Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房

2009-11-17 | 外国の作家
「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房を読みました。

表紙は広々とした白い雲広がる青空の荒野の写真、題名は「夢見た旅」。
ロマンチックな話なのかなと思いきや・・・。
予想はくつがえされましたが、心を静かに叩いてくる作品でした。
読んでよかったです。内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

故郷の小さな町に住み、家族の世話から逃れることを渇望していた主婦シャーロット。彼女は家出の資金をおろしに行った銀行で、銀行強盗の人質になってしまいます。犯人との思いがけない逃亡の「旅」。
犯人ジェイクは若い脱獄囚で、彼の子を身ごもったミンディを施設から連れ出し、フロリダの友人を頼っていく計画でした。

時間に耐え切れず、ある日の衝動で行動してしまう「衝動の犠牲者」ジェイク。
自分の母親が生まれた家に住み続け、町から出たことはなく他人の世話をし続ける毎日を送る主婦シャーロットとの対比。
ふたりは両極というわけではなくお互いにお互いの生活を嫌悪する面も、惹かれるものもある。そしてどちらも正しいわけではない。

物語は、ジェイクがシャーロットを人質にとってフロリダに向かうまでの道中と、
シャーロットの過去とが交互に語られます。

シャーロットの義兄のエイモスの言葉。
「誰もがよってたかって、あんたをしゃぶっているが、それでもあんたは全然ちぢまない。スカートにつかまられても、それでぐずつくこともない。
そして、彼女にほんとうのことを伝えたのは、あんただけだった。おれは聞いていたんだ。はっきりといったな、癌と。月のように、この家の中を行き来しているあんたは、全員をささえるだけの力を持っている。」

荒野を、氷河を砂漠を、いつかただひたすら歩き続けることを夢(という言葉よりは心の原風景、とりつかれた望み)として「暫定的」に日々の生を送ってきたシャーロット。所有を嫌い、物に(人に)執着しない。
だから彼女は困窮の生活の中でも、家族以外の者の世話をし続ければならない日々の中でもどこか他人が行っていることのように、倒れなかったのでしょうか。
彼女がひたすらさすらう、心の原風景が彼女の真(芯)なのか、彼女の体が生きている繰り返しの日々が真なのか。
写真、二組ずつの家具、空想の少女と名前を入れ替えた娘、いくつものモチーフが、読者である私に、虚と実について語りかけます。

母親の死をきっかけに、シャーロットは気づきます。

「あたし、ここの人たちとすっかり絡み合っているような気がしてね。考えていたよりずっと、関係が強いのね。わからない?
一体どうしたら、自由になれるのかしら?」

エイモスが去ったことをきっかけに家を出て行くことを真剣に考えるシャーロット。夫のソールは「待てばすべてはうまくいく」と説得します。

「でも、そんな甲斐はないのよ」
「甲斐はない?」
「犠牲が大きすぎるのよ」

願ったのとは違う形で始まった、家を離れての奇妙な「旅」。
行き着いたフロリダで、ジェイクもシャーロットも物理的な意味だけでなく、人生のひとつの旅が(夢が)終わった、そしてひとつの結節点を迎えたと感じたのではないでしょうか。
ライナスが作るミニチュアの家は、この作品がイプセンの『人形の家』の現代的解釈であるかの示唆のようにも感じます。『人形の家』が書かれた時代にはノラ(女性)が家を出ること自体が新しい価値観だったのだと思いますが、現代では家はいつでも出られる、出た、それからどうなる、まで描かれる。

家に戻り、シャーロットを旅行に誘った夫ソールへの言葉。

「わたしたち、生まれてからずっと旅をつづけてきたじゃないの。
まだ旅をつづけているじゃないの、
いくらがんばってみたところで、とうてい一箇所に留まっていることなんかできやしないのよ。」

シャーロットが家に戻ったことは「敗北」でも「やっぱり家が一番」でもなく、彼女自身が自分の人生と家族にそそぐ新しい視点をひとつ手に入れたから、だと感じました。