森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

こころのやわらかさ

2009年11月16日 12時22分29秒 | 過去ログ
土曜日は朝早く福井県に向けて出発する.
福井には1年ぶりで,前回は県士会の講演であった.
福井駅につくと,駅前開発されていた.
福井県こども療育センターまで迎えに来ていただいた車で向かう.

県立病院,看護学校,こころ療育センター,養護学校などが統合された近代的な建物であり,提供できる医療福祉サービスの一元化により,どれだけ深いサービスが提供できるかが,こういったシステムの根幹ではないかと思った.

林先生,中村先生と打ち合わせを兼ねた食事をとり,
「ロマンティックリハビリテーション」の写真集をみての
講演依頼は初めてであり,その分,感情が動かされたことを話した.

講演前に,小児科医でセンター長の春木先生と「オートポイエーシス」の話をして,
盛り上がる.
子どものリハビリテーションはcontracture予防のための手足を曲げ伸ばしすることでない,という視点をセンター長からいただく.
子どもの発達を考える上で,現在提供されている40年間継続されているリハビリテーションは小児科医からみても不思議そうである.
「変わっていない」ということをセラピストは認識すべきである.
「わかっていない」のでもあり,「わかろうとしない」のでもある.
ボバースだとか,ボイタだとか,争ってもしかたないし,
もっと,「行為」とは「認知」とかは何かを議論し,
「生きる」ということは何のかを考え続けないといけないと思うが,
PT・OT教育は人形を診る医学であるために,それも難しい.

まなざしを理解しようとする医療をどう考えるか?
これからのセラピストは乗り越えてもらいたい.

講演は保護者,子どもたち,セラピスト,学生,看護学生,医師,教諭,ワーカー,など,多岐にわたり,200名の受講者に対して,一律の展開に無理があったが,
いくつかの視点は提供できたと思う.
「難しい」との意見があったが,反省はしつつ,
「難しいのである」とも考えた.
子どもの生きているっていう点はもっと難しい.
それを考え続けることも「ロマンティックリハビリテーション」なのである.

講演終了後,小児科医長の津田先生,その奥さんで小児科医で津田先生と楽しい議論になった.
臨床経験豊かなお二人の科学的視点と,私の文献調査における視点がいくつかの点で接近して,お互いに腑に落ちた瞬間に出会った.
まさに「創発」されるという点である.
情報はエマージェンスされる.
一方向の刺激であればエマージェンスされない.
刺激から情報へ.
その一つの視点だけでも子どものリハを提供してもらいたい.
もはや「理学」という表現は終わった感がある.
40年間手も足も出ないのだから,子どもの「理学療法」は.

小児科医の方々はやわらかさを感じた.
思考も,感情も柔軟なのである.
外科とは違う感覚をいだいた.
将来的にはいろんな展開に結び付けたい.


終了後,林先生に洒落た靴磨きセットをいただき,
感謝しながら,福井を後にした.


帰りのサンダーバードではもはや記憶がない.


今月の7本の講演のうち,4本が終わった.
あと3本・・・


思考の羅針盤

2009年11月13日 16時36分20秒 | 過去ログ
秋風から冬風に変わりつつある.
枯れ葉舞う大学前の高塚地区公園.
一気に木枯らし舞う冬支度となろう.









12月になれば,帰省できる.
それを目標に,すべての今ある仕事をフィニッシュさせなければならない.
欧州人が夏の3週間のバカンスのために仕事をしているように,
自分も正月のために仕事をしている感がある.
そう思わないと,週末の講演をやってられない.

昨日,嵐の番組に広末涼子が出ていた.
「とっても4乗,高知好き」「とっても4乗,よさこい好き」と出ていた.
高知県人は郷土愛が強すぎる.
かくゆう,私もそうだし.
最近では作家「山本一力」もそうだ.


