杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

昭和の日

2011年04月29日 | 日記
昭和の日、私のように青春を昭和時代で送ったものは、
昭和と聞くだけで、鼻がつんと来るような郷愁を覚える。

もう大分、平成に慣れてしまったが、それでも昭和が
懐かしく想い出が蘇ってくる。

皇室に対する敬愛の念、国を愛する気持ち、日本人としての
誇り、昭和の名の元にあらゆる基本が内包されて来た。

爽やかな青空が、ややひんやりとした春風を伴って天高く
そびえて温かい陽射しを降り注いでいる。

午前中、重要な打ち合わせを済ませ、喫茶〇〇で熱い珈琲を
所望・・・久しぶりなので美味い !
ウエイタ-の〇〇君の控えめな笑顔が爽やかである。

次の目的地へ向かう、
ここの社長は、奥さんを交えて云いたい事が言える間柄 ?
奥さんの不満も、ちょっぴり聞いてあげて ?
旦那の尻をたたく !

ふたりの要望を聞いて、
大笑いの余韻を残して辞退する。

山間部の集落に移動する、
先般受けていた相談事は〇〇先生へバトンタッチして早終了 !
ご主人、満足の態で次の相談事案を拝聴する、
金持ちはいい、我々と悩み事が違う、大らかな事この上ない。

子供の自慢話を聞いて坂道を下った。

テレビで、渡辺アナと写真家宮崎さんの対談をやっていた。
衝撃を受けた話が有った、
東日本大震災の被災地で災害にあわれた人への励ましの中で、

「頑張ってください !」 との励ましに・・・!
「頑張れない !」 との答えが返ってきた・・・!

その災難に直面した人の腹の底から吐き出される言葉の
重みに、返す言葉がない。

茫然自失! 人間が何もかも失った極限の状態は、
我々の思いも付かない精神状態なのだと思った。

言葉より、優しい眼差しこそが必要なのかもしれない。

我が身に当てはめて、我が身に振り返ってみる。
遠い果ての悲しみが、肉親の慟哭に形を変える。

あの昭和には、これほどまでの原発脅威論はなかった、
反対闘争は有ったものの、限られた人達だけの世界だと
達観していたのではなかったか ?

されど、もう誰人と云えども、無関心、無警戒を装う
訳には行かなくなった。

一心同体の化け物を抱え込んで仕舞ったのである。

緩やかに流れる雲が白く輝く、
この青空がいつまでも同じ紺碧を奏でてくれることを祈る。

昭和は、敗戦後の児童たちに再起の希望を誓わせた
時代でも有った。

先人の、国を憂いて、再建の槌音を響かせた忍耐に・・・
我々は学ばなければならない。

我々の先祖は、それを成し遂げて来たのである。・・・。。。

                                合掌



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1 コメント

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癒されます (さざ波)
2011-04-29 21:15:56
悩みから抜け出したくて、お邪魔しました。
「貴女 何度同じ事を考え言ってるの?」と
お叱り受けそうです。
貴方様のブログを拝読させていただき、私の器の小ささに反省です。
私の悩みなんてささいな事、被災地の方々の慟哭の苦労を思うと、悩みなんて贅沢に過ぎないと反省 反省 
素直な気持ちになれました。
有難うございます。  
 今宵も出逢えた事に感謝です。
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