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軽い詫び。

浅草で老舗の天ぷら屋に入った。

傘をもっていたので、「かさ、ここに入れていいですか?」とおそらく私と同世代の高齢者の店員のおばさんに聞いたら「ああどうぞどうぞ」といってくれたのでその傘立てに入れた。
そして席に着いたあと、別の店員のおばさんが席の方にその傘を持ってきて、こっちにおいて下さいといって席のソバの傘立てに置いた。どうやら遠くの傘立てに入れないで、席のソバの傘立てに入れないといけなかったようだ。

それをみていたのであろう、最初の店員のおばさんがお茶をもってテーブルに来たときに「傘、すみませんでしたね。私がそこに入れていいなんていったから・・・」といったので、私も「ああ、だいじょぶですよ」と軽く返した。
 
まあ、至極当たり前な軽いお詫びでどうっていうことのない会話だった。ところが ふと思ったが なかなか最近はこの程度の軽い詫びを口にだして言う人が少ない。
最近の日本人(特に都会で)はチョットしたことでなかなか詫びないので、そのおばさんのさりげない軽い詫びが ちょっとうれしかった。 
 
さて、その後でそのおばさん、ほぼ満席になってきた店の中に新たに入ってきた6人の高齢者の客を別の席に通した。客たちは席のところで立って少し狭いことを危惧した。(私は腹の中で”混んでるんだから我慢しろよ”と思った。)するとおばさんは「立っているより座るとさほど狭くないこともありますからすみませんけど一度どうぞ座ってみて下さい。」というようなことをいった。そして座ってからしばらくして向こうの席が空いたらすかさず「向こう空きましたけど、チョット広いかもしれないから移動しますか?」といって案内した。
 
こういう老舗の店で黙っていても客が入る店の店員は えてしてぶっきらぼうで、客を店のルールに従わせたがることが多い。(あるソバの銘店なんかそれがイヤで二度と行っていない。)
そういう店はいわば「お店ファースト」なのだ。ところが少なくともこのおばさんは「お客ファースト」だった。おばさんはなるべく客の望むことをしてあげようという奉仕精神が行動に出ている。
 
食べ終わった頃、おばさんに この話を含めてちょっと話をしていたら 明るいフレンドリーな人で 下町の出身で私と隣町の出身とのことだった。

なるほど下町人情ってなわけか? 

かつては こんな感じの大人が多かったなと思った。そんなことを思うのも 自分が歳をとったせいも大いにあるだろう。あとでウチの奥さんが、老人っぽい高齢者ならではの会話だったと笑っていた。
 
昔は幼稚園や保育園の子供がうるさいというようなことが社会問題になるようなことはなかった。幼少の私のようにやんちゃな小僧が近所で騒いだりして親が詫びると「賑やかで元気でうるさいくらいじゃなきゃダメよ、子供なんて、ハハハっ」って笑って済ませてくれる人が多かった気がする。
 
カリカリした欲張り高齢者も多いけど、こういう昔ながらの普通のおばさんもいるんだなと思い、チョットほっとしながら天ぷらに舌鼓を打った。
 
たしかに昔は今みたいにギスギスしてなかったな。「癒し」という言葉もそもそも肉体的・精神的苦痛を解消するときの言葉だったが、今では加えて休養とか安らぐような意味で使われることの方が多くなった。世知辛い世の中で「癒し」なんて言葉をつかって現実逃避をしなくてはならないってことかもしれない? これもきっと今日という時代のせいだな。
 
 
 
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