昨日は,卒論の添削指導をしたのち,AM,教育学部のコミュニケーション心理学.
非言語的コミュニケーションの根幹である「情動」の伝達について,
表情認知に関することを話した.
Mr.Brainの一場面を流した.
記憶障害があっても表情認知は保たれるという相武さきと亀梨くんの場面を利用した.

PMは理学療法学科の人間発達学.
昨日から,道徳心と人格の発達に少し入った.
情動の発達に少し時間がとられ,少しであるが.
新生児の世界との対話は「快」「不快」であるが,
乳幼児の世界との対話は「基本的情動」である.
「嫌悪」「恐怖」「驚き」「悲しみ」「怒り」「幸福」の.
嫌悪感から人格が発達するモデルを少し話した.

それが学童期に入ると,高度な感情を用いて対話を試みる.
それには,認知プロセスが関与する.
複雑な感情の形成には自らの経験が必要だ.
恥だとか,尊厳だとかは,大きく文化,思想に影響を受ける.
それにより,自らの価値判断を導き出す.
高度な感情とは価値観でもある.
大脳皮質(とりわけ前頭葉)と大脳辺縁系の荘大なネットワークにより生まれる.
感情とは環境によって育てられるものである.
その根源となる感覚が触覚経験である事実が基礎,臨床の両面から明らかになっている.

その後,院生の研究をみて,学科会議に参加し,
そのあと,残った1名の院生の中間発表会に出て,叱咤激励した.
よい研究を模倣することからスタートさせてください.
まずは模倣学習です.
「よい研究」というのがみそです.


その後,院生らの研究に手を加えた.


今日は,本来なら朝日リハの講義であるが,
大学に来て,研究費の管理を行い,
その後,NHKのエグゼクティブディレクターがこられ,
加齢,高齢者,姿勢バランス,認知機能,ワーキングメモリ,dual task,運動器疾患,脳機能,前頭葉,小脳,学習,痛み,等をキーワードに2時半半ほど情報を提供・交換した.

運動器を脳から捉える時代に来ているが,
その先駆的研究者が以外といないことに気づいた.

NHKに寄せられる読者の思いは切実であり,
今まで通りの出力一辺倒の運動をしても,
バランスや痛みは何ら解決できていない,
という思いに,どれだけ医療者は答えられるか.
そこがディレクターからの要望でもあった.

そのヒントは提供できたと思う.

運動器の10年が2010年で終了する.
しかし,運動器疾患のニーズは10年前とほとんど変わっていない.
科学は進歩しているのに医療は足踏みしているともいえる.

神経と運動器を融合,
いや,そもそもは脳と身体は一つとして考えなければならないことから,
それらの両面を知識として持ち得なければ,
これからの運動器に対する介入は展開できないかもしれない.
整形外科に任せても,神経科に任せても難しい.
分化しすぎてしまった.
整形外科にとって「脳」は遠すぎる.
リハビリテーションも結局,その教育がされている以上,
運動器リハビリテーションにとって「脳」は遠すぎる.

「人間」をみるといいながら,筋骨格系の「人形」診ている医学を教えているから.
「心」と「身体」その理解をさせるような教育は本当に可能なのか?
最近は自分が生きている間に展開されているか半信半疑になってきた.

理学療法や作業療法の教育は,3年やそこらでできるはずがないし,
今の偏差値においける「マニュアル」教育でも難しい.
ましてや,人間性からたたきなおさないといけない「前頭葉」が未熟な「学生」が増えてきたのも経験則でしかないが事実である.

「教育」は「羅針盤」を失いつつあるのではないか?
それは,国家試験の羅針盤でなく,
思考の循環の羅針盤である.

そう嘆いてもはじまらない.
とにかく地道にしゃべっていくしかない.


