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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:郷土愛からグローバルなナショナリズムへ

2011年11月01日 07時41分47秒 | 日記
先週末は東海北陸理学療法士学会に参加しました.
参加といっても講演なのですが,今回はランチョンセミナーで話しました.
ランチョンは初めてで,弁当だけもらってそのまま寝るという懸念も持っていましたが,
それもほとんどなく,まずまずの講演ができたと思います.
脳機能イメージング研究の概要を話しましたが,
この手の講演は生体医学研究会以来であり,
久しぶりで少し準備を周到にしましたが,
時間通り,ピタッと終わりました.
島津製作所の井上さんからの招へいによるもので,
感謝しています.
雑誌「理学療法」の連載が畿央大学にとってもよかったと思っています.
次はNIRS-SPMですね.

また島津製作所からは,石川さんもいらしていて,
今度のニューロフィードバック装置の開発は彼の頭脳なくしては達成できないので,
お願いと同時に,愛媛・川之江出身ということもあり,
とたん親近感がわきました.
四国の島国根性です.
四国内では高知は愛媛とは違うとか,野蛮な高知と一緒にしないでほしいとかありますが,
出るとそれがないのです.
不思議に故郷に愛着をもち,お隣さんと意識するのです.

四国のたとえは思いがけない金が入ったら,どうするか?が有名です.
香川:子孫のために貯蓄
愛媛:必要なものを購買
徳島:元手に商売
高知:さらに金を足し酒を飲む

というものです.
このようにまとめられているのもあります.

これも風土を表していますね.
香川は水不足にいつも悩まされ,ため池で生活と時代背景もありました.
そういう風土も県民性を生むのでしょう.
けれど,いったん四国を出れば,なんか親近感がわく.
アジアという枠組みでもそれが起こればいいですね.

母校愛も似たようなものです.


日記:年輪という落ち着き

2011年10月21日 10時18分40秒 | 日記
先週末はボバース記念病院での講演.
古澤先生の高知県理学療法士会の講演を聞いたのは,
2年目か3年目,
その際,臨床と神経科学の結び合わせに心地よさを感じた記憶があります.
実は私は講習会や研修会には,
1年目1度,マイオセラピーの講習会に,
そしてこの古澤先生の講演の2度しか参加したことはありません.
1年目の時は,T先生と故M先生のバトルにわくわくしたものでした.
その際も,マイオセラピーへの興味というよりも,
意見を戦わせることの興味にひかれてたかもしれません.
こう考えると,たった2回しか外部の講習会や研修会に出たことのない私が,
現在の仕事を考えると,
それら参加の行為が全く無駄になっているとも思えません.
こうしたことは後付けのことばであることは間違いありませんが,
意識の下で何らかの意思決定に作用しているとも言えるのです.
その際,私はまだキャリアがないため,
純粋に講演を聴いていたと思います.
1年目数年目で,何の経験もなく,
人の意見をただぶったぎるという行為はしてないですし,
今もそれはしていません.
私のモットーは「実績なくして発言なし」ですから.

ボバースでは皆さんの人柄に触れ,
久しぶりに私より上の方々とお話しすると,
心地よさがでてきます.
いつもの講演では,もはやほとんど,いや100%下の方々と語るのですが,
あまりの熱さに,年齢がついていかない瞬間もあります.
けれどもボバースでの控室での会話は,
落ち着いた感じで進み,
なおかつ気配りが経験からゆるぎなく,うっとおしくなく,
こういうMOODをつくるのが経験なんだと思いました.

講演はまずまずだったと思いますが,
鈴木部長よりneuroimageのpaperをいただき,
今後いろいろ意見交換ができればと思いました.

年輪の心地よさを感じた1日でした.

岡山より森ノ宮に入りましたが,
途中の新幹線で日本福祉大学の松原先生に出会い,
痛み研究もますます発信していこうと思いました.
松原先生がグリーンにもかかわらず,後の女性がうるさいので,
にらみをきかせていました(笑).


