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個人競技と緊張

ソチ五輪が終わった。

それにしても浅田真央がショートプログラムであれほど崩れるとは誰が予測したか? 

よく「オリンピックには魔物がいる」というが 自分の予想を遙かに上回る緊張感に襲われてしまうのだろうか?

浅田選手のような超一流選手を語るのに ちょっと次元が違い過ぎて例を挙げるのがおこがましいが、私にもかつてこんなことがあった。

私は中学の時 水泳選手だった。大した記録を残すことのない、東京都大会でさえ予選落ちする程度の三流選手だった。当時東京都大会は国立競技場の正門の前にある神宮プールで行われていた。神宮プールは今はもうないが、かつては「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進が世界記録を作ったこともある歴史のあるプールだった。 

こういう大会でベストタイムを出す選手が多い中、3年間にわたりこの神宮プールで東京都大会と東京都学年別大会に出場したが、毎回必ずといっていいほど、良い記録がでなかった。

古いプールだったので、各コースで飛び込み台が独立して設置されておらず、プールの縁から水面までの距離が所定の高さでずっと同じ平らな縁の設定だった。それと水温がちょっと低めだった。

(↑神宮プール)

なぜか いつの大会もこのプールに飛び込むとまるで金縛りのように萎縮して、あっというまに100mなど終わってしまい無残な記録を残すだけだった。今度こそは・・・と思うが、レース前の招集がかかってからグッと緊張が深まり、結果はいつも同じだった。明らかに大会の雰囲気に飲まれてしまっていた。

ところが不思議なことに豊島区大会だとまったく緊張せず、ノビノビと泳ぐことができ、いつもベストタイムを更新していた。いずれにしても、この中学の3年間の経験で今後は二度と個人競技はやりたくないと思い、その通りになった。

この違いは自分ではまったくわからなかった。 ただ当時はスポーツは”根性”の時代だったので、「それはお前が練習不足だからだ」でかたづけられたし 自分でもそう思っていた。確かに失敗をしなくなるまで、厳しい練習を積み重ねて自信を付けて試合に臨む というのはいつでも間違いのない方策だと思う。

どのようにして 緊張を防ぎ、大舞台で普段の力を出すかというのは、今日のスポーツ科学や心理学などで十分に研究されているのだろうから私が語るまでもないし、もちろん浅田真央の挑んだ世界の頂点たる金メダルの重圧と私の軽い重圧を比較するまでもないが、どんな優れた選手でも人間である限り、ひょっとしたことからリズムを崩し 取り戻すことなく終えてしまうということがあるのは同じだと思った。よくわからないが、人によって緊張しがちなタイプと緊張しにくいタイプというのもあるんではないかと思う。

無難な技で点数を稼ぐことを拒み、難しい他の誰も挑まない高度なテクニックに挑戦した浅田真央選手の取り組みは立派だし、メダルはなくともは大きな感動を与えてくれた。たぶん彼女にとって今回の経験は、この先の長い彼女の長い人生の中で 仮にすんなりメダルを取れていた場合より深く重く残り、人間として成長していく糧となっていくだろう。  

さて、その世界を魅了させてくれた見事なフリー演技。この浅田選手のフリー演技で使ったラフマニノフのピアノ協奏曲の第二番 を聞くといつも 思い出す友人がいる。

彼は目を輝かせて言った。「」ラフマニノフのピアノ協奏曲 ホントにいいよ」 

1968年の夏  

次回はその人のことを話してみよう・・・・ 

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