福井県こども療育センター 専門機能強化事業「療育研修会」

2009年11月12日 19時53分32秒 | 過去ログ
福井県こども療育センター 専門機能強化事業「療育研修会」
日 時:平成21年11月14日(土)13:00~16:30
場 所:福井県立看護専門学校 多目的ホール
テーマ:子供の脳の発達(脳科学の観点から) ~人間に対する興味が科学の出発点~
講師:森岡 周(畿央大学)
対 象:こども療育センター利用児,者の保護者,職員,県内外の医療,教育,福祉関係者,学生


研究は道を歩くのではなく,道をつくるものである

2009年11月12日 12時53分10秒 | 過去ログ
昨日は授業準備をAM行い,
同時にその日の講演資料を作成した.
ほとんどの講演のスライドも1時間もあれば作成可能であるが,
新たな情報を得るときは,「思考」を巡らせる時間がかかる.

PM,3年生のゼミを行い,
Pre-SMAとSMAの運動学習における違い,
そして右脳,左脳のSMAの働きに論議がいった.
運動の難易度は最近接領域が関わる.
単に抗重力位だとか,多関節運動とかで決定されるものでない.
運動知覚と運動実行の両方が必要な場合,
右手の運動だろうが,同側の関与が大きくなる.

自己の身体を用いて,脳がどのようにかかわろうとしているか,
自己のからだを用いて研究(思考を巡らせてほしい)してほしい.
誰かの受け売りでない,自分の研究を展開するためには,
自己の受容器から思考を巡らせることが肝心である.

研究には自己所有感が必要である.

18時より東朋香芝病院で講義.
今日はagnosiaの神経科学と介入であった.

今堀リハセンター長,脳外科医長のオープニングレクチャーのfMRIのイメージ脳の見解が面白かった.
脳の中には自己の経験がある.

今堀先生からの質問で相互作用した瞬間があった.
左無視の患者に対して左側から刺激を加えると右脳が活性化するが,
その関係で,半球間抑制が起き,逆に右側の視野に眼球運動がみられなくなってしまった症例がいたことに関して,先生との討議が私の脳を揺さぶった.

情報化の視点からバランス状態が大事である.
なにごとも.

その後,スタッフと話をする.

院に入りたいものもいるが,

「研究は道を歩くのではなく,道をつくるものである」ということばを送った.

もし,現代にシェリントンがいたらと考えると,
違う方向にいっていたのかもしれない.

道はつくられてきた.

過去を否定するばかりでなく,
あるいは,科学でなく根拠ばかりを優先して,
紋切型志向でなく,自らの道をつくってもらいたい.

科学はいつも揺らいでいる.
その揺らぎこそが先端なのである.
先端は地よりも揺らぐ.
それが現象なんだから.


網目が絡みつかない程度に

2009年11月10日 16時04分53秒 | 過去ログ
Finishさせても,それ以上にいろんな原稿,講演の資料づくりが舞い込んでくる.
その辺りからか,学務にも少し支障がきており,襟を正すべきであると思う.

月曜日は,福岡ハンド,そして東朋香芝の資料作成し,
次年度の大学の教育研究備品に関する検討を業者と行い,
その作文を少し行う.
空間だけでなく,時間分析も高度にしたくなる欲求がわくが,
そのまえにきちんと論文化しないといけない.

私の本業は授業をすること,学生を教え育てることであるが,
やはり,研究というものを展開する時間なくしては,
自分の精神がすたれる.

時間をコントロールするのも脳の極みである.

今度の日本理学療法士協会広報誌の「PTあ」の原稿を読み,
少し赤を入れ,アートディレクタに送信する.

そののち,18時より大学院の授業.
今日は脊髄の神経可塑性の話と,
注意機能(大脳皮質機能)による脊髄のシナプス前抑制機構について話した.

19時40分よりは,研究室ゼミ.
高木君から,視覚を用いた運動錯覚の研究が取り上げられ,
彼のオリジナルな仮説を吟味した.
シンプルでよい.
そののち,金谷君から触覚と姿勢制御に関する研究が取り上げられた.
手の機能と足の機能を吟味すれば,おのずと仮説が生み出される.
足に重要な感覚モダリティとは環境の視点から何か?
手に重要な感覚モダリティとは環境の視点から何か?
そういう議論から,研究を循環することが大切である.
単に「やってない」から「やる」では,一方向性の研究でしかない.
思考を循環させることに積み重ねで,データの読み取りに多様性が生まれる.
結果が出ないから,やめた!なんてことにならない.


