森岡 周のブログ

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人間関係とシナプス結合

2016年03月03日 10時33分57秒 | 脳講座
研究している人、臨床している人、教育している人、管理している人、起業している人という、いわゆる「くくり」が以前とは違い、そのボーダーがなくなりつつあるような気がしています。

しかし、依然として「自分は臨床が好きだから(といいつつ他よりも上に見せる)」とかいっている間は、まだ自己の中、あるいは職域間における信念対立の構図の中でいきようとしている人ももちろんいます。けれども、だいぶ少なくなってきたような気がします。いわゆる何らかのもの(事象)が進歩していく背景にある「多様性」が生み出されてきています。私たちの世界も実に50年かけて、その多様性を生み出してきました。連続ドラマ「あさが来た」でもよく用いられていますよね、この言葉(女子の生き方として)。それは、さかのぼることダーウィンの進化論に当てはまったりします。

こうした人間同士の関係性は、シナプスの構造ができあがる「発散」の仕組みに似ています。ここからシナプスは刈り込まれ、「収束」作用を起こしていきます。
この収束は悪い表現でいうと、淘汰として使われますが、実はそういう意味よりも、一度多様性をつくったシナプスだからできる「異種感覚統合」という仕組みがあります。これは感覚モダリティーを超えて、間に何個ものシナプス(ニューロン)を介して、シナプス結合する意味ですので、より洗練された質の高い情報伝達を起こしていく作用です。人間の動きが洗練されていく仕組みもこれを利用しています。

目の前にある、あるいはそこで生きている、この社会は人間がつくったものですから、人間同士の結びつきもこうした仕組みを延長させたものです。
つまり、ある程度時間をかけることで、別のところで生きてきた(考えていた)人たちが、ある人、人、人、あるいはそれらの関係性によって、つながり結合し、以前よりは洗練された行動(方向性)へと転換させていく作用(イノベーションもこの中に含む)が起こりつつあることが、最初に述べたそのボーダーが少なくなってきた背景にあるのではないかと思っています。

先週末は、なんとなく「畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター」が現場と研究を結ぶ「プラットフォーム」になっていたような気がしました。そもそもこの研究センターを立ち上げた背景には、(大それた研究を行うというのではなく)そのねらいが一番つよく、そうしたプラットフォームの創成を目的としていました。

「高知県」と「高知大学」が一蓮托生の関係であるという記事を読みましたが、これも組織間のネットワークですし、先に述べたボーダレスというねらいがあるのかなと思っています。県と大学という大きな組織同士でもできるわけですから、スモールネットワークの関係性ではもっとできると思いますよね。若い人たちにそういう意味でエールを送りたいと思います。そもそも理学療法士として、あるいは研究するために生まれてきたわけでなく、シナプスを持った人間として生まれてきたわけですから。ある種、業界という言葉は自分たちを守るため、あるいはつよく見せるために用いられているきらいがあります。もとをたどればなかったわけですから。一方で原点や自分の立ち位置を見失わない倫理を持ち続けることも大切ですね。


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