森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:ことばによる教育の前に

2011年02月25日 23時16分12秒 | 日記
ここ最近は3年生の評価実習の訪問が続いています.
今年はいつも行く場所でなく,違った施設に足を運んでいます.
高知の教員時代は,1期間に15施設ほど訪問に行く時もありました.
6週連続実習訪問なんかは当たり前でした.
授業も週7コマあったり,よく研究をしていたなと昔の自分に感心します.
今はすっかり弱くなりました.

高知の時は,20代半ばから訪問に出て,
全国各地の施設へ.
毎年,行く施設を変え,ほとんどの施設に訪問した記憶があります.
その時の人脈が今なお私を育ててくれます.
よく先輩PTに怒られたものでした.
叱られたでしょうか・・・
教えているノートを持ってこいとか,
実習訪問するタイミングが3週目だと早い,
6週目だと遅いと怒鳴られ,
少し訪問の時間が遅れると,学生の前でこっぴどく叱られました.
それも今になっては良い経験です.
当時の自分には何の実績もなく,
信頼されていませんでした.

学生のためにも,信頼されなければならないと思い,
がむしゃらに勉強し,そして実績をつくり,
今に至ります.
今なお,勉強です.
だから,新しい施設に行くと,久しぶりに新鮮な自分に戻ることができました.

キャリアを持っている先生たちは実に優しい.
学生と一緒に現象を調べるという姿勢で,
変化を一緒に楽しんでいる.
実習は現象を自分のからだで体感することです.
だから,見て,聴いて,感じての学習です.
痙性麻痺一つも肌で感じたことがない.
だからこそ,さわって,その感じを自分の体にしみこませる.
そして,リハによって,変化が起こったことを体感させ,
バイザーとともにそれを喜ぶ.
喜ぶという視点が一番大事だし,
その前の驚くということが実習では一番大事なのです.

ピアジェが知能の発達の最初にあげたのが,
感覚運動段階です.
そのあとに言葉による学習,そして,イメージ・予期による学習が生まれるのです.
だから,学生の言葉はたまに,突拍子もないことに.
けど,その突拍子もない言葉が,実は臨床のブレークスルーになることもあります.
現場にいると,盲目になり,現象に対して先入観で見てしまうことが多々あります.
片麻痺にしろ,高次脳機能障害にしろ,知識が邪魔する場合もあります.
だからこそ,学生のたまに,とんでもないと思われることが,
実は検証可能性となることもあるのです.
それをバイザーと学生が共同注意しながら,一緒に楽しむ.
それが教育の原点です.

何かを知るためには,言葉だけでなく,自らのからだに基づく感覚が大切です.
言葉はそれになったとき,すでに過去です.
一方,体の感覚はつねに現在進行形です.

「これは何?」とかと質問攻めしたり,「わからなかったら調べてきて!」とか,さらにはレポートでのフィードバックは,言葉の学習ですし,
すでに過去です,レポートなんかは過去の過去.
言葉の学習の前にからだの学習が発達には必要なのです.
子どもが母親から言葉を学ぶのも,まずは身体経験からです.
突然,ことばが生まれるものではありません.

若い指導者だと,こたえられない問題をわざわざ質問し,それを質問ぜめしたりする.
それもその者の脳.
自分の自身がないと,ついつい無意識にそのようにして威圧・恐怖を与え,従属させるようにしてしまう.
けれども,学生には答えられなかったという経験がどんどん蓄積され,
負のスパイラルとなり,学習性無力感が形成されてしまいます.
これが形成されると,セラピストになりたくないと思い始めます.
なぜなら,なりたいと思って実習にきたのに,自分は何もできない,
だから,そこにかい離が出現し,脳はその矛盾をぬぐいさるために,
無意識に,できない・こたえられない,だから向いていない,なりたくないとつじつまを合わせようとします.

片麻痺のまひの学習も同じ神経システムです.

だからこそ,最近接領域で,問いかけたりしなければなりません.
あえて,わかりそうな問題を選び,
そこから枝をつけてあげるのです.
強化学習のシステムを勉強していれば,
そのようなことは容易に理解できるでしょう.

脳科学って大事なんですよ~


さて,

私はレポートのフィードバックは必要ないと思っています.
現場の現象を一緒に調べて,一緒に見つけて,一緒に喜ぶ,
そうした教育が一番大切だと思っています.
現場で勝負できないと,ついつい,レポートや質問攻めにしてしまいます.

