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ソニーの有機EL市場再参入のニュースに思う。

 東芝・パナソニック・LG が自社開発で技術を競う中、ソニーは基幹部品のパネルを韓国のLGから調達して再参入とのこと。ソニーは9年前に一度有機ELから撤退した。とはいえ拡大が期待される市場なので この度、基幹部品に他社技術を使用してまで参入しなくてはならない事情は理解できる。スピーカーを使用せず画面を振動させて音を出す点などをウリにするそうだが、果たしてそれらが他社でなくソニーのモノを買う理由になる程のものなのか、今後消費者が答えを出していくだろう。
ソニーといえばかつては他社のマネをせず世の中にないものを創造するのが社訓でもあった。しかし世の中が変わって何をやっても所詮はコモディティ化するこの分野のテクノロジーなどにハナから大きく資本投下せず、他社技術を拝借して身軽に構えた方がいいという判断なのだろうか?私のような古臭いかつてのソニースピリットの夢の実現の恩恵にあやかってきた世代としては

「そんなソニー 要らない」と思えてしまう。

このところ収益的には復活したように見えるが、出井&ストリンガー時代に始まった負の潮流はいまだ重くのしかかっているようだ。クラシックなソニースピリットを捨てざるを得ないほど、かつての有能な開発頭脳はそうとう流出してしまっているのではないか?

創造的な製品を継続的に送り出すのはかつてよりは難しい時代になったと思う。かつてのソニーをお手本としたスティーブ・ジョブズの起こしたアップルも彼の死を機に革新的な製品が途絶えている。あっというモノがなかなか出てこない。 

何をやってもコモディティ化・・・と書いたが、考えてみれば昔だってそうなのである。様々な分野でエレクトロニクスがアナログだった時代でも、一度開発して普及すればいずれその技術は何処のメーカーだって造れるようになっていた。その点では今も昔も大して変わらないのではないかと思う。

しかし・・・・

違うのはそのサイクルが早くなったことと、デジタル化が想像以上に多分野に広がったことだろう。

コモディティ化に至る期間が短いということで、経営的に製品の「花のなる木」の期間が短くなり、創業者利益がかつてのように潤沢に得られないという問題が生じる。あわせてエレクトロニクスのデジタル化・コモディティ化で製品単価も下がっていく。すると企業はダブルパンチで再投資の原資が減ってしまうので、自ずと製品開発がダイナミックでなくなる。

経営者も投資効率優先でコスト削減ばかり気にするので開発者のモチベーションも下がる。90年代後半から2010年頃までのソニーがはまった負の連鎖だ。

LP、CD、から配信・ストリーミングへと流れた音楽産業がいい例だ。気づいたら媒体に2~3千円を出す必要もなくなり、店に行かずにすぐにダウンロードできたり月額安い額で好きなだけ曲を聴けるようになった。代わりに、薄っぺらい音楽が増えた。再投資の原資が減ったことと、デジタル化の進行で安価に制作できるという二つの側面が業界とその産物を変えた。

こういう潮流は消費者も変える。デジタル化で簡単に制作できた曲を薄っぺらいなどというのは私のようにアナログ時代の製品の進化の恩恵を受けた世代か、ある程度の年齢に達してホンモノ志向に目覚めたある程度の所得のある消費者だけで、多くの音楽を聴く若い人々は、進化したシンセサイザーの打ち込みのバッキングで作られた楽曲をMP3適度の圧縮された音質で聴いても薄っぺらいなどと思わないで十分満足しているようだ。彼らがマクドナルドの味が恋しくなって食べたくなるのと同じで、そうした音が慣れ親しんだ体に染み付いた音なのだろう。「音」がそうだから「映像」も然りで 、今のところ彼らに4Kどころか大画面テレビもいらない。携帯でゲームをして、オンデマンドで見たい番組などやYouTubeを見ればいいしメールもSNSもメッセンジャーアプリもできるからもはやパソコンすらいらない。

音楽ばかりでなくいろいろな分野で着実に世の中が変わっている。

エレクトロニクス業界もブランド物と安いファストファッションの二極分化が進んだアパレル業界のようになっていきつつ、資本関係は維持しつつもますます細分化され多岐な会社に別れていくのだろう。

そういう点で、昭和を引っぱった「一貫生産の総合エレクトロニクスメーカー」という形態も過去の遺物になることの現実味を予感させるソニーの有機EL市場再参入のニュースであった。

しかしつくづく思う・・・

外資傘下となったシャープや今回のソニーの選択のようなことが私企業の存続のためだけに平然とまかり通ってはいけないと思う。ニッポンの製造業が製品の核となる技術を海外から買っていいのだろうか。東芝の半導体技術も海外流出させたくないところだ。グローバル化というと聞こえが良いが、そういう側面だけで捉える問題ではない。

かつては製造業の開発力と高い品質や生産性が日本経済を支えた。資源のないニッポンでは人一倍働いて所得を得るのだ!と親や先輩から言い聞かされてきた。

それらを失っても経済を支えていける付加価値が稼ぎ出せるものがあるのか?観光と固有文化だけでは甚だ疑問だし、こうした観光・文化の繊細な味わいや美しさは高度なモノづくりと精神的に共通するものだと兼ねてから思っているので、高度モノづくりが衰退すると、連鎖的にこうした文化もダメになって行くと思っている。

時短の問題やコンプライアンスの問題などこれまで疎かにされてきた事柄の改善も大切だが、変化の大きな時代の中、明日の国際競争力のある付加価値の高い製品とサービスの創出の基軸をどう考えるのか、国や企業としてしっかり準備しているか甚だ疑問だ。  

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