土曜日、伊丹空港から鹿児島空港へ。
ねんりんピックが鹿児島で開催されることから、
満席状態。
そのことを鹿児島についてから知る。
鹿児島は以前に全国学会以来であるが、
確か相当に空港から市街地が遠かった記憶がよみがえる。
鹿児島大学の木山先生にお迎えいただき、
桜島を眺め、鹿児島大学に。
卒業校の先輩である大重先生に出迎えていただき、
近況報告をさせていただく。
14時より講演スタート。
初日は4時間の長丁場だったため、
比較的スロースタート。
最近のオープニングネタのヒトの進化過程がらはいり、
脳の可塑性へ。
最近は一貫して身体運動の重要性を述べている。
脳は身体があるからこそ、生きていける。
脳だけであれば世界はつくれない。
身体が世界をつくってくれる。
「動くからこそ知ることができる」
神経可塑性についても、
健常者と同じように運動が習熟してくれば、
損傷脳の働き方も収束することを述べ、
活性化のみに一喜一憂すべきでない、
ことを述べた。
その後は、運動制御、運動学習といつもの話をするが、
同じスライドであっても、そのつどはなす内容は異なる。
ライブとはそういうものである。
運動学習に関しても、
最近は、求心性の情報がやはり重要であることを述べている。
運動イメージの前にはやはり知覚(情報化)が必要だ。
そうでないと、エファレンスコピーの意味が見えない。
違いを見つける脳はどんどん細分化していく。
ウルトラマンであったのが、タロウ、レオ、エースのように。
椅子という物体もどんどん細分化されるはずである。
それも体性感覚的に。
18時に講演を終え、
一旦、城山観光ホテルへ。
老若男女といいたいが、
ねんりんピックの勢いはすごい。
エレベータにも長蛇の列。
眺めのすばらしさを堪能し、
懇親会場へ。
県士会副会長で認知運動療法でもお世話になっている平名先生も合流される。
森伊蔵をロックでいただき、
秋の味を堪能し、
22時すぎにはホテルに帰り着く。
町中はこれまた高齢者であふれる。
これほど飲めば、明日負けるなと、おじさま(おじいさま)。
それだけ自覚していれば、元気な証拠と思った。
途中、西郷隆盛自決の洞穴を眺める。
翌朝、9時より3時間の講演。
実際のリハビリテーションの進め方を少し話した後、
神経科学のトピックスである、
「痛み」「ミラーニューロン」「他者コミュニケーション」
を話し、
いつもの「人が人を治療する意味」である「ロマンティックリハビリテーション」について話した。
最後はわれわれの仲間が良く使う、いつもの表紙を用いた。
リハビリテーションには奇跡はない、しかし進歩はある。
エビデンスに基づいた治療と叫ばれて、
もうだいぶ経過したが、
その一方で、創造力が奪われている感も否めない。
以前にはやった、「臨床意思決定(クリニカルディシジョンメイキング)」の時代が懐かしいと思っているのは筆者だけであろうか。
古典を知らない(勉強しない)やつは信じないし、
関節運動学を知らないやつは、運動のスペシャリストでない。
しかし、それだけでは、1976年の「理学・作業療法(医学書院);特集 運動療法」表紙(今のPT,OTジャーナル)の呪縛を乗り越えることができない。
僕の見る限り、これは当時の運動療法の象徴だということだが、
ロマンティックな姿には見えない。
joint attentionのかけらもない。
問題を共有していない。
リハビリテーションは、決して平坦で右肩上がりでないとは思うが(その面で苦しさはあるが)、このような質の苦しさではない(情動的なものではない)と思う。
サイエンスの前にヒューマニティーだと思う。
リハビリテーションは進歩しているといえるのだろうか。
当時は1ドル360円時代だったと記憶している。
変動でなく固定であった。
リハビリテーションのブレークスルーが来るのだろうか。
筆者の力量不足が否めないのかもしれない。
帰りも木山先生に送って頂き、伊佐錦などをいただいた。
感謝いたします。
先日、大学に講義にきていただいた同期のけんちゃんの医学界新聞の記事を読み直していたら、自分が主催した学会の記事が出てきて、驚いた。
30年一昔ならぬ、3年一昔。
何キロ、身体に重みがついたのだろう。
代謝とは反比例に不摂生(忙しさ)がつきまとう。