学習の原点は「楽しむ」ことであり,
明日が「楽しみ」と思わせることが,真の教育者です.
そうでなければ,偽善者です.
基本的には普通であれば,全員合格です.
楽しむ実習ができていれば,みんな合格のはずです.
人間の本質であるので.
そこには優劣はありません.


あとは,知らないことはわからないという勇気が必要でしょう.
症状はわからないことだらけです.
ここまでは解明できるけど,こっからはわからないな~と学生にいい,
検証できたことと,できないことを教え,検証するためには,と考えさせ,
検証可能性を未来に託す必要があるでしょう.

今の学生には,未来のリハを背負ってもらわないといけません.
平成生まれですよ!
我々が引退したのちも,リハが人々の幸せを与えるということを保証するために,
臨床実習教育があるのだと思います.


絶え間ない現象を検証している姿を見せるだけで,
臨床実習教育は成功するのだと思います.
まだ経験が未熟であるのに,指導者として成立するのも問題ですが,
そうは嘆いてはいけません.


一方,セラピストが多くなるから実習を厳しく!という本末転倒なことをいう協会の役員もいますが,
実習に出た以上,それを教育効果として引き揚げることが先輩としては使命なのです.
患者が入院してきて,効果を出すように,
この施設に来れば,学生の教育効果を上げるという志をもってもらいたいと思うのです.

それを病院の業務外だからと放棄すれば,
結果として,中途半端な教育しかできず,
最終的にはその学生が就職して,
質をどんどん落とせば,
それがセラピストの全体の質となり,
最終的には診療報酬までにひびき,
結果として,今いるセラピストの首をしめることになって,
負のスパイラルにおちいるのです.

関係ないではすまされず,
セラピストとして免許を取った以上は,
臨床だけでなく,教育というものから逃れられないのです.




学生は睡眠時間を相当に減らしていますが,
それも厳禁です.
睡眠不足は思考を停止します.
寝ている間に記憶を整理します.
起きている時は脳は実行するために,相当に組織がとられますが,
寝ていると実行する必要がないので,
その間,ゆっくりと情報処理部隊が関係し合うのです.

忙しい時は部屋が散らかっても,
暇な時は部屋の整理ができる.
脳にはからだの休息が必要なのです.
睡眠2時間とか,3時間とか論外です.
そんなこと,競い合って傷のなめ合いはしないように!

睡眠は多いけど,実習はそつなく.
そんな方が実にスマートだし,格好いい.
自分なんか,すぐ寝てた記憶しかない.
それは先生だからとよく言われますが,
勉強ができるとか,できないとかじゃなく.
メタ認知能力なんだと思います.

そんなに力をいれなくても,時がたてば経験が生まれる.

無理してもダメなものは,ダメ.
けど,それが個性なんだろうな~と思います.
それが自分スタイルっていうやつで,苦労症は死ぬまで苦労症なんだろうなあ.
それを分かってくれる上司に巡り合えれば,その苦労も楽しむことができるけど...
うだつがあがらないものは世の中にたくさんいますが....
だから,社会はシステムとして構成するのでしょう.


いずれにしても,自由度のある,そしてリラックスして,
ほどよく切迫感のある実習がいい.
そして,何よりも「楽しむ」という本能を惹起させるような.

県立奈良病院の門脇先生に久しぶりにお会いし,
理想の臨床教育者であると称賛する次第でした.
今度は奈良の夜に再会しましょうと後にしました.
「大阪にばかりお金を落とさず,奈良にも落としよ!」と高知のイントネーションで言われ,
こっちも思わず,高知のイントネーションで「夜,つれてってくさだい」と切り返しました.

酒は高知県人から切り離せぬものかもしれません.
すっかり弱くはなりましたが・・・


学校では楽しそうでない表情だった学生が,楽しいです!と病院で迎えてくれたとき,
臨床実習教育の成功を確信します.
実習は指導者と学生の関係性です.
だから,学生の評価は指導者の評価でもあるのです.

コミュニケーションもスキルです.
できなければ,先輩として教えるだけです.
それは学校の仕事でも病院の仕事でないボーダレスな人間,社会教育なんだから.