日記:思考の鍛練

2011年10月11日 08時45分15秒 | 日記
山梨での全国研修会では1000名以上のPTに講演を聴いていただき感謝です.
これも今回の企画局長である高村先生に感謝です.
彼は実直かつ片麻痺の治療に対して真摯な態度でのぞむセラピストで
とても尊敬しています.
人として,オーダーメイドの関わりを重要視しつつ,
科学的視野の取り込みを忘れないPTです.

私の講演の方はというと,
5月の宮崎学会と同様にオープニングを務めさせていただきましたが,
やはりオープニングの後には開会式があるため,
時間的配慮そして動員力の責任などから,
いつもの講演とは違いますので,
そのあたりで1.5時間と少ない時間ですが疲れました.

内容は脳の機能の教科書的な内容を中心に,
その+αを話すことに徹底し,
ニューロリハビリセミナーで言うと,
基礎編の内容を抜粋して話しました.
今回は「基礎系」のセミナーでもあり,
そのあたりを超えて,片麻痺の病態までは入りませんでした.
ただし,高次脳機能のテーマもいただいておりますので,
USN,apraxiaの一部の神経科学を話しました.

時間は宮崎学会のときのように,
ぴったしで終わりましたが,
数枚のスライドのシミュレーションができておらず,
多少ぶれる結果となりました.
異種感覚統合のところです.

またスカパーで放映されると思いますので,
ご覧になってください.

山梨の全国研修会を終え,
その足で,神戸のベーシックコースに参加・講演してきました.
ここでも基礎科学について話し,
片麻痺の病態と回復のメカニズムを中心に内容を構成しました.
ただし,やはりベースとなる基礎学力が違うために,
難しかったかもしれません.

シナプス抑制というところで,表情が悪くなったので,
いわゆる生理学の知識で,理解度が大いに異なるんだなとも思いました.
学校によっては運動生理学だけで,生理学を構成するようなところもあり,
まだまだ,その基礎知識をあげていかないと,
本当の意味での理解はされないだろうな,と思い,
だとすれば,どうすればよいのかとも思い,
また新たな「塾」的展開が必要であるかもしれないと思いつつ,
教材をUPdateすることもしないといけないなと展開を考えました.


質問されましたが,知識が断片的にしかなく,
つまり誰かの話を聞き,それを断片的にしか理解しておらず,
それと今話している内容がつながらない,
あるいは臨床と基礎がつながらない,という問題があるなと思いました.


「意味があるのですか?」との問いには,
ある意味,僕自身,そういう考え方を持って,答えを直接的に出す志向性は,
科学的でないと思い,やんわりとそれに対しては指摘しました.

仮説をたて,検証する作業を考えれば,
意味がない世界はないと思いますが,
コンプライアンスの問題もあり,
そこは臨床家としてどの道を歩むか,
自己意識に基づいて行動してもらいたいと思います.

私は学者なので,否定形では生きていませんし,
このコースでも否定形で説明している人達には閉口をする場合もあります.
人間を考えるトレーニング.
行為を考えるトレーニング.
病態を考えるトレーニング.
そして,常に自分自身に意思決定を課して臨床に臨む,
それにつきます.
グレーゾーンに対する多様的な意思決定を有している人ほど,
臨床が楽しいでしょう.
多様性なき意思決定は決め付けになります.
それでは臨床が懐疑的になります.

そこから上昇する.
それが臨床的思考の鍛練だと思うのです.


日記:中途でやめるのかよ~

2011年10月03日 09時07分13秒 | 日記
先々週末は講演が本年度唯一ない土日でしたが,
その理由はライブ.
ライブは先日のブログ通り,
まずは成功というべきもので,
その翌日は教え子の結婚披露宴に出席しました.

月曜より通常授業が始まり,
ライブの反省,余韻を忘れるように,
原稿締め切りに追われ,
いつもの自分に急激にシフトチェンジするといった先週でした.

講談社の原稿は「運動と認知機能」というテーマであり,
「運動が認知機能を高めるエビデンス」をというものです.
この手のシナリオは私にとって面白くなく,
結局は疫学的研究で,運動している者は認知機能が高いとか,
運動を集中的にする介入で認知機能が高まるとか,
お決まりのパターン考察で,
なんかわくわくしない,
まあいったら,誰でも考えることのできる研究なのです.

