ではないだろう、政治部は政局をやっとれ——と社内的に激しくなってきたのかもしれない。
……あゝ、やだやだ(組織あるある)。
*「これほどニュースバリューのある人は他にない」
楠記者が政治部別室の元寇班に入った日、楠は元寇デスクに聞いている。
「元寇さん、一つだけ聞いていいですか」
「ああ、もうどうぞ。一つと言わず、いくつでも」
「天皇陛下も、われわれと同じくいつかは来るべき時を迎えられます。その自然なことが、それほどまでに大ニュースなんですか」
やがて来る「Xデイ」と称するものが、日本のすべての報道機関にとって長いあいだ、どれほど大きな隠れた課題になっているかは知っている。それだから余計に、この素人じみた質問だけは聞いておきたい。
元寇は「ああ、分かるよ」と表情を変えずに、答えた。
「しかし、あの天皇だからね。第二次世界大戦、戦後日本の復興いずれを考えても、この国だけじゃなく世界にとって存在感が違う。これほどニュースバリューのある人は他にないだろう」
「奇人」という定評は正しいかどうか分からないなと、楠は考えた。みなが政局に浮かれている時に、孤立しつつ冷静を保つ強靭なひとかも知れない。

(文庫62〜63ページから)
——ここが、楠記者が政治部別室・元寇班に入った動機なのだろう。


❸今は、少し病状が落ち着いてるけどさ、もうすぐ、大変なことになる
そう、元寇デスクの指摘どおり。
9月8日の、那須御用邸からの天皇ご帰京以降「大変なこと」が次々出来(しゅったい)する。
9月、僕たち新聞社のXデー整理部チームも昼出が多くなった。
*整理部の昼出
朝刊担当の整理部員は深夜2時まで社にいる。
その後、タクシー帰宅で家には午前3時ごろ帰る。
だから、数時間後の昼間から出社するのは、かなり苦痛なのだ。
(➡︎とはいえ、慣れるとハイ状態で翌朝刊編集に入れるから、けっこういい紙面ができたりした www)


❹大柄で丸い身体を縮めるようにして熱燗を呑んで
新聞の記事表記ルールに従えば、書き換えるべきところばかりだけど、小説・著作物だからかまいません。
▽身体
(身体=漢字表に無い音訓だが、字音・字訓で読む場合には使ってよい表記)➡︎体、体つき
▽熱燗
(燗=漢字表に無い字)➡︎熱かん、かんをつける
▽呑んで
(呑=漢字表に無い字)➡︎のむ〔主に気体・固形物、抑える、受け入れる、隠し持つ〕あくび・息をのむ、うのみにする、恨みをのむ……

「身体」は使い分けに困る場合があり、新人校閲泣かせかも……。

———というわけで、続く(1988〜89年データはきのう18日付参照してください)。

★記者の鑑!=『平成紀』を読む(30)

2016年10月18日 | 新聞/小説

(10月15日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません。
来日された、ベルギーのフィリップ国王夫妻=13日、JR名古屋駅新幹線ホームで)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第30回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽天田原優衣(あまだわら・ゆい)=テレビ局政治部官邸詰め記者。ボストン大学卒、24歳。
カナダのテレビ局にキャスターとして勤務後、東京の民放テレビ局に入社。ジャーナリスト志望
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』144〜145ページから】
京都から東京駅に着くと真っ直ぐに本社へ❶上がり、新元号の三案❷を元寇に渡して、赤錆の夜回りに出た。
官舎近くの車で待機していた午前零時十分ごろポケットベルが鳴った。
見覚えのない電話番号が表示されている。
無視するうち、もう二度鳴った。車載電話からかけてみると思いがけず吉野キャップが出た。
「楠くん、申し訳ないけどここへ来てくれるかな。新橋の飲み屋❸なんだけどね。元寇さんがあなたに話したいことがあると言って聞かないんだ」
その店は、カウンター席のほかにはテーブルが二卓だけの細長い店❸だった。
五十歳半ばの女将が腕組みで煙草を吸い、カウンターに元寇デスクが突っ伏していた。
白い、まばらな髪が頭の左右に降りている。
吉野キャップが耳に口を近づけて「元寇さん」と控えめに呼ぶと、はっと頭を起こして周りをめぐらせ、左横に楠の顔を見つけると「ああ楠ちゃん、あなたに一つだけ言っておくことがあんだ」と息を吐きかけた。
楠は口臭を予想したが、ほとんど何も匂わなかった❹。
水割りを出してくれた女将に目礼しながら「はい」と答えた。


❶真っ直ぐに本社へ
京都御所(京都市上京区)で天皇に想いをはせた後、楠記者はさらにもう1人の学者宅に寄っている。
小説の時間は、1988(昭和63)年8月29日。
京都で2学者取材後、
➡︎京都から新幹線ひかりで東京まで約2時間40分(当時)
➡︎東京駅から虎ノ門(東京・港区)の共同通信本社へ直行
➡︎同本社9階の政治部・元寇デスクのもとに立ち寄った後
➡︎政府高官宅に夜回り取材に出かけ
➡︎呼び出されて新橋飲み屋
——ふぅ〜、すごい行動力。
軽快なフットワークこそ記者の鑑。
*京都土産は「八つ橋」
楠記者、5階の政治部と元寇デスクには京都出張土産の「八つ橋」でも渡したのかもしれない。
駅構内で買えて、安くて、量があってバイトくんたちが配りやすい。何より一発で「京都に行きました!」と分かるし。
編集局で配るときは生よりかたい八つ橋のほうが喜ばれる……あ、関係ない。


❷新元号の三案
京都の亡き学者宅で、楠記者が夫人から許可を得て見せられた日記帳に書かれていたのは、
「文思(ぶんし)」
「天章(てんしょう)」
「光昭(こうしょう)」
の3案。
なかでも、碩学は「文思」を推していた。
小説後述にあるが、新元号選定は頭文字が重要という。
政府はM、T、Sとダブらない配慮をしていた、とある。
*僕が推す元号
めいじ、たいしょう、しょうわ、へいせい。
4字が続いたので、3字がいいな僕は……あ、関係ない。


❸新橋の飲み屋/その店は、カウンター……細長い店
新橋西口より、共同通信が集まるのはだいたい烏森神社のあたりか……あ、関係ない。

❹ほとんど何も匂わなかった
小説内で匂いや香りに関する記述が散見されるので、青山さんはにおいにとても敏感な人なのだろう。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」(株式会社共同通信社発行)では書き分けを記している。
▽におい・におう
=匂(よいにおい)
香ばしい匂い、匂い袋、花の匂い
=臭(不快なにおい)
嫌な臭い、ガスの臭い、生ごみが臭う
【注】ほのめかす意味や、良い香りか不快な臭いが判別できない場合、「臭=くさ=いにおい」など漢字では紛らわしい場合は平仮名書き。

新聞記事表記では、
「何もにおわなかった」
がいいのかもしれないけど、小説・著作物なのでこのまま行ってください(と校閲部は言うよね)。

というわけで、続く。
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【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値