隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

金剛峰寺 松長(まつなが)有慶(ゆうけい)座主のご法話Sermon of Matsunaga Bonze

2012-04-23 08:44:15 | Weblog

高野山・金剛峰寺 松長(まつなが)有慶(ゆうけい)座主のご法話 Sermon of Matsunaga Bonze
平成壬辰廿四年卯月廿三日
 
 昨日は、雨の中を1時間半かけて、揖斐川町大興寺さんへ有難い、ためになる法話を聞きに行ってきた。
雨にもかかわらず、本堂には140名の人たちが駆けつけていた。
いつも雨だと、正座は勿論できず、胡坐も楽にならなかったが、奇特な人が見えて、全員が腰かけられる小椅子が寄付されていた。本当に有り難かった。
 高野山とはいかにも遠い。4時間は移動に見なくてはならない。お座主さまは昭和4年生まれ、83歳。東北大大学院から高野山大学学長へ、平成18年から座主(第412世)、高野山真言宗管長を務めてみえる。高齢だから大変だと思われた。
 今日は弘法大師の『(真言)密教』の教えをストレートに、と思いきや、今の日本の置かれた状況を分かりやすく述べられた。こちらがどれだけ理解できたかにかかってくる。
 
3.11から日本人は生き方を変えようとなってきた。
日本はいままで国難を3度経験してきている。
① に明治維新 ②に終戦 ③に今回の東北震災(約2万人犠牲)となるが、今回の危機は性質が違っているという。明治維新の時は、文明開化、脱亜入欧、富国強兵というスローガンのように「お手本」があった。また、終戦を迎えて、ただひたすら「アメリカの真似」をすればよかった。
今回は、米ソの対立はない。アメリカを手本にはならない。経済大国になったが、9.11,リーマンショックをへて、アメリカは兵隊派遣から撤退という状況で、科学技術、経済至上主義の限界にきている。ギリシャ・イタリアが経済混迷の中、日本は自分の考えで、自分の価値判断で、見つけねばならない。

 ここから、座主の仏教の考え方の基本を説かれた。
去年1月ダボス会議にキリスト教、イスラム教そして仏教が呼ばれたという。
西欧人が仏教に関心がありと感じたという。
西洋では神が万物を造ったとするが、仏教では「共生」という考え方があり、一切衆生
皆生命を持っている。自分だけでなく、繋がっている。
松長座主の言葉より
日本語で、「もの」は、物質の「物」であると同時に、いのちある「者」でもあります。物質にはどれにも、かけがえのないいのちが宿されているとみるのが古くからの日本人の常識だったのです。このような日本人の自然観は、一人称単数だけを大文字で書く、西洋の文化との相違の一つとみてよいでしょう。日本人だけではなく、アジアの人々はみんな、目の前に存在する山川草木ことごとくが、生の息吹きにムンムン溢れ返っているとみております。アジアの人々の間では、二人称も三人称もみんな大文字であっておかしくないのです。 日本人はいのちあるものはすべて、神として崇めてきました。現代の常識では、地、水、火、風、虚空、これらは物質であり、無機物とみなされます。しかし大地の神が人々に豊穣をもたらし、あるときは飢餓に落としいれるように、水、火、風、虚空のそれぞれの神が、人々に幸せを約束するかと思えば、一つ間違えれば人々に危害を及ぼす悪い神にも姿を変えるのです。
 禅宗では「一切衆生悉有仏性(しつうぶっしょう)」といっていますね。
 多元的に考える。 西洋では一神教ですから、絶対は絶対だといって、戦争ばかりやって、排他的である。

 真言宗には「曼荼羅」があり、大日如来が中心におかれ、仏・菩薩などが配列されているが、誰でも何かの値打ちを持って生まれてきている。1%の取り柄でも入れるという。
異教徒もだ。有り難い図なのだ。
 秘密という言葉には意味が二つあり。
① 如来の秘密 ―――隠しておく(相手のためにならぬからとか、能力に応じてという条                               
件で)
② 衆生の秘密 ―――自分の元に受信機がないから、見えない、分からないのである。
         密という字には親しいという意味があり。親密になれば、何でも   分かるようになることだろう。
衆生たるものは「自分で価値を見つけ出さねばならない」。修行ですね。
心の目は受け継ぐものではない。自分が目を磨かねばならない。
あんたはまだ見る眼がないからですと言われているような気がした。
「人が悪い」とか、「相手を非難して」いてはだめである。
本当の道を見つけよ。
「医王の眼には途(みち)に触れて、皆薬なり。」
脱線で、万物の「水」について 真言の中にも、とてつもなく命を持っているものとする。末期の水を死者の口に含ませるが、三途の道中で喉が枯れないようにではなく、再生の願いからであると。

金剛峰寺とは
空海が、高野山に金剛峰寺を建てて真言宗を開いた。真言とは大日如来の真実の言葉だという。大日如来は真言宗の教主です。 密教という秘密の呪法の伝授・習得により悟りを開こうとするもの。空海が恵果阿闍梨から智恵の火で迷いの薪(不浄のもの)を焼く護摩の伝法を授かった。
 総本山金剛峯寺の住職は、座主と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任することになっている。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より、名付けられたと伝えられている。平成27年に開創1200年の歴史を迎えるという。

今後の日本をどうするのかを、自分の眼で、判断しなくてはならないと、警策で打たれたようであった。
お読み下され、感謝致します。