先日のNHKでもあった,ほめたらUPするとかもそのたぐい.
なんか人間を単純化しすぎとついつい思ってしまうのです,
結局は運動もほめるというのも「刺激」するの視点でしかとらえていないと思うのです.
だから,単純な思考の持ち主はすぐにその結果に飛びつく.
けれど,日常的に考えると,
人間,そして社会構造はそのような断面的なものではなく,
ズーと続いている知覚現象であるわけですから,
パッチワークのような物理的刺激だけでは物語はつくれないと思うのです.

さて,こっからブログは加速度的にタイプされるはずですが,
私の疲労はピークのようで,ここで止めます....
うてません.

昨日は名古屋で講演でした.
まあ,適度な講演ではなかったかと思うところです.

いかんいかん.思うようにうてません(笑).


日記:no music,no life

2011年09月26日 23時58分50秒 | 日記
土曜日,13時に堀江のvijonに.
この階段を降りる感覚が好き.
3月のライブが流れ,
夏にしなかったため,
久しぶりのライブ.
3月はいろいろあったため,
今回は本当に待ち遠く,
ライブハウスに入る瞬間は感慨深く,
入るやいなや,vijonの小山さんをはじめ,
皆さんに優しく迎えていただき,
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした.




というのも,前回前日に震災の関係で
断腸の思いでキャンセルを申し出て,
本来ならキャンセル料がかかるところ,
無料にしていただいた背景があり,
今回,このように迎えてくれた姿勢に対して,
嬉しさいっぱいでした.

たまに大学のイベントと思いきや,
なめきった対応で,
リハも適当にするライブハウスがありますが,
昨年の9月に雰囲気,
そして店長の松重さんの対応などから,直観的にここでやろうと決めてから1年.
とても長かったけど,それはそれなりに意味があったのかとも思います.

ただ,このような背景とは無縁な
外野の偽善者も知ることが同時にわかりました.

震災が人のいろんな気持をしるきっかけを与えてくれました.

さて,14時前から卒業生のリハスタート.
そのあと,うちのバンドと続き,

17時前にopenし,スタートしました.
Openingは3回生のバンド
今年はaikoにいきものがかりと女性を中心としたバンドは
ポップな感じで進んでいきました.
相変わらず初々しい.

そのあと,高知からきてもらったsubcortex
高知のときの教え子でPTたちだが,
今回は,以下のラインナップでした.
1.Immigrant song 
2.Whole lotta rosie
3.Rock 'n' Roll Hoochie Coo
4.Walk this way
5.Fire after fire
6.アダムの林檎


それにしてもボーカルの義治,Rock 'n' Roll Hoochie Cooを原曲でなく,superfly ver.のキーで歌いやがった.
脱帽!!
タバ,明神,べ~やん,こやぶ,みんな技術を見せてくれてありがとう.
ロックは技術でなく,乗りがまずは大事なんだが,
それでは壁にぶちあたる.
だいたい,その壁でバンド活動をほとんどがやめていく.
けど,技術があがれば自己報酬系が作動する.
その際,パンクだけでは限界にぶちあたってしまうのです.
自分がとおってきた道.
うちの学生もテクニックというものに憧れを抱き,
さらに上達してもらいたいと思います.
学祭レベルかライブハウスでの演奏か,
ここで差が出るのです.
やっぱうまいやつはかっこいいのです.


ついで,4回生のバンド,
ハイスタを中心に構成し,
場を盛り上げてくれました.
おそらくリアルタイムじゃないと思うけど,
彼らにとってひと世代上のハイスタはもはや神なんでしょう.
ひと世代上にあこがれますよね.
僕は80年代でしたが,
やっぱり70年代にあこがれましたから.
けど,高知医療のときも,よく教え子がハイスタやってました.
それから10年以上たちましたが,
まだ健在のようです.
最後は瓜谷先生も登場し,
JETをうたってくれました.
みいちゃんのSHAKALABBITSの声もかわいかったです.