21時過ぎより,M1の佐藤君と研究室合宿のスケジュールを確認し,
D1の谷口君のOTジャーナルの査読コメントを確認し,
博士論文に向けたスケジュールを確認した.

22時に帰って仕事をしようと思ったが,
家にあるPC2つのうち1つが動かなくなっていた.
機械はモノ言わぬブレインである.

しょうがなく0時には寝て,起き,
新たな研究が創造できた.
朝は,記憶が整理され,どんどん研究計画が出てくる.

思考をめぐらせるには,風呂か,歩いているときが良いが.

時間が決定され,何時の電車にのらないと「いけない」と思って歩くときは,何の創造性も生まれないが,大学まで時間を気にせず,公園を歩いている時には,いくつもの仮説が生まれる.
脳には「余裕」が必要だ.

広島運動器疾患リハビリテーション研究会の田代先生,大学のメールアドレスまでいただければ対応します.
なお,本年度は3月末まで,土日はふさがっています.ご了解ください.




経験の再帰

2009年11月10日 00時38分12秒 | 過去ログ
日曜日は結構早く奈良を出て四条畷まで向かう.
四条畷駅についたのは1年ぶりぐらいか・・
四条畷学園を進むとちょうど学園祭の準備が行われていた.
情感ある坂道を抜け,これが結構ハードである.
山の手にあるリハビリテーション学舎へ.

ご挨拶を済ませると,控え室に案内される.
久しぶりに同級生の向井先生にあう.
彼は東京の学校の出身であり,
私は高知の学校の出身であるが,
ちょうど浜松医大の実習が一緒になった仲である.
二人の臨床実習指導者は竹谷先生であった.
私は,実習開始4日前に浜松についたが,
そのまま病院に来なさいと指示を受け,
いくやいなや,症例を8例渡され,
評価・治療をするようにといわれた.

その8例は,80%熱傷,股離断,16歳の脊髄損傷(障害受容できておらず),腎不全,薬物中毒による多発性神経炎、髄膜炎の生後3ヶ月の赤ちゃん(NICU)、たしか1000gあるかないかだったと記憶している。などなど、であり、
いわゆる脳卒中とか、骨折ではなかって、悲鳴を上げた記憶がある。
デスクには、文献、本がタワーのように立ち上がり、
毎日、要約をもとめられた。
英文は毎日コピーしなければならず、それを翻訳し続けた。
また、症例報告はジャーナルに投稿できるようにという指示を受け、
引用を加えながら、考察した。

症例はその後10数名まで増えた記憶がある。
3期で30名を超え,担当した。

1期の浜松医大では今のご時勢で考えるととてつもない課題であったが、
今、自分があるのは、社会の第一歩でそれを乗り越えたからだと思う。
また、大学病院という場所が研究者への1歩だったのかもしれない。
なぜ、その課題に耐えることができたのは、竹谷先生の臨床が創造的であったこと(ROMをするときに寝かすな!など)、そして、先生が毎日、ワープロに向かい、常に英文を翻訳し、研究していたこと、を背中で見ていたこと、それが大きい。
口先(口は大変よろしくなかったが)だけではなかったように思う。


向井先生とは、そういう実習でのほろ苦い経験がある。



四条畷学園同窓会での講演はまだ若い同窓会であるので、
用意していたスライドを適切に説明するのではなく、
脳科学の楽しさやエッセンスを話すだけにとどまった。
自分としては残念だが
後半、質問をいただき、まあよかったかなと思った。


