隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

帝釈天ガイドGuide 

2009-06-22 22:41:08 | Weblog
帝釈天ガイドGuide       平成己丑二十一年水無月二十二日

3年ぶりの同窓会。皆それなりに、歳をとってきていた。
この会は大学のサークル活動での同窓だから、久しぶりの先輩方のお話を聞くことが出来、今後の生活の指針を得ることが出来た。有り難いことだと思えた。
実は、この会の集まりは午後4時からだから、朝、昼には時間が在ったので、柴又の帝釈天題経寺へお参りに行ってきた。21日土曜日ということもあり、大変賑わっており、柴又駅を降りて寅さんの銅像の前で記念写真を撮ってもらおうと周りをみました。何とボランティアガイドの法被を着た方が数人おられ、中に杉浦美智子という女性が名札をぶらさげて待っておられた。撮ってもらいましたが、それだけではなかったのです。 帝釈天は、映画では二天門、帝釈堂、と大鐘楼ぐらいで奥行きは感じなかったが、行ってみると本堂、開山堂、大客殿が渡り廊下で繋がれ、その中庭(邃渓園すいけいえん)があり、奥行きたっぷりのそれは「ここが東京の下町か?」というくらい威容を誇っていた。帝釈天の説明は当り前で、それからが長くて広いのだ。ずっと私についてガイドをしてくれた。日蓮宗のお寺で、彫刻の寺と呼ばれるだけ、素晴らしい彫刻の数々に目を見張った。なかでも法華経説話彫刻は人物の顔も表情も豊かに細かく彫られていた。ガイドさんは全国から欅の彫刻材を取り寄せたといってみえた。野球の王監督などが石柱を寄進されていた。 ガイドさんは「矢切の渡し」へも連れてってくださった。江戸川を見たかったのです。 400年前、ここらは湿地帯だったのを、徳川家康が、赤堀川掘削、、江戸川の開削などすすめ、利根川を東に導いた「利根川東遷」で、湿地から農地へ転換させた。「日本文明の謎を解く竹村公太郎著からですが、最近亡くなられた阿久悠氏は「男はつらいよ」シリーズのビデオ全48巻を購入して、我々学生運動全盛時代からの世相・背景社会を復習したそうです。その寅さんの記念館が堤防際にある。そこへも連れてってもらえ、参道で食事をして、至れり尽せりのガイドをしてくだされた。
題経寺の檀家世話役の家柄をしっかりと受け継いでみえる。青森出身で大学で知り合ってそのまま下町の奥さんとして頑張ってみえたとのこと。
ありがたくここまで半日もガイドして下さるとは! お礼の代わりに名前を挙げさせてもらいました。
ちょうど会の30分前到着。
有り難い会食が始まった。
先輩のOさんが浅草文化のガイドをライフワークとしてみえることを知って、関心致しました。今日寅さんのガイドを受けたのだ。
去年、バンクーバーのSamさん家族をガイドしましたが、奥さんが5か月の身重だったので気を使ったのを思い出す。
自分以外との共生はなにも自然だけでない。人と人との共生が出来なければ自然との共生が出来ませんよね。60過ぎると会社と離れた何か社会との接点が必要となってくる。まだ現役の私は別にして、皆、悠々自適の身でありながら、海外生活の長い方は違ったかたちで貢献されようとしている。
映画「アバウト・シュミット」(恵まれない子へdonationする)「最高の人生の見つけ方」(死ぬまでに後悔しないようにやるべきリストの作成)の実践を始めなければならないと思った次第です。
 一様に健康は大事だと、聞かされた。ご自宅に来いよと夜8時ごろ誘って下さりお世話になったIshi先輩や、学園紛争で共に活動させて頂いたIta先輩は亡くなられたと聞いた。残念でなりません。
皆さんから「ブログの内容が難しい」と、いわれるほど、お読み下され感謝致しております。書いている本人も難しいと思っております。
投稿UPはできるだけ体と相談してやっていきますので、よろしくお願いします。
お読み下され、感謝致します。