森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

来年度のニューロリハビリテーションセミナー

2011年02月14日 22時16分54秒 | インフォメーション


来年度の畿央大学 ニューロリハビリテーションセミナー の日程

基礎編 2011年 7/2(土)3日(日) 定員150名
応用編 2011年 9/10(土)11日(日)  〃
臨床編 2011年 12/3(土) 4日(日)  〃
実践編 2012年 2/25(土)26日(日)   30名

3月には大学のホームページに詳細を掲載します.
なお,受付は4月から開始する予定です.
今年はPT,OT各雑誌に案内を掲載します.
昨年は掲載前に数日で定員に達しましたので・・・掲載できずでした.

今度のニューロリハビリテーションセミナーでは欠落していた「視床」「注意」そして臨床編でタイトなスケジュールになった反省を踏まえてプログラムを構成したいと思います.


さらに今年は,症例検討を含め「フォーラム」を検討中です.
そして,そのフォーラム内で,特別テーマとして「失行」か「痛み」も検討中.

ニューロリハビリテーションは単なる神経疾患のリハビリテーションではありません.
リハビリテーションにニューロを付け加えたものでもありません.
勘違いされているものもありますが,きちんとしたニューロサイエンス,そして人間,文化も含んだブレインサイエンスの理解がないと,
ニューロリハビリテーションの本質を語ることはできないと思います.
そのあたりが,今後日本で理解されるかどうか,この旧体系の階層的医療では難しいかもしれませんが,
異端児であり続けることが,最高のサイエンスであると私は思っていますので,
このやり方で行きたいと思っています.

セラピストこそが,もっともグローバルな脳科学者だと思っています.

データをまとめることだけに執着せず,人間の行為を思考し続けるセラピストに向かってもらいたいと思います.


思考の循環こそが,サイエンスであるし,それがリハビリテーションだと思います.

悩めることこそ,本質.






日記:メタファー生物

2011年02月14日 17時05分02秒 | 日記
先週の金曜日,朝起きると自宅から眺めることができる「かつらぎの道」は一面が銀世界.
久しぶりにこのように雪が積もったのをみました.






奈良に来て7年ですが,
一度,大雪があったのですが,
その日は茨城への出張でした.

金曜日,大学院の入試ですが,
スタートが昼からでしたので,
特に問題なく,開始できました.




後期試験ですが,
前期でもかなりの充足率であり,
後期は狭き門になるか・・・
いずれにしても,大学院を開設して,4年がたちますが,
私学ながら,受験生には恵まれています.
神戸大,広島大などの出身者も畿央大学大学院を受験してくれます.
ネーム,国立大学でなく,そのような選択をしていただけていることは,
私たちの誇りになります.

私学であれども,最高スペックの人材,そして研究をする.
決してその水準は落とさない.
教員が国際ジャーナルに掲載されるような研究,
そして日々の講演や勉強会主催などの社会貢献.
そのようなことを学科全員の教員が意識していることが,
このような結果をつくっているのだと思います.

だから,院生の論文も国際レベルを要求するのです.
中途半端に紀要であったり,博士で日本語であったりは認めるはずがありません.
博士論文は一生つきまといます.
だからこそ,適当では許されないのです.
適当が一生ついてまわるから.

雪の中の入試ですが,無事終了です.

その足で,名古屋経由,富士へ.

しかし,例のごとく,講演が続いており,
もう1月3日より壱日も休んでいない状況で,
ここ最近の執筆続き,院生の学位審査などで,
メニエール症状が再発し,
めまいから立っていられない状況で,
自らの講演以外は保健室で過ごすという失態を招いてしまいました.

懇親会に少しだけ出ましたが22時には寝るという数日でした.

最終日,富士山が顔を出し,心を快に少しシフトさせてくれました.
人間は情動的生物であることを体感しました.

今回の講義はメタファー・概念を考えるいいきっかけになりました.
エリア39,40はまさにヒトの知性の意味を考えさせてくれます.

「森岡 周」という名前は何をメタファーしてるのでしょうか?
「坂本龍馬」という名前は?
「よさこい」とは?
「ロック」とは?


氏名・名称はメタファー.
ことばを持つ人間はまさに高次な生物です.

いまさらながら,人間の行為はメタファー.
学習もメタファーである.
PT,OT,STはすべてを勉強しなおさないといけないと思います.
行為とは身体とは言語とは?
メタファーを理解できれば,人の行為の謎に迫れると思います.


16時に富士山を後にして,20時に家に着き,
めまいのさなか床につき,
翌日(今日),大学に・・・そして,今は一面が銀世界に.







いっそのこと,もっとふれ~と思います.
自分が交通の乱れに巻き込まれなければ,そのようなことを思う.
人間とはまさに高次な生物と同時に自己中心的な本能的な生物であると思います.

人間という名称に何をメタファーするのか?

100年後,1000年後,今の人がネアンデルタールのように語られているかもしれません.