帰りに四条畷の先生方に送られ、
坂道を転げるように帰り、
ゼミ生と今後の研究の展開の打ち合わせをして、
奈良に帰った。

日帰り講演は楽である。


人生は研究である。

2009年11月07日 21時15分16秒 | 過去ログ




金曜日は9時より畿央大学4期生の卒論発表会が始まる。
昨年より3週間早いタイトなスケジュールの中、
ある程度の結果を抽出し、
それなりに仮説が検証され、
ポジティブなデータが分析されているのも多い。
3年生の中頃にゼミが動きはじめたが、
間に実習が入り、
結局は実習後の3か月で予備実験、データ採取、
分析、そして考察をしたことになる。
そう考えると、うちの学生はみんな優秀だと思う。
白紙の段階で問題を投げかけると躊躇する学生が多いが、
始動しはじめると、その展開は速いし、
スライド発表を見ていると、
1期生~4期生のみんなの能力は社会人以上でもあるようにも思える。
作業記憶がいいんだろう。

金曜日はゼミ生8名のうち6名が発表した。

その発表を聞き、
その後、岡山に向けて出発。

14時40分より教育学の講義を行う。
今日は次回からのディべート授業に関するオリエンテーションがほとんどであった。

次回より、「わかる」「できる」「おぼえる」「かんがえる」について検討するために、
ディベート授業を構成する。

残りは環境―学習について話した。

18時からの夜間もそれに付随する内容であったが、
彼らは社会人であり、
すでに助手としてつとめているものもいるために、
出来るだけ、リアリティを入れ話している。
患者を教育するために、あるいは学習プロセスにのせるための手続きについて話している。


今日は朝から大学に向かい、
他の研究室の学生の発表を聞いたのちに、
残る2名のゼミ生の発表を聞いた。

深い洞察がされているいい内容だったと思う。
文献もよく読んでいる。
英語ももちろん。

快に関する神経伝達物質はでただろうか?
あるいは、冷静に意識をコントロールし、
今後、なぜ、臨床家が臨床家の手で研究を続けないといけないかについて認識しただろうか?

人生とは研究そのものである。
恋愛も研究。
子育ても研究。
人生設計も研究。
職場運営も研究。

予想をして、その予想を具体化するために仮説をたて、
そして、それを自らの企画した方法によって検証していく。
その結果が照合され、それが永遠と循環し続ける。
常に差異が生まれれば(気づければ)。
研究を行えば行うほど、差異は生まれる。
それを認知できるかが、技術でもある。


最後にゼミ生をねぎらい、残る論文を完成するようにはっぱをかけた。
来週末が締め切りである。


いよいよ、それが終われば、集大成となる国家試験に。
今年度は大幅に変わるために困惑状態であることは間違いないが。

今までのAMに専門、PMに共通が取っ払われてしまう。



さてさて、「脳を学ぶ(2)」を10月末から書き始め、
一つの節を1時間程度でかき、
このペースであれば、11月で完成か!!と思っていたが、

この11月の講演は半端ない数であることを
11月に入って認識してきた。

講演資料はもちろんのこと、
明日の講演スライドを今日している自分はまさに炎上している状態である。
メールの返信なんかできるはずがない。
フラッグメールだらけになってしまっている。

ましてや、交通手段や何時に出ればいいのかの認識もままならない。
秘書が本当に必要かもしれない。
パートでエクセル入力程度で雇っているのではだめそうだ。

このペースだと執筆は12月からの開始になってしまう。
間があくと、情動が揺らぐ。
それが人間らしさであることは間違いないが。


畿央大学 神経リハビリテーション学研究室 冬季セミナー

2009年11月07日 19時37分54秒 | 過去ログ
畿央大学 神経リハビリテーション学研究室 冬季セミナー

日時:12月3日(木)18:00~20:00

場所:畿央大学 L102教室

講師:京都大学 山田 実 先生

内容:運動器疾患に対する運動イメージ治療の可能性
    ~メンタルローテーションを中心に~(仮)
   ※学部ゼミ生(卒論生)に対する研究指導の一環です。

対象:神経リハビリテーション学研究室 院生・学生、他
   (院生、学生以外で参加を希望される方はメールでお知らせください。メールは畿央大学のホームページの教員紹介から)

参加費:無料