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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ニューロリハビリテーションセミナーのお礼

2012年02月28日 01時04分46秒 | 日記
最近ブログの原稿が滞ってしまっています。
ここ数週間は博士後期課程の院生の論文審査などが中心的な話題ですが、
その一方で、イメージの科学と標準理学療法学「神経理学療法学」の自分の原稿を完成させました。

この後、3月にはその編集を開始します。
前者は5月に、後者は10月に出版を考えています。
いずれも著者を大幅に若くして、新しくかつ根拠ある情報の提供をと考えています。

3月半ばに入れば、2ヶ月ほどかけて、新しい単著を書き下ろそうと思っています。
これに関しては書き始めが楽しみですが、なかなか進めることができていないのも実情です。

さて、先週末、今年度のニューロリハビリテーションセミナーのすべてのプログラムを完了しました。

北海道から沖縄まで多くの方々に受講していただいて感謝しております。
アンケートを見る限りはおおむね良好ですが、
情報過多なため、講義が速いという意見も少なくありません。
これに関しては次年度の反省点として考えていますが、
毎年湯水のように公表されている論文をできるだけ情報提供したいという考え方の方を大切にしたいので、どうしても速くなってしまうかもしれません。

しかしながら、文献の明記もきちんとしていきたいと考えていますので、
原著を確認していただき、臨床に役立ててもらえたらとも思っています。

大学のホームページには開催日が記載されていると思いますので、
多くの方々の申し込みを期待しています。
200名定員ですが、キャンセルを考えて、100名は多くと思っております。
大学ホールのプロジェクターも数千万円かけてアップデートする予定です。
もっと見やすい環境で講義ができると思いますので、よろしくお願いします。

来年度で3年目になりますので、来年度まではこのままのスタイルで行い、
その翌年はフォーラムの開催も考えています。
それはみなさんからの症例を呈示していただき、
みんなで情報共有しながら、意見交換できるような能動的な会議にしたいと思っています。
参加費はほとんど必要ないように企画できればと思っています。
けれども、その参加資格にはセミナー受講を求めると思いますので、
ぜひとも、次年度のセミナーの受講をしていただき、
基礎的な脳の知識をたくわえていただければと思います。

いずれにしても、この後、呈示するようなスケジュールで行いますので、
次年度のセミナーにも多くの参加を願います。

1年間を通じて、のべ700名ほどの参加者に巡り会えましたが、
この場を借りてお礼したいと思います。

受講していただき、ありがとうございました。


昨日のブログ

2012年02月15日 12時53分41秒 | 日記
昨日のブログに関しては,現状の講演に関して不満を抱いているわけではありません.
今後,事業所などがさらに増え,どんどんセミナーが増えた際に,
全くマインドがなく,かつ利他的な意識を持たない者が,
他力本願でお金を稼ぐことだけに意識の志向性が起こるのではないかという危惧に関しての釘打ちです.
ご丁寧なメールをいただいた方々がいて,
そういう人たちはとてもマインドを持っているわけで,
逆に講演に招へいされて僕自身うれしく思います.
心地よさというのは,人間関係から生まれるものですから.

社会貢献という本質的な意味

2012年02月14日 13時13分24秒 | 日記
私はある意味アクター(俳優)である.
全国各地の講演先に呼ばれ,
講演というパフォーマンスをする.

本業は教育研究であり,
学生教育,大学院教育,そして実験,論文作成などが主業務である.
一方,近年,大学の役割は社会貢献を求められ,
アウトリーチ活動として,
本の執筆,講演活動を行う.

本の執筆や講演活動はある意味では社会貢献であり,
大学教員として,科学という情報をさまざまな人たちに提供する役割である.
いわゆる専門家としての意見であり,
メディアに登場するのもその仕事である.

すなわち,アクターという仕事は社会貢献の一環である.

翻って,現状の講演活動をみると,
いわゆる非営利団体からの依頼でなく,
営利団体からの依頼が増えてきた.

