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お元気ですか・・・

大学4年の冬。内定が決まったレコード会社の要請で全国から集まる年末商戦の売上集計のアルバイトをしていた。まだコンピューターがないので膨大な量の数値をひとつひとつ電卓で集計する手作業だった。その仕事量と緊張でそれまで一度も経験したことのない肩こりというものを初めて知った。仕事が終わって家に帰るまで肩こりがひどくて首を回せなかった。考えてみればあれ程の肩こりはあれが最初で最後だった。

その仕事場にはこれから売り出す歌手がよく顔を出してスタッフとの打ち合わせなどをしていた。たとえば夢追い酒という曲で有名になった渥美二郎などは自分でレコード店に一軒一軒電話をしてPRしていた。そこから夢追い酒のヒットまでほぼ2年を要した。(→苦節○○年、演歌歌手らしい!)これに反して、アイドルで一押しの歌手は売る側の扱いがちがう。投下する宣伝費も桁違いだしスタッフの力の入れ方がぜんぜんちがう。そのウチのひとりが、清水由貴子だった。

その年のスター誕生で合格後、翌年3月のデビューに向けて会社も相当の力の入れようだった。そのころ、清水健太郎という男性歌手と同時にデビューということで ”ダブル・清水” というウリだった。清水健太郎も”当時は”スリムで冷たい感じでカッコ良かったが、清水由貴子の印象は、”ぽ~っ”とした感じで、動きも鈍く、垢抜けない、申し訳ないが鈍くさくって”ダサイ”感じで、この子、本当に大丈夫なのかなあ?と気の毒に思うくらいだった。スタッフの長のヒトが、”ユッコ、頑張ろうな?大丈夫だからね?”といった感じで、よく元気づけていた。歌手はみんなオシャレで垢抜けてカッコいいものと思っていたが、そういう夢のヒロイン的な存在からほど遠い”逆オーラ”があった。

結局、彼女は数枚のシングルを出すがヒットにはいたらず、以降は歌手以外の分野で活躍していく。

私が見たあのときの垢抜けない、ダサイ、ぼわーっとした若干17才の娘は、その外見とは裏腹に 母と妹を支えるために強い志で挑んでいたのかもしれない ”芸能界のスタートライン” だった。 

事情を知るよしもないが 母一人で育ててもらった恩義が最後まで在宅介護にこだわり自らを追い詰めたのだろうか?
悲しく気の毒だけれどやはり鈍くさい生き方だったようだ。

以下はデビュー曲の2番のサビの歌詞。
 
私はだけど ちょっぴり不幸
不幸感じて 悩んでいます
お願いです お願いです お元気で 
そしてまた 逢いにきてください


 
ひさしぶりに聞くと あのときの鈍くさい姿が 思い浮かび 切なくなった。

合掌
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
哀しい (まーみ)
2009-04-24 00:18:29
私の友人世代はそろそろ親の介護に関わって来ています。
医療のきしみがいっぱい耳に入ってきます。
華やかな世界にいた人が介護に専念する決意、あまりのギャップ、でも自然な選択だったのでしょうか。
SOSをもっと皆に発信できれば、希望を感じられたかも知れない。
彼女の死が大きな波紋となって、何らかの形で実ることを願います。

欽ちゃんでよく観ていました。
垢抜けなくて田舎出身だと思い込んでいましたが、東京出身だったんですね。
長く東京には行ってませんが、若い頃は東京の人の服装がずい分地味に思えました。(シック?)
関西は派手のようです。今も!?
ちょっと、話が飛んでしまいました。
 
 
 
まーみさんへ (Pudgy & Ooloo Bonzo)
2009-04-26 00:57:50
本当に介護は人ごとではありませんね。身の回りにもたくさん苦労されている方も多いですし自分だっていつ介護される側になるかもしれません。国や地方自治体は利権がらみの道路や建設重視をやめるべ時です。東京も赤字になる銀行やオリンピックのお祭りにかけるお金、介護のための施設や人的投資に税金を使ってもらいたいです。明日の自分たちのことをしてくれるひとより、目立ちたがりの品性のない知事を選ぶんですからね。選挙民がその程度の水準なんです。スウェーデンが高い消費税なども不満がでないのは自分で払った税金が自分たちの為に正しく使われているからですね。
 
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