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なせば成る!!!!
レアル・マドリードについて書いていきます。

9.11.2001Ⅶ

2011-09-11 22:59:10 | レポート

消防士オリオ・J・パーマーは、若い頃からよくランニングを行っていた。何キロも走り消防士として必要な体力や脚力を身に付けた。そして、彼はTVコマーシャルの合間に腹筋をするなど、家族との団欒の時間ですらトレーニングを怠らなかった。また、彼は子工学で準学士号を取得するほどの努力家でもあった。
その成果は、消防局のベストフィットネス賞の受賞や9.11同時多発テロ時に現れた。

2001年9月11日火曜日、午前8時46分に貿易センタービル北タワーに飛行機が突っ込み、その日ニューヨークにいた消防士の殆どがNY一高いビルに向かった。午前9時3分には南タワーにも飛行機が突っ込み、現場は大混乱となった。
そんな状況で大隊長であるパーマーは部下を連れて南タワーに向かった。彼は殆どのエレベーターが動かない絶望的な状況の中、稼動していた貨物エレベーターを発見し救助活動に大きく貢献したのだった(40階に直接救助隊が行ける、救助者が直接地上に行ける)。

貨物エレベーターで40階まで登ったパーマー達はエレベーターが稼動している事を指揮所に報告し、階段を使って上層階に上って行った。彼らはブーツ、上着、ヘルメット、酸素マスクを装備している為、この作業はとてつもなく過酷なものになった。
パーマーは先頭に立ち、火元を目指して物凄いスピードで上って行った。パーマーの部下であるスコットとダグラスも遅れずに着いて来ていた。
パーマーの歩みは上階に行く度に速くなっていった。9時45分には74階まで到達した。

その数分後にはパーマーは飛行機が突入した階である78階に到着した。
9時51分、パーマーは無線で報告した。彼の声は今までと明かに様子が違っていた。彼は2箇所で炎上中と伝えた上で「多数のテン・フォーティファイヴ(民間人)。コードワン(死亡)」と言った。
78階で多数の死者が出ていたのだ。その理由は、北タワーに飛行機が突入した時に多くの人が避難しようとこの階に集結した。しかし、避難アナウンスの取り消しによって避難しようか迷ってこの階に居残る人が沢山おり、飛行機突入と共に死亡したからだった。
パーマーと部下たちは救助活動を始めようとしていた。78階には死者だけでなく、僅かながら生存者とその人々に付き添っていた警備員、そしてエレベーターに閉じ込められたままの人々が居たのだ。

南タワーの78階やその他の階の状況は無線で指揮所に次々と伝えられた。その頃、男が一人警察に電話して助けを懇願していた。
そんな時、南タワーが揺れ始めた。午前9時59分、数多くの人々の希望を絶望に変えて南タワーは崩壊した。このタワーに飛行機が突入してから僅か56分後の出来事だった。

この悲惨なテロ事件から今年で10年の年月が経ちました。この事件によってあの日、多くの人が亡くなりました。そして、現在まで続く戦争を生み出しました。
9.11から今日で10年目の節目を迎えます。

9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
オリオ・J・パーマーについて詳しく書かれています。この本は、当時をそのまま描いているのでお勧めです。

動画
World Trade Center

過去の記事
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9.11.2001Ⅱ
9.11.2001Ⅲ
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9.11から7年
9.11 2001 Ⅴ
9.11 2001 Ⅵ