土曜日は朝早く福井県に向けて出発する.
福井には1年ぶりで,前回は県士会の講演であった.
福井駅につくと,駅前開発されていた.
福井県こども療育センターまで迎えに来ていただいた車で向かう.
県立病院,看護学校,こころ療育センター,養護学校などが統合された近代的な建物であり,提供できる医療福祉サービスの一元化により,どれだけ深いサービスが提供できるかが,こういったシステムの根幹ではないかと思った.
林先生,中村先生と打ち合わせを兼ねた食事をとり,
「ロマンティックリハビリテーション」の写真集をみての
講演依頼は初めてであり,その分,感情が動かされたことを話した.
講演前に,小児科医でセンター長の春木先生と「オートポイエーシス」の話をして,
盛り上がる.
子どものリハビリテーションはcontracture予防のための手足を曲げ伸ばしすることでない,という視点をセンター長からいただく.
子どもの発達を考える上で,現在提供されている40年間継続されているリハビリテーションは小児科医からみても不思議そうである.
「変わっていない」ということをセラピストは認識すべきである.
「わかっていない」のでもあり,「わかろうとしない」のでもある.
ボバースだとか,ボイタだとか,争ってもしかたないし,
もっと,「行為」とは「認知」とかは何かを議論し,
「生きる」ということは何のかを考え続けないといけないと思うが,
PT・OT教育は人形を診る医学であるために,それも難しい.
まなざしを理解しようとする医療をどう考えるか?
これからのセラピストは乗り越えてもらいたい.
講演は保護者,子どもたち,セラピスト,学生,看護学生,医師,教諭,ワーカー,など,多岐にわたり,200名の受講者に対して,一律の展開に無理があったが,
いくつかの視点は提供できたと思う.
「難しい」との意見があったが,反省はしつつ,
「難しいのである」とも考えた.
子どもの生きているっていう点はもっと難しい.
それを考え続けることも「ロマンティックリハビリテーション」なのである.
講演終了後,小児科医長の津田先生,その奥さんで小児科医で津田先生と楽しい議論になった.
臨床経験豊かなお二人の科学的視点と,私の文献調査における視点がいくつかの点で接近して,お互いに腑に落ちた瞬間に出会った.
まさに「創発」されるという点である.
情報はエマージェンスされる.
一方向の刺激であればエマージェンスされない.
刺激から情報へ.
その一つの視点だけでも子どものリハを提供してもらいたい.
もはや「理学」という表現は終わった感がある.
40年間手も足も出ないのだから,子どもの「理学療法」は.
小児科医の方々はやわらかさを感じた.
思考も,感情も柔軟なのである.
外科とは違う感覚をいだいた.
将来的にはいろんな展開に結び付けたい.
終了後,林先生に洒落た靴磨きセットをいただき,
感謝しながら,福井を後にした.
帰りのサンダーバードではもはや記憶がない.
今月の7本の講演のうち,4本が終わった.
あと3本・・・
福井には1年ぶりで,前回は県士会の講演であった.
福井駅につくと,駅前開発されていた.
福井県こども療育センターまで迎えに来ていただいた車で向かう.
県立病院,看護学校,こころ療育センター,養護学校などが統合された近代的な建物であり,提供できる医療福祉サービスの一元化により,どれだけ深いサービスが提供できるかが,こういったシステムの根幹ではないかと思った.
林先生,中村先生と打ち合わせを兼ねた食事をとり,
「ロマンティックリハビリテーション」の写真集をみての
講演依頼は初めてであり,その分,感情が動かされたことを話した.
講演前に,小児科医でセンター長の春木先生と「オートポイエーシス」の話をして,
盛り上がる.
子どものリハビリテーションはcontracture予防のための手足を曲げ伸ばしすることでない,という視点をセンター長からいただく.
子どもの発達を考える上で,現在提供されている40年間継続されているリハビリテーションは小児科医からみても不思議そうである.
「変わっていない」ということをセラピストは認識すべきである.
「わかっていない」のでもあり,「わかろうとしない」のでもある.
ボバースだとか,ボイタだとか,争ってもしかたないし,
もっと,「行為」とは「認知」とかは何かを議論し,
「生きる」ということは何のかを考え続けないといけないと思うが,
PT・OT教育は人形を診る医学であるために,それも難しい.
まなざしを理解しようとする医療をどう考えるか?
これからのセラピストは乗り越えてもらいたい.
講演は保護者,子どもたち,セラピスト,学生,看護学生,医師,教諭,ワーカー,など,多岐にわたり,200名の受講者に対して,一律の展開に無理があったが,
いくつかの視点は提供できたと思う.
「難しい」との意見があったが,反省はしつつ,
「難しいのである」とも考えた.
子どもの生きているっていう点はもっと難しい.
それを考え続けることも「ロマンティックリハビリテーション」なのである.
講演終了後,小児科医長の津田先生,その奥さんで小児科医で津田先生と楽しい議論になった.
臨床経験豊かなお二人の科学的視点と,私の文献調査における視点がいくつかの点で接近して,お互いに腑に落ちた瞬間に出会った.
まさに「創発」されるという点である.
情報はエマージェンスされる.
一方向の刺激であればエマージェンスされない.
刺激から情報へ.
その一つの視点だけでも子どものリハを提供してもらいたい.
もはや「理学」という表現は終わった感がある.
40年間手も足も出ないのだから,子どもの「理学療法」は.
小児科医の方々はやわらかさを感じた.
思考も,感情も柔軟なのである.
外科とは違う感覚をいだいた.
将来的にはいろんな展開に結び付けたい.
終了後,林先生に洒落た靴磨きセットをいただき,
感謝しながら,福井を後にした.
帰りのサンダーバードではもはや記憶がない.
今月の7本の講演のうち,4本が終わった.
あと3本・・・