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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日本生理学会講演を終えて

2013年03月30日 19時41分42秒 | 日記
今日は午後より日本生理学会大会にてシンポジウム講演をしました。私は慶応大学の里宇教授の後に登壇し、研究室のみんなのデータを中心にうちで取り組んでいる一連の脳イメージング研究ならびに臨床介入研究を紹介しました。運動麻痺、運動学習、痛み、高次脳機能について話しました。

最初に登壇した里宇先生はHANDS, BMI, Neurofeedbackをご紹介されました。最後のスライドの皮質脊髄路の可塑性に関連する神経メカニズムの検証に関するデータはすばらしく感動しました。

僕の後には長崎大学の沖田教授が関節拘縮に関連した研究を紹介。彼の研究室のすばらしさは自前のデータでメカニズムを解明しそのメカニズムに応じて臨床介入を考えその効果が分子や組織レベルでどのような根拠があるかを調べているところです。ほとんどのリハの研究室はそのどちらかが欠損しています。うちの大学の研究室も欠陥だらけです。人のいっていることをただ改良したり、コンバインさせたりしているだけです。メカニズムでは間違いだらけって結構あるんですよ。あえて、言いませんが。。

いずれにしても、彼が理学療法士としてこの生理学会に登壇したのはむしろ心強く生理学者に対して理学療法士の研究がとても質の高いものであることを報告する機会になったのではないかと思います。昨日も彼は痛みのシンポで発表し日本福祉大学の松原氏とPTの代表として発表できた事は、ある意味画期的だったと思います。

最後には早稲田大学の畠山教授が登壇し、工学、デバイスの視点からリハの研究が幅広い哲学の中で成り立っていることが示されました。いずれにしても、スタイルは違えども人間を科学するリハの意味生が、この日本生理学会にて取り上げられたことは画期的だと思いました。

道免先生、村田先生がご登壇されたシンポジウムもいれると、3つのリハ関連のシンポジウムが日本生理学会に取り上げられた事は今後メカニズムと臨床効果のブリッジの可能性の未来を実感するに至りました。この企画をしていただいた本学の金子先生、そして東京医療学院大学の佐久間先生に深謝いたします。

里宇先生は慶應学生時代の金子先生の教え子、沖田先生、畠山先生は金子先生の前任の星城大学の関係。そして私が現職の関係で、みんな断るに断れないという理由でした。。笑。最近長い講演が多くなり25分というタイムプレッシャーがあり、久しぶりに心地よい緊張感に恵まれました。

こういう機会を通じて、自己のレベルを見直すことができます。そして知らないうちに忘れかけている謙虚さを取り戻すことができます。いつまでも上に見られているという社会性はとても大切なのです。そう考えればちまたの療法士の講習会は、どうかな?とも思ったりもします。まあ偉そうにと・・・

いずれにしても、肩の荷がおりました。明日慈恵医大で講演がありますが、もうしばらく何もしたくない気分でもあります。理学療法士に22年前になりましたが、日本生理学会で話題提供するとは夢にも思いませんでした。むしろこのことは派手な講演とか出版とかでなく、きちんとこつこつと研究してきた結果だと思っています。もうちょっとがんばっていかないといけませんね。レベルを上げていきたいと思います。

Bonne annee!

2013年01月01日 16時52分16秒 | 日記


Bonne année!
Je vous souhaite une bonne et heureuse année !




あけましておめでとうございます。
昨年は様々な方とお会いでき、いろいろな話をすることができました。
「自己の脳は他者の脳と相互作用することで実存化する。」
すなわち、自己は他者によって生かされることをいろんな場面で感じました。

今年はどんな出会いがまっているのでしょう。
全国各地での講演は身体的につらいのですが、
1年をふりかえると、その出会いによって自分が生かされていると思います。

さて、昨年はプライベートから目標を掲げました。
「ミヤタジュク」のよさこい祭りの復活。
新生「ミヤタジュク」、踊り子集めから未知でしたが、
すばらしい「踊り子たち」が参集してくれました。
「ミヤタジュク」にとってこの踊り子は財産です。
塾長をはじめ、スタッフも新しいなか、手探り状態が続きましたが、
最後にはとてもよいチームになっていたと思います。

