森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

リハビリテーションこそが脳の科学である

2010年01月20日 23時59分15秒 | 過去ログ
本日は明日のコミュニケーション心理学と人間発達の講義資料作成を行う。
コミュニケーションのほうでは、メタ認知とメタファー言語を取り上げ、
身体運動に伴うメタファー言語が脳の抽象的な表現となり、
それが言語と運動を結び付ける重要な発達であることをさししめす予定である。
とりわけ、容器のメタファーは、行為の大きさに大きく関係する。

人間発達のほうでは事例を作成した。
発達障害の行動から認知レベル、神経レベルの両者を考察するという手続きに入る。
難易度は相当に高い。
大学生活で最も頭を使うかもしれない。

3年生のゼミを行い、
臨床実習はあくまでも通過点にすぎない。
私の今からは臨床実習はよき経験であるが、
もうそのとき考えていた思考はほとんど存在しない。
自分が大きく変わった。
その後の臨床、研究、教育のプロセスで。

「なんちゃ~じゃないき」「たいしたことない」

18時半より東朋香芝病院で講義スタート。
今回で4回目。
これまでの3回は高次脳機能障害であった。
今回はオープン勉強会。

そこで、私はつくづくPTが原点にあると思った。
高次脳機能障害のときは、丁寧かつやさしい表現で講義したが、
今回は麻痺と機能回復。
やはり、私の原点には麻痺がある。
相当にきつい口調だったように思う。

脳卒中片麻痺。
私は臨床中、幾度もなく、この怪物に挑んだが、
おそらく数100名を超える担当のなかで、
自分自身の治療効果!と思えるのは数少ない。
ほとんどが敗れてしまった。
だからこそ、今なお、それに挑んでいる。

脳だけでも、筋だけでも、脊髄だけでも、ダメだ。
それらがどのように連結しあい、
どのように行為を生み出しているのか?
その知識の深さと広さに、
臨床におけるリーズニングが相関するだろう。
とにかく、現状の知識では、この麻痺に対してみなかったことと蓋をするのみ。

麻痺に固執してはならないと聞く。
それは患者目線であり、必要なことであるが、
私自身、つまりセラピスト目線で、それが許されるだろうか。

昨日のプロフェッショナルに出てきた移植外科の医師の志からは、
現状のセラピストの志は程遠いようにも思う。
とにかく夢と言われようが、現実を見ろといわれようが、
それに挑む志と、絶え間ない努力が必要である。
現実を見れば、利き手交換かもしれないが、
最終的なセラピストの、あくまでもそのケースに対するリーズニングであり、
全体論には当てはまらない。
「夢」を実現するのが、人間の知恵である。

まだまだ脳―脊髄―筋のネットワークについて十分に理解していないのならば、
理解すること。
とにかく勉強あるのみである。


そんな思いもあって、今日の講義は厳しく、難しかったと自省しつつ、
セラピストの目が死んでいる(メタファー)のも気になった。
「気概」を感じないということは、麻痺に困っていないのかもしれない。
高次脳機能障害のときは、それを感じなかったということは、
失認などは何とか治療しようと思っているが、
麻痺はある程度潜在的にしかたないと思っているのかもしれない。
非常にそれが気になった。
私の思い違いならよいが。


特にPTは運動の専門家。
だとしたら、この運動障害について勉強するということは当たり前の手続き。
脳が損傷している病気に対して、運動を生み出す脳のシステムについて知らなきゃ・・・



定年まで踏ん張り、次世代に引き継ごうじゃないか。
せめて。

現在のセラピストは、未来のセラピストにセラピーを託す責任がある。


リハビリテーション科学こそが、地についた脳の科学である。


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