いきなりだけど,ここ最近の仕事量で,
めまいだけでなく,顔中に吹き出物...
免疫が落ちている証拠.
節制しないと.
努力は裏切らないが,
その努力の量を間違ってしまうと,
健康を阻害してしまう.
このような体のサインは脳を休めろというものだと思い,
仕事を数日はセーブしないと.
ただ,この時期は学内の仕事はひと段落していますが,
大学院の審査結果,報告書など多いのです.
執筆関係を整理しないと...
それに講演も.
まだ今年の3月が来ていないのに,
来年の3月の講演も入っている状況です.
そろそろ,後輩が育ってきたので,
彼らの能力が高い場合があるので,
そっちにバトンタッチしていきます.
私の方は新しいプロジェクトに.
そのようにリセットしていくのが成長,発達にはいいものだと思っています.
臨床実習教育も同じです.
自分がやってきたこと,自分が受けた教育.
そういうものが強く残っていると,
担当学生の最近接領域がわからない.
何を援助すれば,この学生が伸びるのか?
その伸びしろを見つけていくことが教育の醍醐味です.
それを自分が受けてきた教育をそのままコピーし,
「だめだ」とレッテルをはるのは,もはや人間でなく下等な動物です.
できなければ,できるようにする.
わからなければ,わかるようにする.
これは学校,これは現場,
そんなボーダーをつくるから今の実習教育は成熟していないのです.
世間はボーダレス.
知らなければ,知るように手続きをつくる,
それが教育です.
いまだに,旧体系の指導的実習が行われているのが現状です.
歴史は繰り返されるのか?
指導と教育は違います.
いずれにしても,1年後はセラピストとして仕事をするわけで,
少なくても1歳でも若ければ,その者に,この世界をバトンタッチしないといけない.
だからこそ,教育的配慮が必要なのです.
学問に「ボーダー」はありません.
知るということはボーダレスなのです.
学校で習ってなければ,それが重要なら教えてあげる.
余裕がなければ,それを攻撃するのみになってしまう.
自らに余裕がないものは,対象者の欠点ばかり気になってしまう.
これができないとか,これがだめだとか,
ネガティブな問題点ばかりに.
脳の注意は一度その視点になってしまうと,
なかなかその呪縛から逃れなれなくなります.
これは患者の病態観察も同じ.
高次脳機能障害があって社会復帰は難しいとか,
悪いのは患者の病態であるという自己防衛システムです.
悪いのは私の治療,そして私と患者の関係性.
経験の呪縛からのがれなければならない.
自分のこれまでの発達をリセットしていく,
そういう人間が常に成長していくのです.
臨床実習教育は,まさにバイザーが成長していく手続きです,
「PTになりたいのか?」「学校へ帰るか?」なんて,
決していうべきではありません.
患者に「よくなりたいのか?」「家に帰るか?」というのといっしょです.
誘導尋問っていうのがあるでしょう.
そのようなことを毎日言われると,なりたくないって脳が思うのです.
脳は毎日,不快な状況に置かれると,
それを防衛するために,前頭前野が「なりたくありません」とか,
「病院には行かない」と意志決定するのです.
うつといっしょです.
根性論ではなく,そういう科学が検証されている以上,
臨床実習教育は変わらないといけないのでしょう.
ダメなのは学生でもバイザーでもない.
その関係性なのです.
問題は関係性にある.
自分がやったもの,自分が受けたもの.
そういう経験をリセットするための経験を構築する.
そのような教育者に巡り合えると学生は幸せである.
若い者はまだ自分で手一杯.
それも仕方ない.
すべては関係性.
偶然でもあり,必然でもある.
さて,専門学校教育と大学教育が混在している意味不明な状況.
大学からきた実習生は「頭でっかち」と言われますが,
頭でっかちで何が悪い!と私は言いたいと思います.
それが呪縛です.
大学教育へのシフトはうわべだけで「できる」学生を生産するのではく,
それを止めてでも「考える」学生を育成する目的です.
むしろ,できる実践が学校でなく,病院.施設に求めるというものです.
それがなかったから,今現在のセラピストは手技というファッションに志向性がいったのです.
頭でっかちで何が悪い!
頭と体のかい離が学生はあるのです.
それをつなぐのが現場でしょう.
それを現場が放棄すれば,私たち,教員が臨床も教育したほうがましだと思うのです.
それだけ,私たちには経験があり,
発達をリセットし続けているのだから.
6割を10割に近づけていく,旅に学生は出ました.
10割になることは生涯ありません.
それを求め続けていくのがプロです.
そのプロの精神を見せるだけで
実習は成功なのです.
ROMだとかMMTだとか・・・そんなの小さい小さい.
夢を語れや!セラピスト諸君.
夢なき者に愛は生まれず.
愛は知識の母である.