また、この場を借りて多くの方々、団体にスポンサーになっていただきました。
スポンサーなくてはチームの運営はできません。
私たちは企業チームでなく、みなさんの援助によって支えられています。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

今年は「ミヤタジュク」10周年。
アイデアを絞りいいものをつくっていきたいと思います。
またスポンサーの依頼をさせていただきますが、
何とぞよろしくお願い申し上げます。
私でよければ、講演など、なんなり使ってください。

さて、バンド活動の方はというと、3月と9月にライブをしました。
ともにVijonで行い、お世話になった小山さんやスタッフの皆さんにお礼いたします。
「The Cortex」は思うような練習時間がとれないなか、ライブに入りましたが、
まずまずの演奏を披露できたと思います。
メンバーに感謝です。

今年はまずは3月にライブをします。
心斎橋の Varonで行いますので、また告知します。
みなさんどうぞお越し下さい。

さてさて、仕事に関しては、まずは個人的なこととして、
1.「イメージの科学」の出版
2.国際論文の筆頭掲載
3.国際書籍「Infrared spectroscopy」の出版
4.「Journal of Novel Physiotherapies 」のSpecial issueの編集
5.その他分担執筆の書籍、論文(国内外を含めて)の掲載(もう覚えていません)
5.60カ所以上での講演
6.国際誌の査読などなど、まだまだあったと思います。。。

院生の指導として、
1. 博士論文の作成そして国際雑誌への掲載(信迫、谷口)
2. 修士論文の作成
3. 院生・共同研究者の論文掲載(国内外を含む、15ぐらいでしょうか)
4. 院生の学会などなど(30~40ぐらいでしょうか)

&&
1.学部授業・卒論指導は当たり前!

そして、大学の運営の仕事としては、
1. ニューロリハビリテーションセミナーの開催
2. ニューロリハビリテーション研究センターの企画
3. 他、他、学術面でいろいろありました。

そして、そして、学会運営では
1. 複数の学会の評議員、理事関係の仕事
2. シンポジウムなどでの司会

その他、未来記憶に支配されている自分の脳内では、
誰かの援助なくして(外付けHDみたいな)、思い出せません。
年度末にまた整理したいと思います。


さて今年はどんな仕事を起こすのでしょうか。

まずは2月に「リハビリテーションのための神経生物学入門」を発刊します。
そして、3月には日本生理学会でのシンポジウム
5月には日本理学療法学術大会でのシンポジウムなどは決まっています。
5月前までに「脳を学ぶ」の改訂をしたいと思いますが、
原稿が間に合うでしょうか。。生理学会との駆け引きですね。。
その後、国際学会での発表をする予定です。
今年は依頼があった国際学会の招聘を受けたいのですが、
もうすでに12月までの講演が入っているので、どんな感じでしょうか。

駆け足、駆け足ですぎると思います。

院生・学部生の指導もさることながら、
今年は「ニューロリハビリテーション研究センター」を開設をしますので、
帰国後、早速国への提出書類を完成させないといけません。
帰国後、修士論文の指導が終了次第、この作文に入ります。
結構重要な仕事なので、1月末までだれも私にふれないでください。。笑


なにはともあれ、研究センターの運用に注がれる1年になりそうですが、
これはこれでとても楽しみです。
みなさんのご協力をいただくと思いますが、
何とぞ、世のため、人のため、と思って惜しまないでください。

いずれにしても、今年も役割満載。
社会的役割こそ、人間の証。
この高次機能をいかさずして、何をいかすべきか。
社会コミュニティーの発展、業界、日本のため、
そして身近な人々のため、
そしてそして、自分のため、邁進していきます。

どうかどうか皆さんよろしくお願いいたします。

facebookにかいた日記

2012年11月08日 19時03分54秒 | 日記
今日の人間発達学の講義.共同注意から心の理論,誤信念へ.自己と他者の心の違いに気づくための幼児教育におけるしつけの重要性を話しました.甘やかされずに躾られることは,信念の違いに気づき他者を尊重する心を生み出すとともに我慢と言う高次機能を育てるのです.報酬だけ与えればいいのではありません.

