森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ニューロン活動を呼び起こす

2010年01月27日 21時10分37秒 | 過去ログ
また、こじゃんとブログがあいた.
書く内容が相当にあったが,タイプする時間がなく,
睡眠を削らしてまでブログはしたくないので,そのまま放置していた.

金曜日は岡山での講義.
昼間部は今日が最後(夜間部はまだ数回残っている).
教育学の授業なので,学びの手続きに関してフィニッシュされるが,
最後に,一理学療法士として,理学療法士になろうとする者にメッセージを送り,
未来を託した.
みんながセラピストになるころには今よりも数段明るい世界になっているよう.
なっていなければ,自分の手でその道を開拓すべき.
まだまだ道は開拓する余地がある.
余地だらけかもしれないが.

土曜日の朝の電車に乗り,一路奈良まで.
着替えに帰り,そのまま大学院の研究大会に参加のため,
M1のメンバーと桜井市の大正楼まで.
その名の通り大正の建物のようなノスタルジーを感じる.
床が傾いていることを感じ,とてもうれしく思う.
パリのアパートは石造りでありが,1700年代の建築物であり床は凸凹だった.
古い建物には生命が宿っている.
水平垂直な世の中,身体で感じることができなくなっている.
本来,自然は凸凹なのだ.

昨年は雪の中の信貴山でやった。



M2の修士論文の発表を聞き,
どれもよく考察していると,この2年間の完成度を感じるが,
パーフェクトではない,もちろん,そのような言葉は主観にはない.
限りなく,自分自身の考えに対して批判を加え続けることだ.
それが自分の道になる.







博士課程の3名のおかげで,いくつかシビアな指摘もあり,
彼らが研究室の主軸になってきたことに感心する.
どこでもそのように吟味しないといけない.
私がもっとも嫌うのは,何も言わない無関心な関係である.
何かを言う,発言するというのは,興味を持っているからである.
自分が指摘を受けるということにネガティブにならず,興味を持たれていると思えばよい.
どこのだれであっても仲間なんだから.
それは研究室に限ったことではない.すべてに当てはまる.



19時より夕食をいただき,深夜2時まで会話の花が咲く.

腹をわって話す,ということが,必要なのである.

職場だけ,っていうのは良くない.

日曜日の朝,7時に起き,みんなで大学にもどり,
16時まで討議の続きを行う.



M1の発表に進み,
荒削りであるが,進み始めたことに,
研究室が縦と横の関係で機能し始めたと思い始める.
まさにシステムである.
1年後にはさらにこのシステムが発展しているのだと思った.

結構に疲れ果て,家に戻り,
翌日の講演スライドを1枚も作っていないが,
とにかく,休みを優先し,
その日は龍馬伝を見て,眠りについた.
翌朝,起き,月曜日であるが,講演のスライドを一気に40枚作り,
その足で,吉野郡の下市町まで向かう.
初めて近鉄の吉野線を利用する.
途中,単線になり,THE田舎を感じる.



これまたノスタルジーな商店街を抜け,
会場まで.
会場では吉野郡保健主事会会長で阿知賀小学校長の羽山先生にお出迎えいただき,
4年前に奈良県の教諭のために開催した公開講座での私の講演が最初の出会いであるとアナウンスしていただいた.
当時は単なる若造の脳の講義であったが,
それに関心をいただき,感謝する次第である.
人とのつながりを大事にしたいと心より思った.

40名ほどの養護教諭,保健師の方々で,
全員女性であり,その圧倒的なパワーに負けそうであったが,
なんとか,自虐ギャグをいれながら,脳の話をした.
鍵は「共同注意」である.
教育の原点である.

羽山先生に下市口駅まで送っていただき,16時18分の電車に飛び乗った.
そのまま,長い道のりの東京まで.
深夜に入り,翌日,科研費研究の打ち合わせを行い,
打ち合わせ後,新幹線に乗った.
とてつもなく,移動ばかりのGを受け続けた腰が悲鳴をあげ,
私に,グリーン車を選択させた.

それでもきついことを感じ,
夜,奈良に帰り着いた.
吉野~東京のショート旅はまたもや私に過酷という免疫をつくった.
気力はあり続けたいと思う.

そういや,行きもグリーン車だったが,
吉本新喜劇の山田花子さんと一緒だった.
芸能人は毎週のように移動している.

それから見れば,このような移動は大したことない.
まだまだ,脳も身体も鍛えられる.
脳細胞は1000億個あるが,そのほとんど,ふつうの生活では使っていないのだから.
眠っているものを呼び起こすように,新たなチャレンジや,新たな人と出会い,
違う結合を作っていきたい.
脳を育むということはそういうことなんだから.


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