森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

小津安二郎な空気

2008年07月13日 23時59分26秒 | 過去ログ
昨日は認知神経科学学会で東京に。
根津で降り、東大へ。
BMIに関する講演を聴き、
最終的にはサイボーグなエシックスの問題のクリア、
そして、人工心臓のようには脳はいかない、
つまり複雑すぎるという視点から、
私が仕事についている間には、
ある一部は応用されているけれども、
それ自体がQOLをつくるまではいかないか、
と講演を聴きながら思った。
つまり、局在論では動いていないので、
ネットワークをどのように解析するかが、
これからの大きな問題になろう。
講演者もその含みを話し、心臓との違いを力説された。

身体が脳をつくるわけで、
記憶がどのようにつくられ、
たくわえられているか、
その解析を個々人でしたうえで、
オーダーメードなBMIの開発まで、
長い道のりだ。
リハビリテーションはそのときの準備として、
いかに学際的な知識・知見を解読し、
どのように関わればよいかを、考えないといけない。
時代は刻々と進んでいる。
いつも準備がないから、
診療報酬などの問題が発生する。
フィードバックでしか生きられないのである。
人間とは来歴に支配された堕落した生物である。
自分が、障害を受けると、おそらく、がんばらなくても生活できれば、
それにこしたことのない道を選ぶであろう。
大人の脳は「無垢」ではない。
脳は記憶に大きく支配される。
時にそれは大きくゆがめられる。
自分自身もそうだ。
どの経路を生きてきたかで大きく違う。



夜は、首都大の樋口先生を囲んで、
院生らと懇親会。
御茶ノ水がこんなに楽器店が多いなんて・・・
学会でなく、つぎは楽器店めぐりをしたいと思った。



樋口先生からは、
院生たちに論文の書き方(ロジックな展開力)、
などを語って頂き、ありがたく拝聴した。
また、僕の仕事に対する批評をしていただき、
今、これをしないといけない時代であると再認識した。
本来は、きちんとデータをとり、
学者としての原著論文を書き続けたいのが、
本音なのだが、もう時代がそうはさせてくれない。
一度、リセットすべきと最近よく考えているが、
そのタイミングがいつなのかが、
あまりにもファジーになりすぎている。

その関係もあってか、
最近、批判の矢先にたち始めているが、
それも時代と受け止めるし、
また、知らないうちに年輪を重ねたのだと思っている。
若い者は、上を批判して、伸びてきた。
自分もそうだった。
それは強大な上層に対するレボリューションであり、
その批判をするために、
膨大な知識欲をもった。
口だけの人間にはならないよう・・・

大事なのは、その批判がロジックであるかだ。
ロジック(これは他人の意見や科学論文の知見ばかりの受け売りなロジックでなく、自らの意見に基づくロジックをさす)でなく、
相手の思想や方法論に対する「愚痴、ぼやき」は、
その批判する側のネガティブ思考に基づく「否定」である。
つまり、人間(生物)に持ちえている、
不快刺激に対する「逃げる」「ほえる」「沈黙(思考停止)する」という行動である。

自己に関係する他者が新しいものを提供すると、
その逆の立場の者が、
その環境刺激が、
自らの生きてきた来歴がおかされそうになると(つまり自分の主張がおかされそうになる)、
それは、「不快」だと反応し、
「逃げる」(やめる)
「ほえる」(おこる)
「思考停止」(無視する)
などの行動に出る。

これでは、
大脳新皮質はあんまり関与していない人間関係になってしまう。

そのような「環境刺激」を「不快」ととらえるのは、
自分の今の生活が充実していない証である。
充実している人は、否定する時間なんかはない。
自己の生活がネガティブになれば、
他人(の生き方や方法論)を攻撃してしまう。

肯定的でもあり否定的でもあるということは、
学者としてはありがたい話である。
世に、問題をなげかえるとそうなる運命である。
そういう意識は誰かが石をなげて「波紋」を生じさせないと生まれない。
波紋なき業界は、
成長がない。
その石を投げる人間も必要だ。
国際的にも投げる器をもちえるのは、
少々時間がたってしまった。

先の問題は、大きな社会だけでなく、
小さな社会のどこでも起こることであり、
つまり学生の関係性にも起こることであり、
それに耐えるだけのハートを持て!というのではなく、
はなから、あまり、それを意識しないようにすればいいと思う。

いずれにしても、「実績なくして発言なし」

そして、どうでもよいことは時に身を任せて生きればよい。
人生にとって、所詮、それは些細なことである。

自分の好きなことができるのならば、
それは、それは、幸せである、その気持ちを忘れるべからず。
ということを樋口先生と話しながら思った。

彼は相変わらず、頭の展開が速い。
同じ学者ながら、学者とはこうあるべきと感じた。

翌日、学会に参加し、
リハビリの専門家でない方が、
リハビリに関する新しい展開(知見)を報告していた。
その動機は身内の脳卒中だという。
何でもよいからすがりたい、
新しいものにすがりたい、
その気持ちはよくわかる。

リハビリはまだ期待にこたえていない。
世にある治療(ボバース、PNF,ボイタ、認知運動療法などなど)やADL訓練が、
大して期待されていないことの裏づけだ。
いや「裏切られた期待」であろう。

患者の家族の心情は、「藁にでもすがりたい」。
その気持ちはよくわかる。
先の話ではないが、リハビリテーション専門家の僕が、
母親の病気を境に、
「思考停止」しているのは、この空虚な世界に、
自分ひとりでは立ち向かえない何かを感じているからかもしれない。



院生の発表を見て、
シンポジウムを聞き、
シンポジストであった網本先生と院生を交えて食事をした。
グルメな先生の行く店は、はずれはないと思い、
ついていったが、はずれはなかった。
ごちそうさまでした。

WSOでの再会を約束させていただき、
学会場に戻り、
Hoffmanの講演を聴き、
共同発表の山田氏の発表を見て、
東大をあとにした。

来週はオープンキャンパス、その次は沖縄、その次は福島である。
中間地点はあと少し。



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