何に対してほめるか,すでに学習心理学などでは明らかになっています.神経科学はしょせん焼き直しにすぎません.もっと大事なものは,先祖から子孫へ,親から子に,先生から生徒に経験的に受け渡されています.その代々受け渡された人間としての「良いもの」が引き継がれている現象こそがとても重要な科学的態度を生み出すのです.「態度」なのです.



来週は自閉症を中心とした発達障害に入ります.事例を検討し,現象をとらえ,認知的に解釈し,そして神経科学レベルでも解説を加えられるレベルを目指します.そして,社会として何が必要かを考えてもらいます.


講義の後は3年生ゼミをしました~赤口君が運動主体感における感覚の食い違いに関して,片桐君が運動学習における外部注意の気づきの影響に関して,取り上げました.前者にはラテラリティと道具の有無,後者には運動学習の時期と受動的注意の観点を含んで,研究計画を考えることを勧めました.

そして今はUSN研究をPubMedで検索をかけ,久しぶりに気持ちが悪くなるほど情報を仕入れています.論文をず~とみると気持ちが悪くなります.論文は英語は特に読むのでなく,見るようにしています.

あ,4年生の卒論すべて完了です.校閲し,みんなに渡しました.みなさん修正がほとんどなく良くかけていました.少し見直せば全部投稿できるレベルです.国際雑誌もいけますよ.


ニューロリハセミナー反省会を終えて

2012年10月11日 21時36分38秒 | 日記
昨日は先日のニューロリハセミナー応用編の反省会兼慰労会でした。
場所は慰労会で前回もお世話になった和味。
ここは高知県の酒、「南」があるんです。
けれども、この日は昼でなくなったよう。。残念でした。
「南」目当てだったのに。。
しかし、昼になくなるって??と思いました。

さて、今回も和味で18時半に始まり、23時半に終わりと、
5時間も居座ってしまいました。
おかげで飲酒を激しくしてしまい、
結果として、みんな相当によってしまいました。
お金も相当に出ていきました~笑。

今回は運動器リハセミナーのコーディネータの福本先生も交えて運動器リハセミナーの方との情報交換を行いました。

色んな話の中、
ニューロリハセミナーの面々はそれぞれの役割をメタ認識して、
行動にうつしたり、言動に変えたり、抑制したり、することができる仲間であることを再確認しました。

それぞれがそれぞれの講義を聴き、
自分の役割を社会的に演じる。
それぞれが大事なアクターであり、
全員が主役でもありません。
その時々で役回りを考えて行動する。
これにつきます。
それだからこそ信頼ができるのです。

信頼できる(される)仲間に出会い、仕事ができてよかったです。
公平、公正を意識して行動にうつせる面々との仕事は心地よいです。

アンケートからは色んな意見をいただきますが、
我々も反省するところは反省しつつ、
反省しないで良いのは反省しません。

一人一人の意見は様々ですから,必ずしも自分の思いと他者が一致しているとは限りませんので。

ただ私たちも受講料をいただいている以上、最大級のおもてなし、そして利子をつけて返す気持ちは共通してもっているので、是非とも臨床編でもそれを実践したいと思います。
期待しておいてください。



共同注意のあるべき姿

2012年09月10日 09時06分38秒 | 日記
昨日、一昨日と名古屋で日本ペインリハビリテーション学会を無事に開催することができました。
第17回ですが、学会としては第1回であり、正式な船出となりました。

会長の松原氏に始めてあったのは24歳、副会長の沖田氏と初めてあったのは25歳。
その出会いは現在の日本基礎理学療法学会。
当時は理学療法の医学的基礎研究会という名称でした。

理学療法の基盤となる学問体系ができていないということで、
発足した研究会です。
当時は四年制大学もなく、もちろん大学院教育もされていません。
全国から集まってききたメンバーは様々。