次いで,我々の登場.
グラムからガレージまで.
いわゆるロックンロール
とりたてて,自分は本当はベーシストなので,
ベースラインが際立つ曲を無意識に選択しているのだと思う.
選曲は前回のブログの通りです.
まずは問題なく,
そこそこのパフォーマンスを見せることができたと思います.
しかし,1曲だけ,大幅に歌詞を間違えてしまいました.
それがdo the boogieですが,
近々,youtubeにそれをupしたいと思います.笑ってみてください.
武蔵野エレジーは声がちゃんと出たのでよかったです.





そのあと,3月に卒業したばかりのメンバーが
マキシムザホルモンを中心にやってくれました.
なかなかの乗りを演出してくれて,
感謝する次第です.
学生たちの盛り上がりを見れば
このライブ企画が成功だと確信しました.
箱代の私の自腹は痛いのですが・・・涙
途中,松本先生が出てきて,
アニメソングを歌ったのも愛嬌です.

Barでは脳みそカクテルを出してもらい,
結構な売り上げだったようです.

全体で120名の参加をいただきました.
感謝です.

その後,打ち上げにも60名がきて,
深夜まで盛り上がりました.
夏休み最後の夜,いい思い出になったことでしょう.

ライブデビューした者はとても喜んでたようです.
音楽っていいよね~って.
ロックコンサートはじめてものは耳鳴りがすごかったようですが,
これも順応.
それが快楽のホルモン分泌になってくるから.

次回は3月.
すでに2日間を仮押さえしてるけど,
どっちかに決めないといけません.
近々,今の4年生と相談のうえ,決定したいと思います.

さて,次のライブは11月19日(土)
高知のBee stationです.
その翌日は運動器疼痛学会でシンポジウムです.



日記:ほあ~~んとした感じ

2011年09月24日 07時52分54秒 | 日記
しばらくぶりのブログ更新.
ここ2週間ほど,私に気力がなく,
別に体調が悪いわけでないが,
意欲にかられない日々が続いています.
逆にいいんじゃないかと思い,
休みながら仕事をするという日々が続いています.
どこまで続くかはわかりませんが体との相談ですね.

先週末は秋田での講演.
秋田大学で行いましたが,
多くの参加をいただき感謝です.
昨年より秋田大学の畠山先生にお世話になっていますが,
先生のお人柄で行っているようなものです.
お礼申し上げます.

帰って来て1週間はほぼ院生につきあい,
無事に8名のM2の者が中間発表会を終え,
様々な教授陣からの助言をもとに,
これから3か月かけて論文に仕上げていきます.

私の方は,喉のいたみ,ねむけと格闘しながら,
ライブの練習をしていました.
いよいよ本日,vijonでopenです.

よろしく!


日記:お礼と願い・苦言

2011年09月16日 11時08分14秒 | 日記
先週末,無事にニューロリハビリテーションセミナー応用編を開催し,
無事に終了することができました.
全国から200名強のセラピストの参加をいただきました.

内容は,前回の基礎編は
脳の構造から機能を考えるものでした.
今回は様々な人間の持つ機能から脳のネットワークを考えるものです.

すぐさま臨床に直結することを求められますが,
脳は人間の脳が考える以上に複雑です.
だから,並大抵な知識ではその仕組み,機能を理解することができません.

だから,テクニックに走る前に,
本当の知識を持って,患者さんに対峙しなければならないと思うのです.
残念ながら,養成校では運動学はあっても神経科学がカリキュラムの骨格に置かれていることはありません.

けれども,おかしいと思いませんか.
リハビリテーションの対象疾患の半数以上は脳損傷です.
脳を知らずして,治療,適応練習を行っているともいえるのです.

動作を観察して,運動学の知識を持って,
患者の動作を分析し,
仮説をたて,それを検証する作業はされていても,

行為を観察して,神経科学の知識を持って,
患者の行為を分析し,
仮説をたて,それを検証する作業があっても良いのではないかと思うのです.

