森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ところ変わればひと(思考)が変わる

2008年01月18日 08時44分37秒 | 過去ログ
水曜は、滋賀の安曇川へ。
あどがわ、と読むことを駅の掲示でしった。
こんなにも遠いのか、と最初の印象だった。
目の前は福井県。
普段は30cmぐらい雪が積もっているらしいが、
今年は、雪もなく、寒いが、南国育ちの僕にも耐えられる。

東北・北陸は、僕にとって未開の地。
来年度は福島から講演依頼をいただいた。

安曇川高校では、記憶力の高め方について話した。
3年生はセンター直前なので、こんな講義は聞いてられず、
2年生に話したが、やはり、最近接領域に困る。

高校までの手取り足取り教育に順応した脳は、
時に大学の講義を聞くと混乱する。
しかし、そこで自分なりの思考に気づくのが大学。
昨今の教育をみると、大学あるいは専門学校教育が丁寧すぎる感がある。
10のうち、9まで伝えると、残りは1。
個人・学生の創造力はその1でしかなくなる。
10のうち、6まで伝えると、残りは4。
創造力は4となる。
「これはこうである」という直線を結ぶ教育は、
創造力欠如な人間・専門家を作ることになる。

今の人間を機械的に切り刻んだ障害像の考え方も
その直線を結ぶ教育である。

ところ変われば、ひと(思考)は変わる。

UK,France,北欧,イタリアなんかでは、
そのような切り刻んだ、障害分類はしていなかった。
僕が留学していたときは、そうであり、
かならず、自らの仮説・思考を問われた。

評価にしろ、Br.stage を使っているところはなかったし、
治療にしても、プラットホームに寝かせて、ROMを毎日行うなんて観たことなかった。

日本人は、ある固定観念にしばられ、創造力が失われる。
輸入は得意だが、その本質・メカニズムについての説明力となると、
とたん口を噤む。

いつまで、この機械的な障害構造に執着するのか。
20年後のこの世界が恐い。

ICFが国際的といわれるが、ある数カ国のみの考え方を
鵜呑みにしてはならない。

秩序を乱しては良くないが、それでは説明つかない事実を認識し、
変えていく科学性が必要である。

そのようなImpairmentに見えているのは、
観ている側の脳であり、ところかわれば、そうは観ていない脳がある。

セラピストは国際的な仕事である。
自分のいる、小さな枠組みのみの、小さな思考で存在するのでなく、
また、一部の科学的論文だけで、自分のいいように解釈するのでなく、
目で確かめ、自分の体で体感してほしい。
もっと国際的になってもらいたい。

最近、そう考える。

そのことを、昨日、ゼミの懇親会で話した。

教員たちは、教えすぎたら、自分のコピーを作ってしまう。
教えすぎるとは、教員に余裕がないことである。
実習には功を奏すかもしれないが、10年後の「彼・彼女」を考えると
それは、可もなく不可もなく人物を作っているかもしれない。
自分で考え、切り開いていく力を減退させる。
高校教育のようなものかもしれない。
受験のための(実習・免許のための)

学校のカラーは、ある。

リーダーシップをとれるセラピストを育成するといっている本学においても、
このままの可もなく不可もなく教育でよいのかと、すごく思う。


久しぶりに、不愉快だ。


さてさて、おかやまに向かうとするか。


とっても時間が無い。


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