営利団体からの招へいはある意味,
営業の一環でもあるので骨が折れる.
すなわち,責任が講師に明確にあるからである.
例えば,動員がなかった場合,
講演がニーズにこたえれなかった場合,などなど.
前者にこたえるためには,
いかに学会活動できちんとしたデータを示し,
論文の出現回数が増え,
そして,一般書でなく科学書を書き,
広く情報を正確に伝えている,先方の営利団体では知る由がない努力を積み重ねている.
すなわち,動員がなかった場合は,
我々の日々の結晶である,論文や著書が評価されなかったと認識する.
したがって,そのための目に見えない努力は実は半端がないのである.
一方,後者の当日の講演がニーズにこたえられなかった場合は,
これはこれで身体的に相当にこたえるし,この対価をあまり考慮されていない.
10000円ほどの受講費を払って期待して受講された者に対して,
ある意味,適当に情報を伝えることができない.
そのためには,できるだけ新しい論文を読み,
つねに自分の解釈を更新し,
そして念入りなシミュレーションをして,
当日の疲労をも考慮しながらのぞむ.
この情報収集やシミュレーションに関しても,
主催者側は実は盲目的なのである.

なぜなら,そのような情報収集の経験が少ないからである.
人間の脳は常に自分中心に解釈を加える.
だから,この程度の時間の講演であれば,
この程度の情報収集量だろうな,と.
それがバイアスである.
当日公開する情報以外の削減した情報がいかにあるかは知らない.

私が最近の営利団体の主催者に言いたいことは,
プロデューサーとしての責任を持つということである.
講演運営屋ではない.
つまり,アクターとプロデューサーは連帯責任なのである.

当日の講演はうまくいかなかった責任は,
そのほとんどが,講演者が持つというシステムは良くない.
プロデューサーも責任を持つ,ということである.
アクターは使い捨てできるかもしれないが・・・

ただ回数を増やして,売れっ子と売れっ子でない者を折半するというのは,
機械的・物理的すぎる.
共同注意し,受講生のニーズにこたえる,
そして,裏方に徹し,アクターを支えるという意識を持っていただきたい.

巷の県士会が企画・運営する講習会はそれほど人が集まらない.
この問題は相当に根深く,現在進行形に生きている者と,現在進行形に生きていない者たちとの解離がここにある.
だからこそ,営利団体の講習会は今後ますます心地よい人間関係のもと発展していなかければならない.
講演をするということは,私たち学者にとっては社会貢献なんだから,
講演を主催する側も,それが社会貢献である点を忘れないでほしい.
営利目的を根本から否定するつもりは毛頭ないし,
それはそれで新しいビジネスの在り方であるとも思う.
しかしながら,人間社会と言うのはバランスが大切なのである.

一緒に腹を切る勇気があるのか,と問いたい.


人間を侮ってはならない

2012年02月03日 08時35分22秒 | 日記
少し前のテレビにほめるとパフォーマンスがあがると取り上げられていた.
だれしも,けなされるよりも褒められる方がうれしい.
しかしながら,それを行動主義的にとらえてもらったら,
結局は,刺激を与えましょう,と
刺激―反応連関に舞い戻ってしまう.

Enrich environmentも同じである.
人間って,そんなに単純なんだろうか.
例えば,お金持ちの親に毎日ほめられた子どもが,
成績を必ず伸ばすだろうか.
結果をほめられた子どもは逆に壁にぶつかった際に
それを乗り越ええようとしないや,
外部報酬を与えられた行動を変えていた者は,
外部報酬が与えられなくなったら,それを継続しなくなる.
なんていう結果は,いまだ行動主義を脱していない.

結局は,与える―受けるの構図では,ポジティブな結果が出たり,
出なかったりと,本質をついていない.

これでは何も変わらないのである.
感覚を入れましょう!って運動療法を組み立てていっていたころと変わらない.
報酬を与えましょう!と.

二項関係から三項関係へ.
共同注意の関係から,報酬が創発されるように,
関係性を築くことが大切である.

報酬は関係性からほわっと生み出されるものである.

そのために他者がいて環境がある.

信頼関係のない他者にほめられたら,むしろ嫌悪感いっぱいで不愉快であるという感覚はだれしも経験しているはずである.

絶妙な最近接領域にて,報酬が創発されるように.
これはものすごく難しい現在進行形の現象学である.




修士課程4期生の修論

2012年01月12日 23時02分35秒 | 日記

本日,以下の7名が修士論文を提出しました.
山あり谷あり,いろんなことがあったと思います.
ここで速度を緩めず,通過点と思い,上昇気流でリサーチを発展させてください.

まずは御苦労さま.