むしろ,脳の科学の発展に伴い,
それは必然にもなってきました.

だからセラピストは,運動学の知識はもちろんのこと,
そして神経科学の知識をもって患者さんに対峙しないといけないと思うのです.
これを乗り越えれば,はじめてその科学の弱点を埋める現象学をつかって,
患者さんの内を観察し,リーズニングする必要があるのだと思います.
現象から言うと医療は医学モデルから脱却できていません.
生活モデルをと声高にいっても,
医学モデルを完璧に利用できていないのも現実です.
私は生活モデルを重要視する立場にいるのは間違いないのですが,
医学モデル,すなわち科学を知らぬまま,そちらだけで論議しても,
それでは,医療の世界全体を説得することはできないのです.

だからこそ,スキルアップと同様に,
相当の知識をつけることが必要でしょう.
想像は知識よりも大切ですが,
それは知識あっての想像ともいえます.
知識は裏切らないのです.

脳の病気を見ているにも関わらず,
脳の知識がないのは,少し問題ではないでしょうか.

応用編では脳のシステム機能を解説しました.
日常当たり前の生活を可能にしているのは脳のシステム機能です.
そのシステム機能は身体と環境が相互作用することで,
柔軟に変化していきます.
だから,構造で解説したここはこの機能を持つ,
という視点もこの関係で,そうではない現象を生み出します.
それだけスペクトラルに満ち溢れた器官が脳と言えるでしょう.

是非ともリハビリテーションに携わるセラピストには
運動学を学ぶように,この神経科学を学んでもらいたいと思います.
そして,それを臨床に落とし込めるように,
リーズニングしてもらいたいと思います.

アンケートはとても良好な返事をいただきました.
残念ながら,2点だけ,回答しておきたいと思います.

当日のビデオ撮影はお断りしました.
一方.カメラ撮影は良心の範囲で可能にしましたが,
そのシャッター音,フラッシュで不愉快になった方が数名いました.

僕からいえば,どっちもどっちなのですが.
本来ならば,どの学会でも人の画像を写真でとるなんていうことはありません.
その代りに我々は図の出典を明記しているのですから.
その出典先にあたってもらいたいと思います.
撮影がいわば,反射のようになっていました.
誰かが撮影していたら,私もというように.

道徳と脳機能についても説明があったでしょう.

まあ,私ならそのシャッター音がうるさい人間をが隣にいたら,
道徳を教えますが...


こうした写真も伝達講習するために本セミナーを聴くというのは本末転倒なような気もします.
あとあと,そういう写真を見るのかな...私はそんなことがないから理解できないだけかもしれませんが.


あと資料とスライドの順番が異なるとか意見もありますが,
これもその日の10分前までいわゆる理解度の促進を考え,
順番を入れ替える場合があります.
これもメモをとるために,そのような意見があるのだと思いますが,
メモをとることに執着せずに,聴くこと,
そして自分の患者にあてはめながら聴くことを願いします.
必要ないと思えば,自己意識のに基づいて消去してください.
脳は自分に関心があるところのみ強化します.
全部をメモするというのはいわば,ステレオタイプな行動にすぎないと思うのです.

反射,ステレオタイプそのようなことも解説しました.
自己の脳を分析できないものが,患者の脳には向きあえません.
なんとか,そのラインを一ランク上にあげてもらいたいと思います.

これが私の切な願いです.


いずれにしても,みなさんのご協力あって無事に終了することができました.
私たち一同,方法論のみに盲目的にならず,治療にあたるそのような臨床が進んでいくことを願っています.
その一助になればと思い,今後もしばらくは続けてみようと思います.

参加された皆さんに心よりお礼申し上げます.


日記:動物としての人間

2011年09月08日 15時41分46秒 | 日記
体調不良により,
ブログの更新が滞っていました.
やはり心と動きは一元的なものですが,
時として脳は麻薬がかかったように身体を痛めつけてしまいます.
錯覚というものは身体の疲労や痛みを奪ってしまうのです.

身体こそが生物としての原点.
だからこそ,脳は身体の産物でしかいないし,
むしろ,その表現はおかしく,
身体そのものでしょう.

