goo

「勝ち組・負け組」

以前も話題にしたが、最近よく使われる言葉に「勝ち組・負け組」という言葉がある。


マスコミが送りだしたこんな言葉を実は結構、日常耳にするのである。平気で人の価値を簡単に表現するなんて、なんて優しさのないことだろうと悲しくなってくる。


一つの例を挙げてみよう。

鈴木産業と山田工業はどちらも個人創業の企業だが、大手自動車メーカーの部品メーカーとして昭和の高度成長期に売り上げを伸ばした。

 

鈴木産業は昭和40年代、自動車メーカーと傘下の部品メーカー間のピラミッド構成の囲い込み強化のための資本参加が活発化した頃、時代の流れに乗り大手部品メーカーの資本を受け入れ、その後は海外進出も果たし売上げを最盛期100億円超まで伸ばし店頭市場(現JASDAQ)に上場する。

 

一方、山田工業は鈴木産業と異なり大手部品メーカーの資本を受け入れることをせず、規模拡大を追うことをやめ、そうした大手の資本参加を警戒する意味もあり、製造会社を子会社化し、不動産所有管理を主とした持ち株会社の山田商事と分離した。しかしその後、変動為替制、あるいはオイルショックといったそれまでにない経営環境の悪化の中、資本を受け入れなかった事による弊害が大きく売上高は最盛期55億円程度にとどまり収益も徐々に悪化していく。資本のつながりのない下請けへの仕事が減らされるのは当然であった。

 

さらに時代は平成へと映り、輸出規制と現地生産化により、国内市場の飽和化、競争激化による原価低減と開発競争などますます自動車産業を取り巻く環境は悪化する。ここで現状の経営資源を考慮し、近未来に迫った厳しい情勢に生き残れる可能性が低いと判断し、山田工業は会社を関連の大手部品メーカーに100%売却し、製造業から撤退することを決意。 売却価格は山田工業に利益が出ていないことと不動産が別会社所有のため資産価値に乏しいという理由で、メインバンクであった都銀大手の評価は厳しくゼロ円の評価だった。

 

さてこの時点では一見、鈴木産業は勝ち組で山田工業は負け組である。

 

この時の売却処理で山田工業は一部残っていた所有不動産と評価されなかった蓄積した技術の価値を主張しなんとか所有不動産を実質的に山田商事へ移すとともに、既存の工場敷地建物の賃貸借料を上昇させ山田商事へ以降も支払うことで決着した。

 

その後、市場は、中国市場の拡大などを契機としてますますボーダーレス化し、資本系列も世界レベルで目まぐるしく変化する。さらに地球環境問題対応など新たな技術的な課題も生じ、日本の自動車産業は未曾有の難局を迎え過去のピラミッドは完全に崩れ去り新時代を迎える。この間、大手部品メーカーの子会社となった新生・山田工業は徐々に規模を縮小し平成15年、67年間に渡る歴史に幕を閉じる。山田商事は徐々に変換された土地建物を都度、有効活用あるいは売却し、都心の有望な土地建物へシフトして資本効率を上げていく。

 

一方 競争激化の渦中、鈴木産業は収益が悪化し結局は大手部品メーカーの子会社となり、結局オーナー経営者はその地位を追われる。この時点で一見、鈴木産業は勝ち組でもなくなり、山田工業をソフトランディングで消滅させた山田商事は負け組とも言えなくなってくる。とはいえ、山田商事は過去に製造会社を子会社化し、不動産所有管理会社とに分離したことは良かった面もあるものの、反面その後の売り上げ低迷の最大要因でもあったわけでいちがいに好判断とも言えないし、今後さらなる情報技術面の改革、人口構造や消費構造の変化など世の中の”商い”の形態がますます変化し、土地建物の資産価値低下の可能性も懸念される時代となり将来を含めた長い目で見ると山田商事は今後の収益源の見直しをしなくてはならない局面が訪れていると言えるので勝ち組とは言い切れない。

またオーナー経営者はその地位を追われたが、そのことにより鈴木産業も親会社の支援が強化され収益も回復したらしいし、よくは知らないが更迭されたオーナー経営者も新たな人生を見いだしたかも知れない。


そもそも企業の価値と人間の価値も違うし何が幸福かなんて人によってまちまちである。だからスポーツじゃあるまいし何が勝ちで何が負けだなどと言えないのである。

このように 過去・現在・未来を線でとらえると 人の人生も 企業の存亡も 時によって いろいろな局面に遭遇し紆余曲折して 進路を変え、歴史を刻んでいくことがよくわかる。こうした局面を体験し、正しかったのか間違えているのかいつも不安な状態で生きていると やたらと「勝ち組」だの「負け組」だのと 人の価値を 点でとらえた言葉は 軽く口に出すことはできなくなるはすだ。

 

所詮正しいか間違っているかの判断はあやふやでわかりにくいものである。最近話題のマイケル・サンデルというハーバード大学の先生が書いた道徳や正義を論じた本も期待して読んだけれど明解な答えは見いだせなかった。


ところでこの「勝ち組・負け組」という言葉、よく調べれば太平洋戦争終決時 他国に移民した日系人が日本が勝ったと思っていた人を「勝ち組」といい日本が負けたと思っていた人を「負け組」と呼んだらしい。もとはこの程度のことばなのだ。


(文中に登場する名称は実在の団体名等ではありません。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« Congratulatio... 半身浴一回に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。