杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

感動した話

2010年03月31日 | 日記
「長男だから当たり前よ・・・!?」 私が・・・! 「君達はやさしいネ・・・おふくろさんの面倒をよく見て 感心するよ・・・。」 (本当は、田舎の方言で、もっと言葉は悪いのだが ?) 私が、そのように問いかけると期せずして二人の友から 同じ答えが返って来た。 Uは、地方公務員の課長職まで勤めて、職場結婚の奥さんと 仲良く同時に定年退職した。(年下の奥さんは主人に合わせて 早めに退職された) 子供達 . . . 本文を読む
コメント (1)

竹馬の友は

2010年03月30日 | 日記
午前11時30分ダイキ-重信店で、友Yと待ち合わせ。 私は一昨夜、29日午後2時からの葬儀告別式に参列するために、 仕事の段取りを変更するべく調整に没頭していた。 ちょうど其の時、Yからメ-ルが入った・・・ (29日、休みが取れたので会えるか ?)との問い合わせだった。 早速返事を返した「葬儀に出席するのだが午後3時ごろには 終わるので一緒に八幡浜へ行かないか・・・?」 O・Kの返事が戻ってき . . . 本文を読む

レクイエム

2010年03月29日 | 日記
朝、起床していつものとおり新聞に目を通した・・・ 政治・経済・スポ-ツ、県内の記事に目を通してから お悔やみ欄に目を移した、 84歳女性、故人の名前と喪主の名前が目に留まった。 先日、友の葬儀告別式で一諸に参列したばかりの同級生 Yの奥さんの、実家のお母さんの名前だった。 二人姉妹でお姉さんが同級生Yの元へとついで来たので、 妹さんが私の後輩に当たる養子さんを迎えて跡を継いだのである。 この1 . . . 本文を読む

さだめ川よ

2010年03月28日 | 日記
役所が休みの日は私ものんびりする日である。 家で何をすることもなくぼんやりと身体を休めた。 風邪の症状も軽くなりテレビの前に座った。 湯タンポンに熱い湯を注いでコタツに入れてやった。 二匹の彼女たちが喜んで私の足元に寄り添ってきた。 先日の友との別れ、過ぎ去った後輩達との想い出の数々 その男の友情を、窓から差し込むお日様の光を浴びて 振り返って見た・・・ 人との出会いは、ほんの運命のいたずら . . . 本文を読む

男の友情Y、Fよ

2010年03月27日 | 日記
「なんだ・・・? それは !?」S・Yが驚きの声をあげた。 其のあと、涙を流して笑い転げた・・・ ・・・・・・・・・・ 昭和も40年に入ったばかりの頃、鎮守の森八幡神社の真下、 商店街裏通りの一角に、そのぼろアパ-トはあった。 自転車店の修理場の上に、今にも壊れそうな木造アパ-トは 4世帯の部屋の重みに喘ぐように辛うじて建っていた。 その西側の道路に面した、和室6帖と2帖の台所の部屋を貧乏 暮ら . . . 本文を読む

菜の花畑にオマ~ジュ

2010年03月26日 | 日記
私の家から自転車で2~3分の所に坊ちゃん劇場がある。 先日、一段落した午後のひと時を見計らって・・・ 一段下がった南側に広がる菜の花畑を見に行った。 数名の家族連れが散策中で小さい子供連れのお母さんが、 カメラのシャッタ-を押し続けていた。 東温市見奈良にアウトレット等の娯楽施設が開業されて・・・ 其の南側に坊ちゃん劇場が開設されて人気を博している。 劇場と南に東西に走る四国縦貫自動車道( . . . 本文を読む

違反者講習

2010年03月25日 | 日記
通勤時間の真っ只中を私の軽自動車は走っていた。 受付時間に間に合わなければ丸々30日間、運転免許が 停止される。 1時間半の余裕をみて家を出たのだが・・・ 見事に通勤ラッシュに巻き込まれた。 だが、焦って事故でも起こしたら見も蓋も無い。 ここは、観念して遅れる結果を想像して安全運転を心がけた。 しかし、勝山通り松山東警察署あたりから車の渋滞が減った、 これでは、間に合うだろうと予測できたので車の . . . 本文を読む

さぶろく会残影

2010年03月24日 | 日記
S36年卒業生を36会(さぶろく会)と呼んだのは、 松山在住の普通科を卒業したメンバ-である。 その同学年の園芸科49名だけが、男子だけのクラスで、 その他は、上も下も女子学生が混じっていた。 だから私の記憶の範囲では、我々の園芸科だけが野暮な 男だけの世界であった。 だから、やることが凄かった、腕自慢の男の先生にも 堂々と喧嘩の挑発をやらかした・・・ おとなしい若い先生は誠に気の毒で、今振り . . . 本文を読む

友との別れ

2010年03月23日 | 日記
私は、その同窓会名簿を眺めている・・・。 昭和36年卒業(第12回) 普通科155名 園芸科49名とある。 その49名の内 7名が鬼籍に入っているが、 悲しいことに、我らの仲間S・Kが薬石功無く亡くなった。 逝去の人数が8名となったのである。 49名の内の8名は多すぎる。 明日は(23日)彼の葬儀告別式に参列する。 みんな穏やかで心優しい同級生だった。 彼らと過ごした3年間が走馬灯のように脳裏 . . . 本文を読む

思い出坂

2010年03月22日 | 日記
故郷へのお彼岸の帰り道・・・ 松山を過ぎて坂道を登っていると 見慣れた建物が見えてきた・・・ 15年ほど前、ある手続きのお手伝いをした ある会社の建物である。 ・・・・・・・・・・ 仕事が一段落して、お茶を呼ばれながら A社長のお話しを伺った・・・。 社長の父上が借金のかたに手持ちの財産(田畑)を 手放さなければならなくなった ! 一家どん底の悲しみが襲って来た、 全てを取られて裸ひとつにな . . . 本文を読む
コメント (2)