動きが生命をつくるように,
動きが脳をつくるのです.

動くからこそ,意味を持つ.
だから,それは臨床においてもそうだし,
教育においてもそう.
知識を入れまくっても,
行動を起こさないと意味を持たない.
現代の人間は,あまりにも情報過多な
バーチャルな世界に生きていて,
動くということを忘れています.

それは授業もおなじです.
入力しようと学生に目くじら立てずに,
自らが動くことで,学生に動きの動機を喚起させるようにしなければならないと思うのです.
動くことが原点.
動物の起源である動くということ.

さて,この更新が滞っていた3週間ほど,
沖縄で講演をして,
懇親会をして,酒を飲み,
そして初ヨットにも乗り,
地元の船長とも話し,
そして友人貞松氏のおもてなしを受け,
去年の11月に出会った貞松氏を生涯の友と思えるようになり,
そして台風から遠ざかるように沖縄を離れました.

翌週は大阪でシンポジウムに立ち,
これまた台風を避けるように福岡に行き,
福岡で5時間の講演をして,
ここでも友人と心地よいひと時を過ごしました.

いずれにしても,身体は疲弊しても,
心が躍れば,それを感じません.
これがよきにもあしきにも自己に作用しますが,
それこそが,私の一人称の人生.
NHKスペシャルに対して様々なご意見がありますが,
私にとっては,患者さんの心から「治りたい」という意欲に対して,
なんとかいい方向に導いていきたいという欲求がわくのです.
ロマンティックリハビリテーションを喚起するのです.
それこそ,レナードの朝のセイヤー医師のような臨床家のために,
私が情報屋となり,それを提供し,
そして臨床家こそがその情報を取捨選択し,
治療のための意思決定をしてもらえればうれしい限りです.
意思決定こそが人間に持ち得ている行動,
意思決定をする.
すなわち,それに基づいて動く,
これこそが動物としての人間の行為なのでしょう.



日記:久しぶりの日記らしいもの

2011年08月25日 11時58分36秒 | 日記
今週は院生や来客が多い日が続きました.
院生の状況はというと.
月曜日はM1の青木さんが来て,
道具の操作における自由意思の論文のpubmed検索をやっと習熟したということで,
以前はヒットしなかった論文に多くめぐりあえて嬉しいとの意見をもらいました.
検索の仕方もある意味技術です.
博士課程のメンバーが指導してくれていてありがたいです.

そのあと,D2の林部さんが来室.
背損モデルラットに対する神経再生治療とリハ治療の併用効果を調べているが,
まずはリハ効果のアウトカムの伝達をいただいた.
ラットの背損は回復することから,
デザインが非常に難しいが,
なんとかアウトカムを考えることで,
うまくいくような気がしました.

火曜日は大学の将来構想委員会に出席し,
来るべき,医療情勢と教育体制の関係について考えることができました.

午後は高知より実習地訪問のついでに
鶴埜先生が研究室にみられ,
今後の展開について把握しました.

そのあと,M2の千代原君と尾崎君の
運動学習に関連した研究のソフトをわたし,
彼らは彼らなりに自分の研究に対して自信を持ち始め,
いい傾向になっていると感じました.
千代原君は運動学習におけるdefault mode networkの関係を脳波研究から明らかにしようとしています.
一方,尾崎君は適応的学習と系列的学習に分類し,
それらにより効果を示す手続きに関して,
行動学的パラメータの視点から分析しています.
予備的結果を見る限り,素晴らしいデータになるのではないかと感じています.
ただし,リハの業界にはこの意味を理解してくれる人が何ににるかと思うと,
しかるべき雑誌のレフリーと相当な意見交換が必要かもしれません.
レフリーの知能が偏っている雑誌があるため,
齟齬が生じる場合があります.
キネシオロジーのみの視点の査読者ばかりであれば,
なかなか理解されるのに時間がかかるでしょう.
ある意味,協調,ある意味,抵抗の姿勢を忘れずに.

