森岡 周のブログ

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待つということ

2016年04月03日 22時16分33秒 | 脳講座
本日は教職員会議のオンパレードでした。新任の方々を迎え、新しい顔を見るということは、嬉しいことだなあと思う反面、退職した方々のお顔が見れなくなるということは、寂しいことだ、と会議に出ながら思った次第です。

それと同時に、定年を全う(勤め上げる)して退職された方々も今回は多く、そういう人生って良いなと「強く」思うところもありました。
とかく現代は、派手な(勢いのあるように見えて我慢できない)人生に憧れる嫌いがあり、地道に生活に土着しながら生きようとする姿勢を軽視するような気がしてなりません。

100人いたら100人意志や意見を発してしまえば、混乱必至です。脳幹や小脳、はたまた基底核のような存在が組織には必要なわけです。前頭葉ばかりだと若い組織はイケイケでいいのですが、年数とともに息切れし朽ちてくるかもしれませんね。

さて、4月1日は、我々研究機関は科研費採択の日でもあり、twitterではそのことに関する記載が満載でした。科研費取得のために研究を行うというのは、学会発表するためだけに研究を行うと同じぐらい本末転倒なのですが、それでも仲間が採択されると嬉しいものです(私は継続なのでただの4月1日でしたが。。)。
こうした税金によるオフィシャルなお金をいただけば、それ相応に、社会に貢献しなければならないというスイッチが入り、そうした意識は研究者にとっていいことかなとも思っています。

軽い研究にならず、じっくりと丁寧に行い、数ではなく、社会的にインパクトのある質の高い研究にしていきたいですよね。
とかく現代は、「待つこと」ができなく、すぐさま発信することに主眼が置かれています。例えば、今は「メールの返信も待てない、だから待てずにまた送る→カップルが喧嘩する」の図式が成り立ったりしますが、昔は「戦争で帰ってくるかもどうかもわからないが待ち続ける」という心の持ちようがあったように思えます。
(学生の成長を)待つということ(やたらめったら自分の経験に持ち込むような介入をせず待ち続けるということ)は我々教育者にとって最も大事な意識かつスキルだと思っています。

少々、大げさで古い人間の思考・たとえだとも思われるかもしれませんが、人の思考や心の熟成にも大いに時間がかかり、これは知識やスキルの涵養も同等であると思っています。

そしてそれは若い私達の業界においても、20~30代そこらで「やたらめったら」(借り物で)発信せず、地道に丁寧に取り組む時期がないと、40代こえると、その軽さが明白になってしまうかもしれません。

根拠のない自信という言葉は、時に行動を起こす原動力になり、かっこよくも思えたりしますが、私たち医学や健康を取り扱う仕事にとっては大いにミスリード(時にメディアのように)になってしまいます。営業とは大きく違うことを、そして、器の大きさと根拠のない自信は異なるということを、(私自身も含めて)肝に銘じておく必要がありますよね。このようにfacebookに記事を書いていることも、実は待てていないことになりますから。。。

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