私は近森リハビリテーション病院に属していました。
その際、透析患者の運動負荷に関する研究をしており、
エリスロポエチンなどの製剤と運動療法のハイブリットな関係を血液所見から調べていました。
当時は内部障害の研究を推し進めると同時に、
透析専門の医師、看護師と連携のもと訪問にて透析の診療をも行っていました。
当時は、今の診療報酬体制でなく、1日40人以上診療していた合間をぬって、
研究しながらボランティアで患者さんの家まで訪問していました。
CAPD患者(携行型透析)の社会復帰を推し進める上で。
自らそういう体制を発足し、ボランティアとして関わっていた記憶があります。
話がそれてきましたので、またこの話は次回に(近森のメンバーとの関係を話します)。

当時の近森リハのトップは現日本理学療法士協会事務局長の森本栄さん。
彼は兵庫リハにいて、そこで当時、神戸で関係のあった名古屋大学の河上先生が新しい基礎の研究会を発足するから、四国で研究を進めている人間を探している、だからおまえやれ。といわれ、何が何だかわからないまま東京の会合に出た記憶があります。それが第30回の東京学会。
私は透析患者に関する演題を口頭で発表していました。
4年目のときでした。

そこで鮮烈な言葉を発していたのが松原氏です。
あまりの強烈な言葉なので、ここでは封印します。
そのとき、すぐには友達にならなかったのですが、周り回って、
今があります。

一方、沖田氏ともその研究会。
当時は二人とも今より長い髪をふりながら、
若手の勢い任せて発表をしまくっていました。
お互い、髪の長いやつがいるな、という意識でみてたにすぎませんが、
数回の学会を経て、
学会期間は毎晩飲むという仲間になりました。
その二人の関係は、広がり、
つねに飲み会は長崎組と高知組の大宴会になりました。
長崎の片岡、高知の片岡もそれを通じてお互いが意見を出し合う関係になっと記憶をしています。
彼らも今は思考の変化に伴い、お互いがお互いの人生を歩んでいます。

その後、神戸大学助手、長崎大学助手、高知医療学院講師となり、
下積みをしながら、将来は見えないけど、
自分のやるべき研究をやめずにずっとやってきました。
痛みの研究、関節の研究、脳の研究とそれぞれまったく接点を当時は感じていませんでしたが、研究を進め、討議する中で、それを10年ほど続けて、
痛みという現象を解読するためには、一人の個 Whole bodyで捉えないといけないということで、ペインリハビリテーションへと方向性が導き出され、
あの本を作成しました。

現象こそ、私たちが大切にしないといけない情報。
それにくるまで時間がお互いにかかりましたが、
このプロセス、つまり原著を中心にした業績は揺るぎないものになっています。
リサーチを続けてきたからこそ、現象、個人を大切にするという意識が重くなったように思えます。

お互い40代を超え、半ばになりつつあり、
全員大学教授となりました。
ここからがスタートです。
それぞれ自分の立場を活かして、
国を動かすという意識をもってこれから社会的貢献の名の下、仕事をしていくつもりです。

そのためには現在の医師-療法士の関係を変えていかないといけません。
私たちの実績が評価されるよう、社会脳を使いつつ、圧倒的なデータを示し、
そして、教育自体を変えていくことができれば、3人ともあの世で宴会ができると思います。

3人ともまだ夜中まで元気でむちゃくちゃに酒を飲んでますが、
互いに「死ぬなよ」と。
その理由は「困る」とか「まだまだ」でなく、
死んだら「寂しい」と。
その言葉を聞いて、これからの自分の人生を考えようと思いました。

僕にとって、この出会いを作ってくれた、
「森本栄」「河上敬介」両先生に感謝です。

そして、このペインリハ学会を通じて、僕らを介して、新たな出会いが起こりそしてエマ-ジェンスされるべく準備が起こっていると思います。

卒業校も違う、同僚でもない、先輩後輩の関係でもない、恩師-学生の関係でもない、治療メソッドでつながっているわけでない。
痛みをどうするという現象を理解しようとする点でつながっているこの関係が好きです。
大人としての共同注意のあるべき姿だと思っています。


