隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

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「戦後史の正体」よりfrom Identity of Postwar Japan's History

2012-10-08 17:51:54 | Weblog
「戦後史の正体」より from Identity of Postwar Japan's History 平成壬辰廿四年神無月八日

この本も、最近友人S君より推薦された本です。手元に取り寄せてあったので、じっくりとはいかなかったが、読んだ。
先日の「海峡の蛍火」と同じように『如何に列島なりに治めるか』という命題となりました。
孫崎氏は、現代の問題を解決するには少なくとも、戦後67年の歴史を振り返って見なくてはならないとして、主だった政治家の自伝や日記などを読みこなし、事件の真相を解き明かしてくれた。

 戦後の日本外交は、米国に対する『追随』路線と『自主』路線の戦いであったとする。
米国からの圧力とそれへの抵抗を軸に戦後史を見ると、大きな歴史の流れが見えてくる。彼は「日本には日本独自の価値がある。それは米国とかならずしも一緒ではない。力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか。それが外交だ。」と、一貫して自主路線を模索している。

 彼が調べている中で、驚いたことを取り上げます。それが何よりの根本の問題だからです。
平22年10月15日、ちょうど2年前、ブログに「そもそも・・・」という題で書きましたが、孫崎氏も「昭和天皇、マッカーサー会見」(豊下氏著)のすばらしさを語っている。
昭和天皇は「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」というメッセイジを米側に伝えている。こうした事実をもとに、昭和天皇の政治関与を克明に実証している。 独白録や通訳の証言から得た推論ではあるが、無視できないと私は思います。 そして、1979年進藤栄一氏が、米国の公文書から驚くべき文書を発掘し、雑誌「世界」4月号に「分割された領土」という論文を発表。昭和天皇側近の元外交官寺崎英成氏が、GHQ側に接触して伝えた沖縄に関する極秘メッセ―ジである。
「マッカーサー元帥のための覚書(1947,9月20日)(マッカーサー司令部政治顧問シーボルト)
天皇の顧問 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年、あるいはそれ以上――の擬制(フィクション)にもとづいてなさるべきだと考えている。」
このような言明したという文書が出てきたということは、沖縄の現実がいまでも基本的にこの昭和天皇の要望になっているのである。ここまで深く日米関係に直接かかわっていたのである。推論でない事実なのだ。進藤教授によると、日本の新聞、学界は、全く黙殺だったそうだ。タブー扱いなんでしょうね。
「陵墓」の宮内庁の仕事も同じなんでしょうね。

 孫崎氏はいう「日本最大の悲劇は占領期の首相(吉田茂)が、独立後も居座り、占領期と同じ姿勢で米国に接したことにある。米国が『われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を持つ』ような条約を独立後も結ぶべきではなかったのです。吉田ひとりで署名した理由がそこにあった。」と。しかも、岡崎勝男を使って、「岡崎・ラスク交換公文」で基地の自由使用を認めた。これは事実上の密約である。

北方領土問題で、一般日本人がほとんど知らない重要な事実があるという。
実は北方領土の北側の二島、国後島、択捉島というのは、第二次大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ連への引き渡しに反対し、わざと『北方領土問題』を解決できないようにしているのです。理由は日本とソ連の間に紛争のタネをのこし、友好関係を作らせないためだという。

 孫崎氏は「ポツダム宣言」「サンフランシスコ講和条約」の文書や「トルーマン回顧録」などで、ここの経緯を詳しく説明している。
 国後島、択捉島は、第二次大戦が終わる以前から米国が「ソ連に引き渡す」と明言しているのだ。サンフランシスコ条約では「千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とされ、日ソ国交回復には、この千島列島に含まれる択捉、国後についてはあきらめること(重光外相も)にしたが、ダレス国務長官が圧力をかけてきたという。
北方領土問題のタネを残すことになった。米政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした訳である。国際政治では常識なのだそうだ。

 すべて、そもそも沖縄は、昭和天皇と岡崎・吉田によるレールが敷かれているのだ。
鳩山首相は沖縄の普天間基地を「最低でも県外移設」と提言し、つぶされた。
しかし、冷戦期のように米国のいうことを聞いていれば大丈夫という時代は終わった。
 終戦直後、膨れ上がるGHQの駐留経費を削減しようとした石橋湛山大蔵大臣は、すぐに公職追放されてしまうが、「あとにつづいて出てくる大蔵大臣が、おれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを2,3年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう」と、いっている。
 鳩山首相はマスコミにまでつぶされたが、野田首相はこの沖縄レールを無くすようもっていけないだろうか。 森本防衛大臣はあまりにもアメリカべったりで、見るからに守りに徹している。新首相に期待するしかないか?
 沖縄に基地がなくても、日本には横須賀、佐世保、三沢、横田、座間と海軍、空軍基地があり、海外にある米軍の約30%の価値をもっている。しかも半分以上の経費の負担をしている。沖縄が消えたとしても抑止力の低下にはならない。
 オスプレイごとグアムに移転させるよう持っていくべきである。
海兵隊は自衛隊が十分この機能を果たせるとおもう。抑止力は日本列島全体が担っているとしても過言ではない。日本列島なりの治め方だと思います。

お読み下され、感謝致します。
「戦後史の正体」孫埼享 創元社
花は庭の酔芙蓉です。朝白から夜ピンク翌朝赤に変化します。