「正常歩行と揃い型歩行の大脳皮質活動」 植田 耕造
 
「痛みの内的体験の慣れにおける脳活動の変化過程‐EEG を用いて‐」 大住 倫弘

「上肢到達・把握運動における観察部位の違いが脳活動に及ぼす影響~脳波研究~」 草場 正彦

「オプティック・フローが立位姿勢における外乱応答に及ぼす影響」 永幡 哲也

「人工膝関節置換術前後における運動イメージの変化と影響を及ぼす因子」 板東 正記

「系列的運動学習における安静時脳活動の変化」 千代原 真哉

「意図的および偶発的学習の違いが運動学習の転移に及ぼす影響」 尾崎 新平


新年のご挨拶

2012年01月02日 12時36分54秒 | 日記
あけましておめでとうごさいます。
昨年も様々な方々にお世話になりました。
この場を借りてあつくお礼申し上げます。
講演を含めば、のべ1万人ぐらいの方々にお会いしたのではないでしょうか。
その中でも講演をコーディネートしていただいた関係の方々には、
様々なことで気を使っていただき、とても感謝しております。

今年も変わらぬご支援よろしくお願い申し上げます。

私の今年のプロジェクトはといいますと、まずプライベートから、

1)宮田塾よさこい祭りの復活
2)ライブの展開
1)に関しては、塾長をささえ、新しいよさこいの風を吹き込むよう、積極的に関わっていきたいと考えています。
そのため、高知に頻繁にかえる予定です。

これもプライベートというべきか、
自分自身の人生みたいなもんですね。


さてさて、仕事に。
研究面では、
1)科研費研究であるニューロフィードバック研究の推進
2)new M1に対する治療介入効果の検証
この2点を中心に進めて、原著論文としていきたいと考えています。

教育面では、
1)博士論文の生産
を重点的に修士、学部教育の実践を行います。

社会貢献面では、
1)ニューロリハビリテーションセミナーの展開
2)全国講演
3)新たな内容による講演展開(社会神経科学)の模索
を進めていきます。

一方、研究面にも社会貢献面にも入りますが、
以下の著作を世に出すつもりです。
1)リハビリテーションのための神経生物学入門(協同医書出版社)
2)標準理学療法学「神経理学療法学」(医学書院)
3)イメージの科学(三輪書店)

リハビリテーションための神経生物学入門は、現在の私自身の思考で表現していくプロジェクトであり、2月からその執筆を開始していきたいと思います。
おそらく、9月刊行になると思います。
5月としたかったのですが、軌道修正しました。

以上が個人的なものですが、
大学のプロジェクトとしては、
1)畿央大学開学10周年記念事業における社会脳研究のプロジェクトリーダーとしての役割
2)健康科学研究所の充実化
3)新たな事業に関する情報収集
を展開します。
3)はある意味人生の集大成とするプロジェクトになるかもしれません。
これを数年かけて完成に導きたいと思いますが、なかなか時間がないのも実情で、そろそろ右腕なる人材育成も考慮しないといけません。
いつまで生きられるかもわからならいので。

以上、様々な仕事を同時進行していくと思いますが、
また皆様の援助を賜りたく、様々な協力を仰ぐと思いますが、
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
今年も退屈な一年でないことは確かです。


いずれにしても、この1年は私のこの10年の仕事の集大成的作品。
そして、私の希望を具現化する大事な年となると思います。
新たな展開をすることが、自分の人生に彩りをあたえるとおもってずっと生きてきました。
この1年もその彩りを与える仕事をいくつか展開したいと思っています。

自分の仕事をルーチン化しないよう、自分自身に鞭を入れます。
期待にこたえるのも、こたえないのも自分次第。
だれが期待しているわけでもないのですが、
勝手に根拠ない自信を沸き立てていきたいと思います。
根拠のない自信をもって、もううん十年。
その自信で本厄を乗り越えます。

誰も期待していないかもしれないけど、
私の行動・展開に注目してください!


末筆ながら、みなさまにとって、幸せが舞い込む1年になることを祈念いたします。



データを採取する前に

2011年12月22日 09時37分33秒 | 日記
ここ数日間は院生の論文を校閲しつづけています.
今度の修士課程修了は8名の予定ですが,
現在,鋭意努力しながら,院生たちは論文を書いています.
博士課程の方は,あとはレフリー次第ですので,他力の状態です.

院生の論文を見ていて,
あるいは昨年度修了の院生の投稿論文を見ていて思ったことは,
自前の結果が乏しいのと,そうでないのがあります.
この結果というのは,効果があったということではありません.

アウトカムの量が少ないために,
関係はあった,差はあったといっても,
自前の結果同士で因果を断定することができないのです.
結局は引用することで文献的考察にならざるをえないのが現状です.
そうなると,結局のところは,推察,推測どまりなのです.
ともすれば可能性という言葉は多様されがちですが,
可能性のための研究であれば,やらなかってもよかったのではないかと思うのです.

