森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:座長は舵取り

2011年11月02日 09時06分38秒 | 日記
先日の東海北陸学会では久しぶりに一般演題を地方学会で聴講しました.
私の所属する近畿学会では自分が講演した2回しか行っておらず,
演題をゆっくり聞く時間がなかったのです.
うち1回の兵庫で開催した時は,
腎臓結石の激痛に耐えながらのシンポジウムでしたので,
即座に帰らせていただきました.
その他はいつも他の講演と重なっており,
参加できず,一般年演題の現状を確認できずにいました.

演題の内容はかつてに比べると,
大学院教育もはじまったことから,
ちゃんとしらアルゴリズムで研究が実践されているとか,
サイエンスがベースになって思考しているなとか,
感心することがあり,
水準は上がっていることが経験則からわかります.

一方,気になったのが聴講者の態度というか,
心意気というか,そこにこの業界の問題が隠れているのではないかと思ったのです.

まず1点目は,会場に入るや否や,
黒のスーツに身を包んだ20代前半の者がほとんどであり,
なんとなく,自由がなく,一方で格式も感じなかったのです.
つまり全員が同じように見え,まったく個性を見出せなく,
この雰囲気はいったい何?と感じました.
スーツを着てくるということが悪いというのではありません.
私も当日はスーツでした.
なんというか,自分の主張,あるいは自分らしさを感じない集団形成になっていたのです.
それは表情が付与しているのかもしれません.
以前からもスーツなのですが,なんとなく,顔,服装,そうした非言語的コミュニケーションすべてから,学術大会としては,この雰囲気はよくないと直感が働きました.

この直感はその後の演題を聴講する時にも,
さらに僕のそのバイアスに対して根拠をもたらそうとしたのです.
何かというと,10演題少し聞いたのですが,
フロアから質問があったのが1つ.
その1つはよく勉強しており,関心をもつ討論になろうとしていました.
一方,その他の演題に関しては,1つもフロアから質問が出なかったのです.
もちろん,こうした感じはここ数年続いており,
その延長だと思ったのですが,雰囲気が悪いのです.
つまり,演者,座長とフロアに座っているほとんどが若いPT.
この解離が生まれている感が否めません.

自己主張のない世代になってきたのはわかりますが,
彼らの脳はいったいどのような志向性になっているのか,不安になりました.
院内では起こっても,学会でこの現象が起こり,続けば,
ひいてはこの業界全体の活動性低下を起こす予期をしてしまいます.
無表情,もくもくと演題をうのみにしてメモをとるその姿勢.
そして,一方,何の興味もない顔でそそくさと時間が終われば退席.
何ががおかしい,何かが.
と思いつつ,これが現実と受け止め,
どのように学会自体を方向づけるか,これも課題だなと思った次第です.

その一方,座長の方がなんとなく気に食わないのも事実.
もっとセッションを盛り上げるように仕向けるのも座長.
座長の質問がありきたりで,まったく示唆を得るものではないのです.
座長は選ばれし者.
経験だけでなく,知識人として対応すべきだと思います.
専門外の演題があたっても,サイエンスライターのように勉強し,
全体を鳥瞰し,そして,セッションという船を良い方向に舵をとるのが座長です.
その座長によって,来ている聴衆の若者が科学性に興味を持ち,
次回は質問してみよう,次回は発表してみようと,
いう意欲を導き出すようにしていくしか,方法はありません.
報酬を与え,そして次は自己の動きによりその報酬を上げようとする意志を生み出すのが,
今後は座長の仕事なんかもしれません.
それは本来のディスカッションという学会ではなくなるかもしれませんが,
逆にいうと,国際学会のように,座長と演者を兼務し,
セッションをシンポジウム化して興味を喚起させるように,
全体の構成を考えていくことが必要とも言えるでしょう.


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