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「立教魂」

今日、母校の立教大学のチャペルである特別礼拝が行われたそうだ。


昨年の秋、米国ウィスコンシン州に住むスティーブン・カー牧師は、死の床にある隣人の元陸軍軍曹アール・ツヴィッキーさん(享年85才)から以下の告白を受けた。それは「これまで一度も誰にも言わなかったが、45年前のフィリピン・セブ島の戦闘で自分の部下が日本兵を射殺した。倒れた兵士の胸元のポケットには、旗が入っており、自分がそれを持ち帰った。死期にあたり、何が書いてあるのかを知りたい」とのことだった。


カー牧師は、ツヴィッキーさんの依頼に地元の大学研究者に翻訳を頼んだ。「持ち主の名前はあったか」と聞くツヴィッキーさんにカー牧師は姓が墨で書いてあったことを伝えた。ツヴィッキーさんは沈黙したままだったという。


旗の持ち主は、1943年に出征した渡辺太平さん(享年21才)であり旗には多くの寄せ書きがあったがその中に「立教魂」という言葉があったそうだ。この言葉から立教大学の副総長の西原教授あてに今年5月、米国から「立大生の旗ではないか」と問い合わせるメールが届き、当時の学籍簿を調べて経済学部の学生だった渡辺さんのものと分かったそうだ。


カー牧師は是非、渡辺さんの遺族にこの旗を返したいと要望し、立教大学側も高齢の卒業生などを通じて、渡辺さんの姉の故・文子さんの娘の横尾とし子さんが現在、練馬区に住んでいることを捜しあてた。戦時中、文子さんは、戦地から届いたはがきを大切にし、しばしば弟の思い出を語っていたという。


きょうの特別礼拝でカー牧師がこの日章旗を持って出席したそうだ。受け取った横尾さんは、旗を立教大学に寄贈し、研究や教育に役立ててもらうことにしたそうだ。


これから輝ける未来が待っていたはずの青春真っただ中で命を落とした渡辺さんやご遺族の無念さを思うと胸がいたくなるのは言うまでもない。同時に戦争とは言え、射殺した側もその後自らが死ぬまでの長い間、苦しい思いを抱いて生きなくてはならなかったという不幸が、カー牧師が旗に姓名が記載されていたことを伝えた後のツヴィッキーさんの沈黙に表される気がする。

勝とうが負けようが、共に愛する家族のある人間同士が傷つけあう戦争。あらためてその無意味さと不幸を憂う。


亡き渡辺さんの「立教魂」が 我々後輩に教えるものは大きい。



(返還された日章旗)写真は立教大学提供

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