Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

「愛・地球博」会場にて。(その4)

2005-07-11 05:54:05 | 愛・地球博
自分の当初の予定から少し遅れる形で瀬戸会場に到着した。
それにしても静かな場所だ。「公園」と言われても違和感がない。

「天水皿」を見てから、「市民パビリオン」へ向かう。

ここの目玉は「対話ギャラリー」と「対話劇場」。
要は「参加し、対話する」事に重きが置かれている。
しかし、時間帯が悪かった。
「対話劇場」は既に終了。「対話ギャラリー」の方は見ていて大変興味深いものがあったが、限られた時間ではゆっくりと見て回れない。その意図を満喫できなかったのは実に残念だ。

市民パビリオンを出ると、「瀬戸日本館」の入館整理券を配布していた。早速受け取る。
午前中のグローバル・ハウスの時もそうだったが、平日ということもあって事前の予想よりも容易に整理券が貰えているような気がする。

整理券の券面を見ると開演時間は15時ジャスト。
まだ時間があるので海上広場に展示されている電気自動車を見つつ開演時間を待つ。
開演5分前に列に並んだが、心なしか余裕を持って行動できていると思う。

「瀬戸日本館」に入ると、四方がディスプレイになっている部屋に案内された。
床面の照明が点滅している。
水滴が落ちるポチャン、ポチャン・・・という音と共に、プロローグの映像が四方に映し出された。
ここのテーマは「心地よい暮らしの原風景」。
風鈴、独楽・・・等々が気持ちよく流れていく。
暑さで火照った身体が癒されていくような感じを味わう。
「心地よい暮らしの原風景」として様々な映像が流れていくが、明治以前に登場した物がモチーフになっているように思った。

結局、日本人の暮らしの原風景は江戸時代までの物がベースになっていると言いたいのだろうが、そうした物を原風景、自らの体験として持っている人は段々減っている。
映像自体は大変良く出来ていて、美しい映像空間を堪能できたのだが・・・。

我々の世代が持つ「心地よい暮らしの原風景」とは何だろうか。
まず、テレビ、ラジオ、夏は扇風機、冬はストーブがあって家族団欒・・・といった物が「原風景」になってくるのだろうと思う。しっかり物質主義に染まっていると自分でも思う。
そんな事を考えている内にプロローグが終了した。

今度はエスカレーターで一つフロアを上がる。
ここがメインの群読 叙事詩劇「一粒の種」が上演されるシアターになる。
シアター全体を使用して上演される演劇はどのようなものだろうか、と思っていたが、いざ始まってみるとその迫力に圧倒された。
最上段の席に座っていたが、その背後の通路を演者が駆け抜ける。
そして、言葉が、歌が飛び交い、自分の奥底に眠る「原風景」が呼び起こされる。
小空間の良さを活かした迫力のある公演だった。
グローバル・ハウスの展示より、こちらの方が心に訴えかけてくるものがあった。
文章ではこれ以上上手く表現できないが、瀬戸会場に来たら、是非見ておくべきだと思う。

「一粒の種」の上演は僅か15分。
実際の上演時間より体感時間は長かった。
その余韻を残して最後のフロア、「アートギャラリー」へ上がる。
これまた時間の都合でバタバタしてしまうが、トップの画像にある風車の集まりを見て、何だか癒されるものがあった。

続いて「瀬戸 愛知県館」へ。
こちらは待ち時間なし、整理券なしで入ることができた。
何ともタイミングが良すぎる。

こちらのメイン展示は「森の劇場」。
海上の森の様子や生き物が「コナラの精」の美声と共に紹介される。
森や生き物の様子が活き活きと映し出されるのをじっと見入っている内に映像は終わった。
「愛・地球博」自体、最初はこの瀬戸会場を中心に展開する計画だった。
それが紆余曲折を経て今の形になった訳だが、それをこれだけ美化して説明しているなぁと思わずにはいられなかった。

映像が終わり、階段状になっているシアターを降りる形でミュージアム空間「森の繭」へ。
ニホンオオカミをはじめとする3種類の絶滅ほ乳類の剥製を見る。
これらの剥製はオランダの「ライデン国立自然史博物館」からの借り物ということだが、自分の国の絶滅種を説明するのに、資料を海外から借りて来なければならない、この国とは一体何だろうと思う。
それは我々が無邪気、無自覚に自然を壊してきた事の証明ではないだろうか。

最後は愛知県内の500校の生徒達がストローや針金等の様々な材料から作った昆虫等が展示される「森の回廊」へ。
実に様々な材料を使って作られた昆虫が目を惹く。
子供達の発想というのは実に多様だと思って「瀬戸 愛知県館」を後にした。

この瀬戸会場、前回触れた時は、「万博後はどうなるだろう」と書いていた。
結論から言えば、「瀬戸 愛知県館」については仮設部分を撤去して恒久的に残る部分を「里山学びと交流の場」として使用することになっている。周辺の施設も同じような用途で残るのではないだろうか。
つまり、既に用途は決まっていた訳で、「どうなるだろう」と書いた己の不明を恥じるのみである。

「瀬戸 愛知県館」を出て、妙に立ち去りがたい気持ちになっていた。
この時点で既に16時を過ぎている。
海上広場に立ち寄って木のおもちゃの実演販売などを見ていると、気分が和んでいる事に気が付く。


しかし、そろそろ長久手会場へ戻らないといけない。
瀬戸会場は18時で閉鎖される。終了時間ギリギリまで居てもいいかと思わなくもないが、そうなると長久手会場での予定に影響する。後ろ髪を引かれる思いで「モリゾー・ゴンドラ」乗り場へ移動することにした。

このゴンドラ、周辺住民のプライバシーに配慮して途中約二分間全く展望が利かなくなる。
非日常感を演出するには滅多に乗れない乗り物に乗せれば良い、と会場と周囲が一望できるゴンドラを作ったのだろうが、そこまでして作る必要があったのかと疑問に思わなくもない。
しかし、往路と同じ燃料電池バスで戻るのも芸がない。
話のタネに一度乗ってみようと思う。



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