もちろん,自前のデータですべて考察することはできません.
最後には,limitationとして可能性を述べますが,
結果のおおもとの考察が可能性どまりであれば,
これは問題です.

研究計画のレベルでアウトカムの吟味というのは大いに必要でしょう.
この問題の背景には,学会発表になれてしまっているのも関係しているのではないかと思います.
これはまったく根拠のない話なのですが,
学会発表の抄録に書くことになれてしまったがゆえに,
簡潔に結果を示すことがほとんどとなり,
結果の項目を充実しながら書くことができなくなったのではないかとも思います.
学会発表の抄録には結果が1行で終わってしまっているのもあります.

原著論文は自前の結果同士を絡めて,
考察することを意識して,結果の抽出をしていくことが必要でしょう.
そうすれば引用は極力抑えることができます.
引用文献が多いのがよいわけではありません.
総説を書いたり,レビューしたり,は引用文献が多い方が情報としてむしろよいのですが,
原著論文は,やはり背景を明らかにして,問題提起するためのものとして必要なぐらいです.
考察においては結果に対して忠実に考察すればよいわけで,
どうしても判明できないときに,引用していくのです.

データを採取するために因果を解決するためのアウトカムを吟味する必要があるでしょう.



日記:自己リハビリテーション

2011年11月30日 19時02分38秒 | 日記
1年はあっという間.
年々早く過ぎ去ってしまう感じです.
これは年齢とともに感じるのか,
自分の仕事が充実していているのか,
その両方だと思いますが,
12月に入り,今年の仕事を振り返りつつ,
反省をいろいろして,
新年からの表現をどうするかも模索中です.

とはいうものの,毎週の講演は続いているわけで,
ある意味,これはルーチン化された仕事もでもあるわけですが,
先日の福島の講演は記憶に残るものでした.

まずは6月に開催予定だったのが,
私の国際学会のため,11月に延期してもらうということから始まったのですが,
3月に震災が起こり,
結果として6月には開催できなかったと思います.
11月に入っても,先方の方からは,
先生の御都合にまかせますとのお返事をいただき,
結果として,受けることに意味をもつということで,
開催させてもらいました.
当日は同僚の結婚式と重なっていたのですが,
結論として福島に行って本当によかったと思っています.

福島は元気を取り戻します!という強い決意を感じ,
その精神の賦活の一助に私の講演がなったような気もしており,
人間として,関係することの意味を感じました.

人と人の間によって人間と言うのが生まれますが,
まさに,コミュニケーションによって人を勇気づけるものなのだ,
と実感しました.

むしろ,私が勇気を与えないといけないのにもかかわらず,
さまざまなお気づかいをいただき,本当に疲れを忘れるようでした.

ホテルに戻れば,生花やドリンク,お菓子など,そこにつづられた文章.
さらに帰りのお土産など,
どれをみても,この上ないおもてなしをいただき,
普段何気なくやっている講演自体を少しは反省してのぞまないといけないなと思わせてくれました.
逆に元気をもらい,心安らかになることができ,
片道6時間の経路も楽に過ごすことができました.
人間と言うのは実にこころ(感情,意図など)に動かされる生物であると思い,
それこそがリハビリテーションの本態なんだと思った次第です.

自分自身のリハビリテーションに福島がなったようです.



日記:雑誌,理学療法学におもうこと

2011年11月11日 11時44分12秒 | 日記
先日,送られてきた理学療法学を手に取った感想です.
日本理学療法士協会の学術雑誌であり,
理学療法士にとっては,一番重い雑誌です.

そこに掲載されている論文を見て,
一言,いつから理学療法学は,
治療学でなくなったのか...

様々な記述で,そのデータの信頼性はたかいと思い,
内容も以前に比べるとより根拠のあるものと感じます.

しかし,そこに掲載されているのは,
率直に言って,臨床家にはどうでもよいことなのです.

臨床を科学するということを忘れた雑誌は,
いくら,様々な総説を掲載しても,
その解離は否めません.

科学性を追求するあまりに,
機能解離現象がどんどん起きてくる.
こうした問題の一つ一つが会員離れになることを編集する者は
肝に銘じておく必要があると思います.


