杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

故郷

2009年12月31日 | 日記
故郷は、時代が変わっても人を裏切らない。

鎮守の森、住吉神社の境内や周囲の雑木林を
悪たれ小僧達が集団で駆け巡った。

家のすぐ前の海で、近所の友と暗くなるまで海水浴、
道路から浜へ降りるズラシ(坂道の意)で腰を下ろし
大島の西に沈む、赤々と燃える太陽を眺めて、
自然の織り成す不思議に見とれていた。

あの遠い日の故郷は、世界の全てだった。
外の世界が、有る事さえ知らなかった童心たちは、
その村で遊び、喧嘩し、学んだ。
先輩から教えてもらう遊びや序列に素直に従った。

家の負担を減らすため、中学を卒業して都会へ出た者、
苦しい家計のやり繰りの中で高校へ進んだ者、
その内、大学へ進学した者は稀有な存在だった。

小学校の松組・竹組、中学校のA組・B組の84人は、
進む道をそれぞれ違えて、世の中へ出て行った。

さまざまな紆余曲折の人生が彼ら、彼女達の前には待ち受けて
いた。
田舎に残った者は、まだ幸せである?
都会の荒波に、たかだか15歳や18歳の若者達は
何も判らぬまま飲み込まれて行った。
それぞれの人生は、幾多のドラマを生んだことだろう !?

60歳、還暦にして別れたはずの友が揃うことになる。
60歳、伊勢神宮へ3・3・かぶ島会、同級生の還暦の
厄落とし旅行だった。

私は、都合で参加できなかったが、従兄弟のE・Yが、
後日、詳しく教えてくれた、
歓喜の感激の再会だったと云う!?

私は、次の出雲大社へのお礼参りに参加した。
45年ぶりの友は、其の顔に、身体に苦難の歴史を刻んでいた。
私にとっては、生まれ変わった入学式だった。

何十年の歳月が、あっという間に昨日の記憶に変わった!?
松組・竹組の、あの日がそこには有ったのである。

今、この時点で9名の同級生が亡くなっている。
私たちは、都会の同級生と違って、皆 竹馬の友、
お金や商売気に関係なく、人間不信には程遠い心触れ合う
結びつきなのである。

男子は、女子をいたわり、
女子は、男子の身を案じる。
一億数千万人の中の75人、この縁はかけがえが無い。

先日帰った故郷は、あの日と同じ眼差しで、
私を迎えてくれた。

鎮守の森 住吉神社、山の中腹に或る 金比羅さん、
親父の背中を見ながら歩いた、急な細い坂道、
泣きながら背を丸めて歩くお袋の後ろ姿。
あの日の風景が、昨日のように甦る。

故郷よ! 真網代よ! 狭古よ!(ハサコ・私の住んだ小字)
うれしい時も、かなしい時も、故郷は表情を変えない ?
嘘をつかない、騙すこともない、お世辞も言わない。
黙って私たちを見つめている。

[故郷は、たとえ時代が変わっても人を裏切らない。]

そんな故郷 真網代が、私は愛しい・・・。

親父、お袋、そして兄弟達が・・・!?
その佇まいの中に、微笑んでいる・・・。。。

                  合掌



真網代に着く手前、大釜の沖合いに小島(ねずみ島)が在る。
干潮になると浅瀬の浜が現れて、歩いて渡れる。



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