みんなへのメッセージ

2012年07月20日 13時00分59秒 | 日記

本日の午前中は3年生にレナードの朝をみてもらいました。
私はもう30回以上見ていますが、毎度みるたびに新鮮です。
そして、エンディングに近づくにつれ、涙がぽろぽろ出てくるのです。
今回は自己とは何かを調べていた関係で、その人個人の人生について感慨深くなっていました。
ホールの大画面、今年からうん千万かけてプロジェクタを変えたことから、すばらしい映像になっていました。

人間には白黒つけられないプロセスがあり、
そのプロセスこそがその個人をつくっています。
結果だけ切り取る医療は優しくありません。
それはしょせんつくられたアウトカムです。

さて、学生のみなさんには、レナードの朝をみた後、以下の言葉をおくりました。

1. 患者の可能性を信じて行動にうつせ。医療者があきらめたときが限界である。
2. 何をもっても治療に置き換えよ。環境には治療のヒントになることが大いにある。
3. それぞれの人生の履歴を治療に使え。脳にはそれぞれの履歴が記憶として刻印されている。そのひとらしさを引き出そう。
4. ひとりの人間としてかかわれ。いつか自分も老い病気になり死にゆく。たとえ動かなくてもその人自身は生きている。
5. 自分の人生、その毎日毎日をかみしめろ。つらいこと嫌な事そうしたことを感じられる事は人間としてとても幸せなことである。
6. 利他的に生きてみろ。親近者以外へ奉仕することは人間しかできないものである。
7. 患者とともに自分の人生を歩め。そして患者に学べ。それが医療者の姿である。


いつ見ても、今なお脳を研究している私にとっては無力を痛感しますが、
その一方で、人生って、本当にすばらしいと思うのです。
それを老いてなくなるまで、いや突然命がなくなっても、その瞬間まで噛み締めたいと思います。
この世において、「私自身」という、かけがえのない、そして貴重な体験をさせてもらっているのです。




たたき上げ!っていいでしょう

2012年05月07日 09時45分19秒 | 日記
先日、ベトナム国立大学のToi教授をむかえ、
うちの大学のスタッフと情報交換を行いました。
http://www.kio.ac.jp/information/2012/04/post-501.html


島津製作所からのご依頼であり、
いつも無理をいっている関係であるため、
私たちで協力できる範囲で対応させていただきました。

Toi教授はお人柄のよい方で、
ご自身の大学のことや研究室でやられている研究に関して紹介いただきました。
一方、私たちは、私の方で研究室の研究の方向性、
そして、グループの前岡氏から痛みの脳内機構に関する研究、
中野氏からは運動学習における脳内機構に関する研究について紹介がありました。

私の方はプレゼンの依頼が4日前であったために、
十分な英語での準備ができないことから、
幼稚な英語だったかもしれませんが、
無事にディスカッションまで行うことができました。

彼らは姿勢バランスに興味をもっているようで、
グループの冷水氏の研究に興味をもっていました。
冷水氏の研究は自己観察フィードバックによる姿勢バランスの向上です。

実際の情報交換会に関しては、企画部の伊藤氏にも少しお手伝いいただきました。
彼はTOEIC900点以上の英語脳をもっており、
サポートいただきました。
彼のfacebookには私の英語がまさにたたき上げであることを示してくれました。

実は私は英検やTOEICなんかにはまったく触れない生活であり、
英語の文法なんかそもそも興味がなく、
そのまま渡英して、語学学校に入った経験があります。
午前中は語学学校、午後はバースの王立病院の臨床で、
セラピストや患者さんと適当な英語でしゃべっていました。
適当な英語なので、今でも自分の英語はおそらく幼児なものだと思います。
しかし、幼児でも日本語によるコミュニケーションは成立しており、
いかに共同注意による現場学習が大事かがわかります。

書く、読むことは教育、学習が必要ですが、
話すことは形式的な教育、学習はとりたてて必要でなく、
母親との共同注意によってはぐくまれるものです。
だから、私の英語もそのようなものなのかなと思います。

しかしながら、英語圏でまくしたてたれると、幼稚園児なので、
対応が不十分なわけです。
自分の留学先が英語圏でなく、
フランス語圏であったため、途中でとまっているわけです。
イタリア語、フランス語、希望を使える会話は成立しますが、
それ以外は成立しません。