臨床を科学する.
その方法は2つ.
介入効果を示すことと,
介入して変化した現象のメカニズムを分析すること,
変化しなかった効果がなかったことも含めて.
前者は臨床家中心に,
後者は研究者中心に.
これ以外の論文はもはやこの時代にいらないのではないかとも思います.
国にもっていく圧倒的なデータを考えれば,
今の掲載されている内容は,あまりにも現代にマッチングしてないと思うのは私だけでしょうか.

症例研究,介入研究,メカニズム研究.
これらが掲載されれば,臨床家は胸張って,
そのこと患者,家族,医師などに説明できると思うのです.

今の雑誌は,そう考えれば封を開封されない意味がわかります.

社会に求められている研究はどういうものなのか?
今一度考える必要があるでしょう.



日記:座長は舵取り

2011年11月02日 09時06分38秒 | 日記
先日の東海北陸学会では久しぶりに一般演題を地方学会で聴講しました.
私の所属する近畿学会では自分が講演した2回しか行っておらず,
演題をゆっくり聞く時間がなかったのです.
うち1回の兵庫で開催した時は,
腎臓結石の激痛に耐えながらのシンポジウムでしたので,
即座に帰らせていただきました.
その他はいつも他の講演と重なっており,
参加できず,一般年演題の現状を確認できずにいました.

演題の内容はかつてに比べると,
大学院教育もはじまったことから,
ちゃんとしらアルゴリズムで研究が実践されているとか,
サイエンスがベースになって思考しているなとか,
感心することがあり,
水準は上がっていることが経験則からわかります.

一方,気になったのが聴講者の態度というか,
心意気というか,そこにこの業界の問題が隠れているのではないかと思ったのです.

まず1点目は,会場に入るや否や,
黒のスーツに身を包んだ20代前半の者がほとんどであり,
なんとなく,自由がなく,一方で格式も感じなかったのです.
つまり全員が同じように見え,まったく個性を見出せなく,
この雰囲気はいったい何?と感じました.
スーツを着てくるということが悪いというのではありません.
私も当日はスーツでした.
なんというか,自分の主張,あるいは自分らしさを感じない集団形成になっていたのです.
それは表情が付与しているのかもしれません.
以前からもスーツなのですが,なんとなく,顔,服装,そうした非言語的コミュニケーションすべてから,学術大会としては,この雰囲気はよくないと直感が働きました.

この直感はその後の演題を聴講する時にも,
さらに僕のそのバイアスに対して根拠をもたらそうとしたのです.
何かというと,10演題少し聞いたのですが,
フロアから質問があったのが1つ.
その1つはよく勉強しており,関心をもつ討論になろうとしていました.
一方,その他の演題に関しては,1つもフロアから質問が出なかったのです.
もちろん,こうした感じはここ数年続いており,
その延長だと思ったのですが,雰囲気が悪いのです.
つまり,演者,座長とフロアに座っているほとんどが若いPT.
この解離が生まれている感が否めません.

自己主張のない世代になってきたのはわかりますが,
彼らの脳はいったいどのような志向性になっているのか,不安になりました.
院内では起こっても,学会でこの現象が起こり,続けば,
ひいてはこの業界全体の活動性低下を起こす予期をしてしまいます.
無表情,もくもくと演題をうのみにしてメモをとるその姿勢.
そして,一方,何の興味もない顔でそそくさと時間が終われば退席.
何ががおかしい,何かが.
と思いつつ,これが現実と受け止め,
どのように学会自体を方向づけるか,これも課題だなと思った次第です.

その一方,座長の方がなんとなく気に食わないのも事実.
もっとセッションを盛り上げるように仕向けるのも座長.
座長の質問がありきたりで,まったく示唆を得るものではないのです.
座長は選ばれし者.
経験だけでなく,知識人として対応すべきだと思います.
専門外の演題があたっても,サイエンスライターのように勉強し,
全体を鳥瞰し,そして,セッションという船を良い方向に舵をとるのが座長です.
その座長によって,来ている聴衆の若者が科学性に興味を持ち,
次回は質問してみよう,次回は発表してみようと,
いう意欲を導き出すようにしていくしか,方法はありません.
報酬を与え,そして次は自己の動きによりその報酬を上げようとする意志を生み出すのが,
今後は座長の仕事なんかもしれません.
それは本来のディスカッションという学会ではなくなるかもしれませんが,
逆にいうと,国際学会のように,座長と演者を兼務し,
セッションをシンポジウム化して興味を喚起させるように,
全体の構成を考えていくことが必要とも言えるでしょう.