森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

My 恩師

2007年05月08日 12時39分19秒 | 過去ログ

高知出版学術賞

神経心理学―認知・行為の神経機構とその障害

 

講評

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極めて科学的・啓蒙的で、最近急速に進歩した神経心理学の分野を網羅的にまとめてあり、密度が高い。読者が社会や人生の問題を考える上で多くの示唆を得ることができる。質・量ともに最高レベルで、長く将来にわたって利用される図書。

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妥協を許さない師の傑作です。

 


ヘロヘロとバキバキ

2007年05月08日 12時25分09秒 | 過去ログ
昨日、熊本より帰り、そのまま仕事へ。
書類作成、会議、そして、メールの返事などで、終日費やし、肝心な原稿を送信することはできず。
家でしようと思い、帰るが、さすがにロード後なので、動かず。
活字を見れば、動揺し緊張する。
それでも横になりながら、いくつかの他人の原稿に目を通すが、このまま続けると明日に響くと思い、自省した。

ヘロヘロとバキバキ状態である。

メタファーな言語であるが、それが今の身体だろう。

熊本の母親は、いろんな記憶が飛び交っているが、今は「嚥下」が問題だ。
右脳がほとんどがない状態なので、「飲み込む」ための大きさが知覚できず、それに伴う判断に問題があり、ステレオタイプになっている。
注意も分配できず、摂取が難しい。
しかし、左脳は動いており、言語も問題なく、多少な「赤ちゃん」ことばには感情が喚起しているようだ。
「ごっくん」など、容易にそんな言葉は使わないほうがいいと、反省した。
自分の息子に「ごっくん」などと言われたくはないよな。

母親の脳のなかの記憶の再生には、もう20数年前に亡くなった姉や弟が出ているようだ。
これは幻覚ではく、記憶の再生だろう。
現実の記憶と、過去の記憶が連合野で混在している。

人生とは、何なのかを考えさせられる。
リハビリとは、本当の意味でのリハビリなのか・・・


本当に「難しい」です。


対象者とセラピストの関係をもう一度考え直したい。

学習のリセットかな。

阿蘇ではプチフランスを堪能したが、移動移動が続き、身体の回復ははかれず。

何もない時間と空間の世界を1週間でいいから感じたい。

身体の素晴らしさを感じれるはずなのに。



さてさて、今は、AMの1年生のリハ概論を終えたところです。
元気があってよろしい、よろしい。
だが、メリハリはつけよう。
2つの専門学校に行っているが、起立―礼はいまだに続いている。
これをしろ、というわけでなく、そのような「刺激」がなくとも、自分で「判断」する、そういう大人になってもらいたいものだ。

だって、あなたたちには、立派な「大脳新皮質」が存在しているのでしょう。

楽しいのはわかるが、苦しいのも大事。

わかった、その瞬間に出会いましょう。


さてさて、この後は3年生の講義、そして21時すぎまでの大学院の講義に突入します。

授業は運動なので、バキバキは少し減った。

だから、ブログを打つことができました。




思わぬ出会い

2007年05月03日 08時55分06秒 | 過去ログ
高知医大、愛宕、近森などのメンバー、そして、学生、そして畿央大の卒業生などとAM2時過ぎまで懇親。
いろんな話題が飛び交うが、元気でよろしい。
いつまでもその灯火を消さぬよう。

久しぶりにBarのYorkに行くと、初めてみるものが・・・思わず微笑み、知らないうちに、「移民の歌」が脳のなかで大音響でなり始めた。
なぜ、「移民の歌」になったかはわからない。

さてさて、ボンバルディア機で伊丹まで帰り、そして、奈良に一時帰宅し、2時間ほど体を休め、そして熊本に発ちます。

がんばりますか。

Natura non facit saltum

2007年05月02日 19時13分08秒 | 過去ログ
昨日、講義を早々に終え、愛媛県四国中央市へ。
旧川之江である。

石川病院の実習巡回指導を行い、19時前より、21時前まで出張講義を行う。
毎年行っていることから、今年は少し方法を変えたが、これが相互作用せず。
反省するばかりであった。
しかしながら、ここでも「メタ認知」の問題にあたり、そして、日々の「答えをすぐに求めたい」その志向性に出会い、少しショックだった。
それは、やる気の問題でなく、認知の問題であり、教育することが大事だと思った。
免許を持っても、日々悩み続ける、その志向性が大事なのだが、いつもいいわけしている自分に出会い、それを肯定し続けているのかもしれない。

しかし、何がいいわけでもなく、自らの足で一歩前に進むことだ。

私の恩師である宮本先生は、自らがスタンダードであるといい続けているだろう。
これはエゴでなく、常に反省し続けるという視点なのである。

特急に乗り、大歩危峡を経由して「ごめん駅」まで。
アンパンマン列車のトロッコに出会う。

ごめん駅から高知大学付属病院へ(旧高知医大である)。
タクシーで裏道を通ると、そこには私の原風景があった。
この道を通ったことはないが、なにか、似ている。その安らぎが。
でこぼこ道、不規則の曲がり道、川べりのひょっとして行き止まり・・・などを感じ、土手には草が。
この自然が、私の脳に感動を与える。

今の職場や自宅周辺は大阪のベッドタウンであり、それはそれはきれいなのだが、そのきれいさは人工物にすぎない。

だから、きれいが意識にのぼらなくなる。
だが、この風景しか知らない人たちは、それが「普通」なのかもしれない。
「普通」とは何か???
ノーマリゼーションというが、それは、本質を言っているのか・・・などなど考えながら医大へ。

少し早くついたので、なつかしき、院生時代の風景をながめ、実習生のもとへ。
楽しく、明るくやっている。

さてさて、動きの指摘や注意を実習生たち、うけていると思うけど。
記憶はしているよね。
けど、からだで動けないんだよね。

それは、日々の風景、体験は側頭葉で記憶化されているけど、それに意味を付与していないから、動けないんだよ。

意味を付与するのは前頭葉。

前頭葉を働かせるためには、「意欲」が一番いい。
「意欲」はあると自分で言い聞かせても、それは本当の「意欲」ではなくかもよ。

情報を統合し、解釈する脳の前頭葉には、動物の本質である「意欲」が欠かせない。
何かについて「関心」を持とう。
それは、複数でなくてもいい。


昔は、「やる気」と精神論、そして、リハビリの世界では情意などといわれてきたが、それは、どのように行為を起こしていいのかわからない「認知」なのかもしれない。

言葉遣いという「行為」の内在する問題は、それが多い。

それに指導者たちも気づいてもらいたい、今日このごろだが、それも自然。

その自然のなかに「人間」」は行き続けている。

人間関係も「人工」でない。

自然なのだ。

Natura non facit saltum


さてさて、懇親会に行くとするか。

今年4月に高知に就職した畿央大学の卒業生も交えて。