このあたりも、幼児の命名期における、疑問符による会話ににています。

いずれにしても、言語は共同注意から学習するものであって、
人との関係で生み出すものであり、
そこには行為や道具が欠かせないわけです。
三項関係をどのように構築するか、
それが語学学習には大切なのではないでしょうか。


さて、たたき上げという言葉から、
実は私には明確な師匠はいません。

研究にしろ、論文執筆にしろ、臨床にしろ、
論文投稿手続きにしろ、
何にしろ、誰かに教わった経験はありません。
すべて、盗み模倣しながら経験をつくってきました。
だから我流なんです。

学ぶというものは、自らの経験から得られる。
あくまでも受け身では成立しない。

その際、このような人生をあゆみたい、
こんな人生になりたい。
とかあることかが、能動性を後押しすると思います。
一方、切迫感も大切でしょう。
将来への不安は、ネガティブでとらえられる一方、
人間をたくましくする手続きでもあります。

今の日本は若者にとっては不安なようですが、
僕は日本が変わるチャンスだと思っています。

残念ながら、自分は自分が何者であるかが、
もうわかりました。
だから、不安感はありません。

けれども、若者はまだ自分が何者であるかがわかりません。
いや、何者でもないという方がよいでしょうか。
だから、不安になるわけです。
だから、仕事が向いていないとか、思うわけです。

何者でもないという感覚は、
不安感をもたらす一方で、挑戦というものをもたらします。

何者かを見つけるために、挑戦してみてください。
たたき上げっていいでしょう。


再掲「一昨年7月7日のブログ」(一部改変)

2012年04月28日 19時09分21秒 | 日記
困難の度合いというタイトルのブログ

突然,脳卒中になって倒れ,志半ば目標が失われた人,それによって家族が路頭に迷ったケース.
突然,がんを宣告され,死の恐怖を感じている人,それにより愛すべき人を失う不安に苛まれたケース.
こうした方々に対して,自分は心底から共感することは難しい.
なぜなら,それに近い事態に巡り合っていないからです(母親が脳卒中で亡くなりましたが、路頭に迷うことはなかった).

しかしながら,その人たちと共に歩き,その後のプロセスについて共感することは可能と思います.

けれども,療法士自身が困難・苦労・不安など幾度とない経験をしていないと,一緒にこれらの方々と共同注意しながら立ち向かうことができないとも思います.

今,実習に行っている学生諸君は,社会という厳しさにおいて,困難という壁をつきつけられ,それと格闘しています.
しかし,そのような困難は,先に示した病気と闘っている方の困難・不安とは比べ物になりません.

わからない,できない,書けない,などと言っていますが,そのような困難度はみなさんが関わらないといけない人たちの度合いに比べ,とても小さなものです.
しかしながら,その小さい困難がこれからも幾度となくあらわれ,それを些細ながらも,そして小さいながらも乗り越えていく経験の繰り返しによって,
そのような人たちの苦しさは心からは共感できないが,理解しようとするこころは生まれてきます.

患者さんたちはリハビリに向かい,もっとよくなろうと懸命に自分に向き合っています.
その懸命さに比べ,学生諸君の懸命さはまだまだ足りません.
懸命に真面目に努力する,そうした姿勢の繰り返しが,自分の無力さを知るとともに,「無知の知」を生み出し,知らなければならない,もっと技術を高めなければならないという志向性を生み出すのです.

もう一度言います.みなさんの困難・不安は比べようによってはとても些細なものです.
それをすぐさま乗り越えられなくても,乗り越えようとする姿勢の繰り返しによって,経験が構築され,信頼されるセラピストへ進化するのです.
「わからない」「できない」はたまた「レポートが書けない(レポート実習は推奨してませんが・・)と嘆く学生たち,思うように「動けない」患者さんたちの真の苦しさがわかりますか?自分をプロテクトせず,前を向いてがむしゃらに,自分をさらけだし,できないことをできるようにするように懸命に努力し,わからないことに蓋をせず,生きていってもらいたいと思います.


