杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

演歌よお前は

2011年12月17日 | 日記
歌は世につれ世は歌につれ。

同年輩の知人から「お前さんの歌のレパ-トリ-
は驚くほど広いね !」 とよく言われる。

そうなんですよ、演歌は勿論、ジャズ、ロック、
フォ-ク、カントリ-、ポップスと何にでも興味
を持って耳を傾ける。

しかしこの歳になっても未だクラッシックは演歌
程ではない、人間が出来てない証拠ですかね。

民謡、詩吟、浪曲、これらについても身近な人が
たしなんでいたり、やっていた関係で好きですね。

でも、私に一番似会うのが、そして好きなのは
やはり演歌ですね !

昔に返りたい時、父母を偲ぶ時、亡き姉兄達に逢い
たいと思う時には、ひとりで演歌を聴く。

その時に私の心は彼らとともに舞台に立っている、
あの時のふるさとが、目の前に広がるのである。

悲しい別れの想い出、心ならずも別離に至った人、
若さゆえの不始末を詫びながら歌の主人公に我が身
をそっと置く。

人生にイフは無いとしても、やはり後悔に身を
苛まれる自分がいる、「何故! あの結論が ?」 と。
そんな時に、演歌、浪曲を聴く。

私の竹馬の友の家が芝居小屋(映画館)を持っていた、
田舎回りの浪曲一座が来て、私の父は小躍りして
出かけた。

長男の酒乱と貧乏暮らしに身の置き場所の無かった
父が、つかの間の侘しさ、辛さを忘れる時間だった。

今、思い出しても、父の胸の内を推し量って涙が
滲む。

一度そんな父の後について浪曲を聴きに行った事が
ある、多分、小学校低学年の頃だったと思う、
子供にとって、それは退屈の何ものでもないもの
だったが、何かしら心に残るものが有った。

今振り返ると人間の情に訴えるものが苦労している
父の背中と重なり合って子供心に感じたのであろう。

だから、浪曲を聴くと、テレビで観ると、
あの時の芝居小屋で、浪曲に耳を傾ける父の姿が
浮んでくるのである。

キセルタバコを愛用した父は、掌で吸い残しと新しい
キザミタバコを、器用に交互に転がして吸っていた。

いとしい人だった、
親父を思い出すだけで、胸に迫って涙が滲んでくる、
余りに若かった私は、苦悩の父を救うことが出来な
かった !

その後悔が、現在苦労している人を見ると手を差し
伸べる行動に走らせるのだと思う。

父に出来なかった親孝行が見も知らぬ他人への激情と
なって突っ走らせる、遅まきながらの親孝行なのです。

演歌を聴く、浪曲に胸を震わせる ?
それは私の過去との対面でも有るのです。

サブちゃんが、鳥羽一郎が、私の心を代弁する。 ・・・。。。


                                合掌


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 訊いてくんね | トップ | お元気ですか »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事