そのあと,仕事の合間を縫って,
M2の山田さんが来室,
彼女は膝疾患に対するある動的バランス検査の適応と限界に関して,
運動学的,運動力学的に分析しており,
結果から,あることがいえそうなところまでやってきました.
残り中間発表の期間までいかして,
なんとかデータの蓄積・処理をしてもらいたいと思います.

19時過ぎには大学院受験希望者が来室し,
研究計画を確認しました.
本年度はうちの研究室は7名ほどの受験になるかもしれません.

20時前にはM2の横部さん,千賀さんが来て,
それぞれ,今後の計画の確認をしました.
横部さんは痛みの脳内機構,
千賀さんは上肢の運動知覚時における脳内機構を調べようとしています.

大学院生修士課程の者たちは9月の中間発表に向けスパート状態です.
一方,博士課程の者たちは投稿タイムリミットとなりそうです.


日記:人生の刻印

2011年08月21日 11時42分34秒 | 日記
人生もすでに折り返し,
毎日毎日が目まぐるしくすぎていきます.
1年の速さというのはまさに,年齢を重ねるごとに「べき関数」のように速度を上げています.

ある原稿を書こうと思い,
過去のパソコンのフォルダを整理していると,
あ,この学会の講演資料,もう3年も前かと・・・
まだ1年前のような感じもするが,
それだけ,月日の流れがはやいのでしょう.

就職して1年目とか,2年目とかの速さに比べ,
ここ数年は1年があっという間に過ぎてしまいます.

もう社会人となって20年.
畿央大学に来て8年目.
前の職場は9年,その前は3年ですが,
その時の方が心的に長く感じ,
30代から40代に行くにつれて,
短くなってきました.
これが50代に向かうこの10年足らずは,
もっと早く感じるのかもしれません.

そのようなことを感じると,
自分の人生を考えることがしばしばあります.
その道しるべには必ずターニングポイントとなった
心理的な媒介(環境)があったように思えます.

それは人との出会い,
書物との出会い,
環境との出会い,
論文との出会い,
音楽との出会い,
そしてかけがえのない社会人後に出会えた友人と.

そうした媒介に心から感謝できるようになったのも
この数年かもしれません.

それと負の相関があるように,
自分を向上させる意識というのは少なくなったように思えます.
もっと成長したい,
もっと学びたい,
もっと向上したい,
人に勝ちたい,自分に勝ちたい,負けたくない,
という本能的な欲求は少なくなったように思えます.

以前は上司をみると,
もっと自分を追い込めよ,
もっと背中を見せてくれよ,
とか,時代がわかってないな~とか,
上を見る目がアンチテーゼとなり,
それを乗り越えないといけない,
とも思ったりして.

けれども,この年になって,
様々な身体機能の低下を感じ,
一方,それとは反比例するように,
心の余裕を得て,
あせらず,ゆっくりと事象を考えるようになってきました.

そして,それと共に,
あと何年,自分はこの調子で頑張れるのか,
あるいは,どのように自分がしてきた仕事をまとめるか,
どのように後輩にそれを託すのか,
そして託した後の自分の基盤は...などなど.
と考える時もあります.

私にとって,今のラインでの大きなテーマはあと3つ.
けれどもその道半ばでたえるかもしれないし,
一方ですぐさまできあがるかもしれない.

達成したら,いまのラインを歩かず,
違う道を歩きたいのかもしれません.
このように思えるのは,
人生は一度きりしかないということをここ数年やっと感じ始めたからかもしれません.

若い時はどのようなことをいいつつも,
それはキャッチフレーズにしかなく,
自分を鼓舞したり,履き違えた自由を意識していのにすぎなかったのでしょう.
この年齢になって,
いよいよ人生は一度きり,
そして,せいぜい今の延長は,あと10年~20年.
そう考えると,やっとのこさ,
人生を楽しもうと思いはじめたのです.

それはやっと,自分が何者かということが,
うっすらわかってきたからかもしれません,
そして自分が何のために生まれ,
他人のために,社会のために,この世に何を残していくのか,
といった自分の人生の刻印を意識しながら.