涙の質を上げるよう,日々頑張ってもらいたい.



心の理論の本質

2012年04月12日 11時07分14秒 | 日記
先日、4月2日の10時に募集を開始したニューロリハビリテーションセミナーは、20分程度ですべてのコースを締め切る事態になってしましました。
基礎編、応用編、臨床編は200名の定員ですが、多くの受講者が想定されることから、300名までとるようにしましたが、それでもこのような事態を招いてしまい、年度計画を考えていた方で、今回間に合わなかった方にはお詫び申し上げます。

もう1度、年度計画ですべてのコースを開催と考えたときもありますが、
大学の入試、オープンキャンパスなどのスケジュール、
そして講師陣のスケジュールを考えると難しく、
せいぜい1コースをと思っています。
ただし、これらのコース内容はある一貫性をもって構成していますので、
どこかだけチョイスするのを悩んでいるのも事実です。

応用編、臨床編のニーズが高いことは承知ですが、
基礎編があってこその応用編、臨床編でもあるので、
このあたりを悩むところではありますが、
どちらかの開催、あるいはその両者をミックスして、
独自の別の内容を提供するというのも考えています。

しかしながら、あとはスケジュールとのにらめっこですので、
それを年度で開催できるか、ここ数日考えています。


さて、今年度でニューロリハビリテーションセミナーは3年目を迎え、
次年度はこれを継続しつつ、
新たな展開も考えています。

継続することも大切ですが、
それがルーチンワークになれば、
劣化してきます。
劣化すれば、評判が悪くなり、
それは畿央大学の評判だけでなく、
ニューロリハビリテーション全体の批判にもなりかねません。

人間は非常に繊細かつネガティブな動物でもあるので、
自分が期待したことが提供されない場合、
そのもの(人、もの)を批判したり、否定したりしてしまいます。

そもそも人間の心は違うはずと理解していても、
自分と他者を対比して、
自分の願望が提供されない場合、
その他者を批判してしまいます。

大いにして、若いときにはこれがありますが、
あるところ、タームでその意識変革ができないと、
結果的につまらない人生を歩んでしまいます。

たとえば、病院での上司など、
若者が新しいものを提案したときに、
結局は自分の方向性とそれが違ってた場合、
それを否定してしまいます。

10代、20代の恋愛でもよくあることです。

一方、若手が上司に新しいことを提案してもつぶされ、
疲弊していくのもよくあります。

結論から言うと、他者にあまり期待しないことです。
この言い方をすると、誤解を招きそうですが、
自分が求めることを他者に求めても、
他者がそれを重要とは思っていないことは大いにあることから、
結局は意識のすれ違いで、それがストレスになります。


そもそも人間は違うのだから、
良きもあしきも、自分の弱いところを相手が補い、
相手の弱いところを自分が補うことにより
システムが成り立っていると思うのが肝要です。

私の以前の上司は管理に弱かったのですが、
それを補うように私が管理をしました。
多少、ルーズさに腹がたつこともありましたが、
その創造力は目を見張るものがあり、
それがあるから、自分は縁の下の力もちになろうと思っていました。

一方、現在は上司という立場になり、
方向性、創造性は後輩たちよりも優れている感覚はあります。
けれども、連絡などのルーズさが露呈してきました。
それを補うように後輩たちがその仕事をしてくれています。

人間には弱いところがある。
その一方で強いところがある。

弁がたつが、管理はない。
いろんなことの意見を述べるが、その具現化には弱い。

いろんな人間がいます。
だからこそ、ストレスになりますが、
お互い補完しあい、種が保存されているのです。
利己的であり、利他的、これは人間がそもそも持っている能力ではなく、
人間として社会を生きることによって、
つくっている能力なんだと思います。
関係性から生まれる意識の極みではないでしょうか。


話はそれてきましたが、
ニューロリハビリテーションセミナーに受講できなくて
残念だった人、後悔している人、そして、一部のシステムトラブルで腹が立っている人、などいたようですが、
それも自分の意識、
我々は最善のおもてなしをしようと考えていましたが、
ホームページのシステムトラブルなどで、
思うようにいかなかったこともありました。
決して適当になんてことは思ってなかったわけですが、

