ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
10時10分発の 私の汽車は・・・
就職が決まって卒業前の年末に、就職先となったレコード会社の当時市ヶ谷にあった本社で年末商戦の集計のアルバイトをさせられた。今の時代なら当然コンピュータがやることで、人の作業としては不要となっているはずの仕事である。朝から晩までひたすら机の上に山のように乗せられた全国の営業マンの受注表の足し算だけ。とはいえ、一応、4月から入社する会社だし、机越しの目の前には営業部長だ次長だのって偉い人がいっぱいいるので緊張しまくって、無駄口も叩かず(無駄口叩くにも知っている人もいないが)とにかくひたすらまじめに電卓と闘った。終業時間になり、歩いて市ヶ谷の駅に着く頃は肩こりで首が回らない。生まれてから今日まであれほど肩が凝ったことはその後もないくらいだった。
蛇足だが、当時販売推進課の次長だった斜め後ろに座っていた1日中電話や打ち合わせで忙しそうだった次長のK氏も、その上司の明るいニコニコおじさんのM氏、廊下の向こうの東京営業所長のM氏の3人はいずれも後にその会社の社長になっている。
いまだから言えるけど、レコード会社だからチョット期待したけどOLのお姉さんたちがあんまり美人がいなかったなあ。唯一の楽しみはときどき歌手やタレントが来て、ちょっと体験できない至近距離で目の前をスッと歩いていったりすることぐらいだったことと、何かと販促物(宣材)をもらえたことかな?
とにかくそんな中、一日中ガチガチになって仕事をしていたが、なかにはやさしくていい人がいて、「そんなに根つめないで時には休めよ」とか「チョコたべない?」とかいろいろ話かけてくれる気さくな人も結構いた。そんな中で同じフロアーでとなりの東京営業所にいたFさんという やたらギャグをいったり、面白い言い回しので人を笑わす人がいてこの人が時々声をかけてくれた。
で、後で知ったことだが、このFさんは実は元チェリッシュのメンバーでベース担当だったとのこと。チェリッシュといえばご夫婦デュオで70年代にヒットしたけどデビュー当初、「なのにあなたは京都に行くの」とかの頃はグループだった。あとで「なのに・・」のジャケットを見て、申し訳ないけど吹き出したっけ。ついでにおどろいたことに「なのに・・」の作曲者を見るとなんとF氏だった!
レコード会社は結構、GSやミュージシャン上がりで社員になっている人も多く、その会社にもかつてランチャーズにいたT氏やビレッジシンガーズのK氏なども社員だったし、後の有名な作曲家のM氏も嘱託社員だったと記憶している。
さて、チェリッシュといえば、避暑地の恋や白いギターなどたくさんのヒット曲があるけど、ヒットしていないある曲が、曲名がわからなくて何年にもわたってなんとなくずーっと探していた。メロディと一部の歌詞だけがずっと脳裏をかすめるんだが、わからない・・・