「千年の祈り」イーユン・リー著(篠森ゆりこ訳)新潮クレストブックスを読みました。
反対を押し切って結婚した従兄妹同士の歳月、独身女性教師の埋めようのない心の穴、父と娘のあいだに横たわる秘密など、さまざまな人間関係の心の内を描いた短篇集。
北京生まれで現在アメリカ在住の著者が英語で書いたデビュー作です。
第1回フランク・オコナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ガーディアン新人賞・プッシュカート賞、New York Times Book Reviewエディターズ・チョイス賞など数々の賞を受賞しているそうです。
雑誌yomyomで作家の島本理生さんがおすすめしていたので読んでみました。
表題作「千年の祈り」の中の、印象的な中国の言葉。
「修百世可同舟 (シウバイシークウトンジョウ)」
「誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない。
たがいが会って話すには、長い年月の深い祈りが必ずあったんです。ここにわたしたちがたどり着くためにです。
どんな関係にも理由がある。夫と妻、親と子、友達、敵、道で出会う知らない人、どんな関係だってそうです。愛する人と枕を共にするには、そうしたいと祈って三千年かかる。父と娘なら、おそらく千年でしょう。人は偶然に父と娘になるんじゃない。それはたしかなことです。」
「もちろん、よくない関係にも理由があるんです。わたしは娘のために、いいかげんな祈りを千年やったにちがいない。」
愛する人と結びつくために三千年・・・。
歴史の国・中国の奥深さを感じる言葉です。
この短篇集では一筋縄ではいかない「関係」そして「恋」が数多く描かれています。
そして本人が感じている気持ちと、他人が見たときに「その気持ちに名づけるであろう言葉」がずれているのも感じました。
『あまりもの』で、林(リン)ばあさんが小学生の康(カン)少年に抱いた恋心、でも他人はそれを「母性」と名づけるでしょう。
『市場の約束』で英語教師・三三(サンサン)が自分を捨てた元婚約者・土(トウ)にささげた「約束を破らぬ自分の誇り」、でも他人はそれを「未練」と名づけるでしょう。
『縁組』で少女若蘭(ルオラン)が親代わりのようなビンおじさんにしたプロポーズ、でも他人はそれを「母親への反抗心」と呼ぶでしょう。
周囲の意識と自分の意識の差異。
その複雑な心の模様がたくみに描かれています。
中国社会の中で周縁にいる人々、ゲイであったり、結婚しないまま年を重ねた女性であったり、が周りにどう思われ、本人はどんなことを考えて生きているのか、全作品を通じて、著者が描きたいのはそこではないかと思いました。
「ふぬけ柿(いくじなし)としての屈辱をふと思い出し、つらいときもあるだろう。でも屈辱で人は死んだりしない。この世にしがみついているのがいちばんだ。死んだらどうしようもない。」
マイノリティーであることが世間の好奇の目を受けるだけでなく、職を追われたり、懲罰を受けた時代。
「あの時代にふさわしい言葉は哀しい、であって、若い人たちがよく言う狂った、ではない。」
こういうセリフが作中にありますが、世間の大多数と違う生き方をしている人々に対する理解は、現在の中国ではどの程度進んでいるのか気になります。
反対を押し切って結婚した従兄妹同士の歳月、独身女性教師の埋めようのない心の穴、父と娘のあいだに横たわる秘密など、さまざまな人間関係の心の内を描いた短篇集。
北京生まれで現在アメリカ在住の著者が英語で書いたデビュー作です。
第1回フランク・オコナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ガーディアン新人賞・プッシュカート賞、New York Times Book Reviewエディターズ・チョイス賞など数々の賞を受賞しているそうです。
雑誌yomyomで作家の島本理生さんがおすすめしていたので読んでみました。
表題作「千年の祈り」の中の、印象的な中国の言葉。
「修百世可同舟 (シウバイシークウトンジョウ)」
「誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない。
たがいが会って話すには、長い年月の深い祈りが必ずあったんです。ここにわたしたちがたどり着くためにです。
どんな関係にも理由がある。夫と妻、親と子、友達、敵、道で出会う知らない人、どんな関係だってそうです。愛する人と枕を共にするには、そうしたいと祈って三千年かかる。父と娘なら、おそらく千年でしょう。人は偶然に父と娘になるんじゃない。それはたしかなことです。」
「もちろん、よくない関係にも理由があるんです。わたしは娘のために、いいかげんな祈りを千年やったにちがいない。」
愛する人と結びつくために三千年・・・。
歴史の国・中国の奥深さを感じる言葉です。
この短篇集では一筋縄ではいかない「関係」そして「恋」が数多く描かれています。
そして本人が感じている気持ちと、他人が見たときに「その気持ちに名づけるであろう言葉」がずれているのも感じました。
『あまりもの』で、林(リン)ばあさんが小学生の康(カン)少年に抱いた恋心、でも他人はそれを「母性」と名づけるでしょう。
『市場の約束』で英語教師・三三(サンサン)が自分を捨てた元婚約者・土(トウ)にささげた「約束を破らぬ自分の誇り」、でも他人はそれを「未練」と名づけるでしょう。
『縁組』で少女若蘭(ルオラン)が親代わりのようなビンおじさんにしたプロポーズ、でも他人はそれを「母親への反抗心」と呼ぶでしょう。
周囲の意識と自分の意識の差異。
その複雑な心の模様がたくみに描かれています。
中国社会の中で周縁にいる人々、ゲイであったり、結婚しないまま年を重ねた女性であったり、が周りにどう思われ、本人はどんなことを考えて生きているのか、全作品を通じて、著者が描きたいのはそこではないかと思いました。
「ふぬけ柿(いくじなし)としての屈辱をふと思い出し、つらいときもあるだろう。でも屈辱で人は死んだりしない。この世にしがみついているのがいちばんだ。死んだらどうしようもない。」
マイノリティーであることが世間の好奇の目を受けるだけでなく、職を追われたり、懲罰を受けた時代。
「あの時代にふさわしい言葉は哀しい、であって、若い人たちがよく言う狂った、ではない。」
こういうセリフが作中にありますが、世間の大多数と違う生き方をしている人々に対する理解は、現在の中国ではどの程度進んでいるのか気になります。