相手側からみるともっとサービスをと思ったことでしょう。
これも人間の意識と意識の違いであり、
これを埋めていくのが人間社会なのです。


心の理論とは相手の心を類推するということだけでなく、
自分のこころと相手のこころはそもそも違うということをメタ認知することです。
けれども、人間はいつしか後者を忘れてしまい、
自分の意識と相手の意識を同じと考えてしまい、
自分がこう考えているのに(自分がこうしているのに)なんであなたはこう考えないの!?(こうしないの!?)と思ってしまうのです。

そもそも違うと思えば、解決できることはいっぱいあるのです。


29歳の自分へ

2012年03月21日 19時10分33秒 | 日記
昨日無事に41歳の誕生日を迎えました.
無事にというところがみそですが,私は18歳の時に
自分のイメージが40歳までしかなく,
だから40歳以降の人生が存在しているのか,
よくわからなかったのです.
若い時に漠然と年はとることは知っていても,
自分がそうなる,つまり中年になるとは想定できないわけで,
その類を真剣に考えていた時期です.


またそれからしばらくして40歳で松田優作がなくなり,
ブラックレインの映画の狂気な演技を見た際,
人間とはピークを迎える前に,
それを終える人がいるんだなと思った次第で,
それに自分を重ねていたのかもしれません.

また音楽をしていた関係で,そのほとんどが20代で命を落とし,
故郷の英雄坂本龍馬も33歳.
そして,私の祖父は両方とも短命で,30代,40代でなくなり,
さらには叔父や叔母も30代,40代でなくなったなど...
そういう心のコントロールもあったのかもしれません.


私は決して裕福な世間一般にいう幸せな家庭に育ったわけでなく,
小学校から家では一人で過ごすことが多く,
自然と中学校になればアウトロー的生活になるわけで,
いわゆる不真面目な部類にカテゴライズされるわけです.
そんな自分だから,人生人生において攻撃的で,
いつまでも自分の人生が続くイメージがわかなかったのが最大の原因かもしれません.


しかし,無事に41歳を迎えました.
ここまできたのも,何回か駄目になりそうなときに,支えてくれた方々のおかげです.
人生を支えてくれた人,方向を導いてくれた人,落ちそうになったとき救ってくれた人,などなど.
その方々なくして,今の私はありえません.
本当に感謝が身にしみます.
ありがとうございます,という一言では表わしきれません.




さて,

29歳の時,理学療法ジャーナルの取材を受けました.
Treasure Huntingという記事で,第34巻第10号の731ページ(2000年)には,
そのタイトルに「原点に立ち返って運動療法を見直したい」とあります.



そこには「休まず走り続ける”いごっそう”」と見出しがあり,
私の言葉が使われています.

「とりあえず40歳までは走り続ける」と・・・
また将来はパリにすみ,カフェでメルロポンティを読んで過ごしたいと私自身独白しています.

最後の記事見出しは「運動療法の想像と創造」とあり,以下の文章が挿入されています.
「森岡氏がこれから取り組んでいきたいと考えているのが神経生理学,神経運動学,神経心理学を融合した「脳と行動」の研究,それをあくまでも理学療法のレベルで行うことで「旧来の運動療法を変える」ことだそうだ.ご本人は夢のような話と仰るが,どうしてどうして,若い理学療法士に現実のパラダイムを転換しようとする問題意識と絶えざる未来志向があれば,あながち不可能なことではあるまい.理学療法のすべての領域で,とりわけ運動療法の効果を科学的に裏付けるすることが求められている今日こそ,想像力と創造力豊かな理学療法士による新しい運動療法の登場が待たれているのである.若い森岡氏には,その変革の旗手の役回りを期待したいものだ(編集室).」


さて,29歳の自分,12年後の今を見て,それが達成されているだろうか.
少なからずとも「脳研究」が療法士の手である程度当たり前になってきた感覚はあるかな.


29歳の自分,それなりに評価してくれるか?41歳の俺を...