知恵は経験の娘である.
めまいだけでなく,顔中に吹き出物...
免疫が落ちている証拠.
節制しないと.
努力は裏切らないが,
その努力の量を間違ってしまうと,
健康を阻害してしまう.
このような体のサインは脳を休めろというものだと思い,
仕事を数日はセーブしないと.
ただ,この時期は学内の仕事はひと段落していますが,
大学院の審査結果,報告書など多いのです.
執筆関係を整理しないと...
それに講演も.
まだ今年の3月が来ていないのに,
来年の3月の講演も入っている状況です.
そろそろ,後輩が育ってきたので,
彼らの能力が高い場合があるので,
そっちにバトンタッチしていきます.
私の方は新しいプロジェクトに.
そのようにリセットしていくのが成長,発達にはいいものだと思っています.
臨床実習教育も同じです.
自分がやってきたこと,自分が受けた教育.
そういうものが強く残っていると,
担当学生の最近接領域がわからない.
何を援助すれば,この学生が伸びるのか?
その伸びしろを見つけていくことが教育の醍醐味です.
それを自分が受けてきた教育をそのままコピーし,
「だめだ」とレッテルをはるのは,もはや人間でなく下等な動物です.
できなければ,できるようにする.
わからなければ,わかるようにする.
これは学校,これは現場,
そんなボーダーをつくるから今の実習教育は成熟していないのです.
世間はボーダレス.
知らなければ,知るように手続きをつくる,
それが教育です.
いまだに,旧体系の指導的実習が行われているのが現状です.
歴史は繰り返されるのか?
指導と教育は違います.
いずれにしても,1年後はセラピストとして仕事をするわけで,
少なくても1歳でも若ければ,その者に,この世界をバトンタッチしないといけない.
だからこそ,教育的配慮が必要なのです.
学問に「ボーダー」はありません.
知るということはボーダレスなのです.
学校で習ってなければ,それが重要なら教えてあげる.
余裕がなければ,それを攻撃するのみになってしまう.
自らに余裕がないものは,対象者の欠点ばかり気になってしまう.
これができないとか,これがだめだとか,
ネガティブな問題点ばかりに.
脳の注意は一度その視点になってしまうと,
なかなかその呪縛から逃れなれなくなります.
これは患者の病態観察も同じ.
高次脳機能障害があって社会復帰は難しいとか,
悪いのは患者の病態であるという自己防衛システムです.
悪いのは私の治療,そして私と患者の関係性.
経験の呪縛からのがれなければならない.
自分のこれまでの発達をリセットしていく,
そういう人間が常に成長していくのです.
臨床実習教育は,まさにバイザーが成長していく手続きです,
「PTになりたいのか?」「学校へ帰るか?」なんて,
決していうべきではありません.
患者に「よくなりたいのか?」「家に帰るか?」というのといっしょです.
誘導尋問っていうのがあるでしょう.
そのようなことを毎日言われると,なりたくないって脳が思うのです.
脳は毎日,不快な状況に置かれると,
それを防衛するために,前頭前野が「なりたくありません」とか,
「病院には行かない」と意志決定するのです.
うつといっしょです.
根性論ではなく,そういう科学が検証されている以上,
臨床実習教育は変わらないといけないのでしょう.
ダメなのは学生でもバイザーでもない.
その関係性なのです.
問題は関係性にある.
自分がやったもの,自分が受けたもの.
そういう経験をリセットするための経験を構築する.
そのような教育者に巡り合えると学生は幸せである.
若い者はまだ自分で手一杯.
それも仕方ない.
すべては関係性.
偶然でもあり,必然でもある.
さて,専門学校教育と大学教育が混在している意味不明な状況.
大学からきた実習生は「頭でっかち」と言われますが,
頭でっかちで何が悪い!と私は言いたいと思います.
それが呪縛です.
大学教育へのシフトはうわべだけで「できる」学生を生産するのではく,
それを止めてでも「考える」学生を育成する目的です.
むしろ,できる実践が学校でなく,病院.施設に求めるというものです.
それがなかったから,今現在のセラピストは手技というファッションに志向性がいったのです.
頭でっかちで何が悪い!
頭と体のかい離が学生はあるのです.
それをつなぐのが現場でしょう.
それを現場が放棄すれば,私たち,教員が臨床も教育したほうがましだと思うのです.
それだけ,私たちには経験があり,
発達をリセットし続けているのだから.
6割を10割に近づけていく,旅に学生は出ました.
10割になることは生涯ありません.
それを求め続けていくのがプロです.
そのプロの精神を見せるだけで
実習は成功なのです.
ROMだとかMMTだとか・・・そんなの小さい小さい.
夢を語れや!セラピスト諸君.
夢なき者に愛は生まれず.
愛は知識の母である.
知恵は経験の娘である.