森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

環境との対話

2006年07月22日 23時05分46秒 | 過去ログ
昨日は岡山で前期ラストの講義.
9割9分の学生がリハビリテーションに「教育」の視点が必要だと感じてもらった.
しかし,どういう問題を解決していくべきなのかという想像に関しては,思考がまだ乏しく,ここでも「教育」の難しさを感じる.
言語が貧弱だ.

いつものように12時15分岡山発小倉へ.
小倉の「小児疾患」も前期は最後.
「筋ジス」を話したのち,子育てと脳の関係について,展望を述べる.
道具の延長から,他者のこころへ.
セラピストとて,母親とて,父親とて,その発達には知っておかねばならぬ.

終了したら,学生に囲まれた.
サインなどをし,近い将来の再会などを約束し,お別れした.
何かに立ち止まったとき,微力だが,背中を押してあげましょう.


夜は小倉リハの先生方と,高知時代の教え子たちと会食.
少しは童心に帰る.
作らない関係がいい.

つまり,「こうすれば,ああなる」という関係でないもの.
これは,知恵であり,予測機構であるが,便利な世界にいきようとする脳による概念世界化である.

そこで発せられる,起こるできごとについて,五感を動員する.
そういう,少しは不確実な関係が,脳を鍛える.
少しは冒険してみよう.
少しは文脈を変えてみよう.
少しは視点を変えてみよう.

多面的にみる.
そういうことも大事だ.

盲目,それは概念世界かもしれない.

あけて,今日,いつものように福岡から大阪へ.
概念世界の象徴な都市に帰り着く.
何も考えず,機械的に電車に乗り,大学へ.
ヒトが住みやすい空間とは何か.
易い・・・この言葉に内在しているのはなにか.
バリアフリーなどのことばが横行するが,その身体の環境への未知なる適応能力を無視した空間形成が,本当にいいのか?
身体がとぎすまされるはずがない.

奈良には「自然」「文化」の両方が共存している.
もう少し,この大和の地を見直してみればいかがなものか.

不便なところに意味を持つ.


学生と就職のことを一緒に考えたのち,たまったメールの返事などで,大いに時間を費やした.
本当はすぐにレスをしたいんだが・・・
福岡学会に来ていただいた教諭の方々に早く返してあげないといけない.