ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
昔は良かった・・・
軽井沢 旧道で土屋写真館の奥さんとおしゃべり。 昔はいろいろいいお店があったねえと懐かしんだ。
たしかに70年代までは結構 味のある独特のお店があった。食べ物もおいしいお店が多かった。
80年代に入り 軽井沢は ”食の冬の時代” を迎える。
昔ながらのお店が 利益第一主義の背景の中 店主の高齢化や 食べ物の"近代化" で 消えていったからだと思う。
バブル期は 最悪だった。 旧道の店は タレントショップが並び、食は ファストフードにあふれた。
まるで 原宿か 新興の観光地のようだった。
ところが時が流れ モノの質を重視するようになり 古いモノもいいものはいいという風潮になってきた。
おいしいレストランやパン屋さんも増えてきた。”食の冬の時代” は終わった。
昔からあるわけではないが ”軽井沢の芽衣“ でいただいた アッフォガード、おいしかった。
浅見光彦でおなじみ内田康夫氏の奥様の作家の早坂真紀さんの著作『軽井沢の芽衣』に由来して名付けられたお店。
さて、なつかしいミハエルのクラシックなサンドイッチ。
ミハエルは 1970年代の私が学生の頃からある。
木立の中、ほのかなランプに灯され イエス・キリストのような風体の年配の紳士がカウンターの奥でコーヒーを入れていた。
私は ”キリストの喫茶店” と勝手に名付けていた。とにかくこんなオシャレなカフェは当時はここだけだった。
"キリスト"氏は二十年以上前にもう亡くなっており、その方のご子息が 引き継いでおられた。ロシア人だったそうだ。
なるほどロシアだからマイケルでもミッシェルでもなくミハエルなんだ。
ミハエルという名は その方の名ではなく 若くして亡くなられた大好きだったお兄さんの名前だそうだ。
今でこそオシャレな森の中のカフェは増えたが、ミハエルは その先駆けである。
ジョンレノンがオノ・ヨーコと通った 離山房 は このミハエルを見てすばらしいと思った軽井沢在住の作家・水上勉氏がこういうお店をやればはやるよと知人に言って ミハエルを参考にしてできた店だそうだ。
少々古くさくなってきたが いつまでも残っていて欲しい店だ。
これは60年代後半から70年代前半のフォルクスワーゲンのタイプ3のファストバックだ。
むかしはこうしたクルマや カルマンギアとかワーゲンポルシェ(914) などのオシャレな欧州車を乗りまわし オールドスパイスでヘアスタイルを決めたアイビーのお兄さん達に憧れ 早く大人になりたいと願った。
昨今の不況で 旧道もテナントの空きが多くなんとなく寂しい。軽井沢で賑わっているのは 日帰りのアウトレットツアーだけだ。
自然回帰のこの時代 軽井沢を 昔のように 静かな上質な避暑地にもどせるといいと思う。
地球の温暖化で 昔に比べたら夏もだいぶ暑くなり 避暑地と言い難くなったかも知れないが それでも東京よりは涼しい。
欧米でも”スロー”な生活感を維持した街や観光地って結構あるでしょ。日本にもそんなところが一つくらいあってもいいのではないだろうか?
そういう観点から 儲け主義だけでなく 長い目で 軽井沢を "保護" しつつ育てていける 地方自治体のリーダーが出てきてほしいと願う。
どうも最近 軽井沢にくると 昔は良かったと思うことが多い。 歳だな・・・
たしかに70年代までは結構 味のある独特のお店があった。食べ物もおいしいお店が多かった。
80年代に入り 軽井沢は ”食の冬の時代” を迎える。
昔ながらのお店が 利益第一主義の背景の中 店主の高齢化や 食べ物の"近代化" で 消えていったからだと思う。
バブル期は 最悪だった。 旧道の店は タレントショップが並び、食は ファストフードにあふれた。
まるで 原宿か 新興の観光地のようだった。
ところが時が流れ モノの質を重視するようになり 古いモノもいいものはいいという風潮になってきた。
おいしいレストランやパン屋さんも増えてきた。”食の冬の時代” は終わった。
昔からあるわけではないが ”軽井沢の芽衣“ でいただいた アッフォガード、おいしかった。
浅見光彦でおなじみ内田康夫氏の奥様の作家の早坂真紀さんの著作『軽井沢の芽衣』に由来して名付けられたお店。
さて、なつかしいミハエルのクラシックなサンドイッチ。
ミハエルは 1970年代の私が学生の頃からある。
木立の中、ほのかなランプに灯され イエス・キリストのような風体の年配の紳士がカウンターの奥でコーヒーを入れていた。
私は ”キリストの喫茶店” と勝手に名付けていた。とにかくこんなオシャレなカフェは当時はここだけだった。
"キリスト"氏は二十年以上前にもう亡くなっており、その方のご子息が 引き継いでおられた。ロシア人だったそうだ。
なるほどロシアだからマイケルでもミッシェルでもなくミハエルなんだ。
ミハエルという名は その方の名ではなく 若くして亡くなられた大好きだったお兄さんの名前だそうだ。
今でこそオシャレな森の中のカフェは増えたが、ミハエルは その先駆けである。
ジョンレノンがオノ・ヨーコと通った 離山房 は このミハエルを見てすばらしいと思った軽井沢在住の作家・水上勉氏がこういうお店をやればはやるよと知人に言って ミハエルを参考にしてできた店だそうだ。
少々古くさくなってきたが いつまでも残っていて欲しい店だ。
これは60年代後半から70年代前半のフォルクスワーゲンのタイプ3のファストバックだ。
むかしはこうしたクルマや カルマンギアとかワーゲンポルシェ(914) などのオシャレな欧州車を乗りまわし オールドスパイスでヘアスタイルを決めたアイビーのお兄さん達に憧れ 早く大人になりたいと願った。
昨今の不況で 旧道もテナントの空きが多くなんとなく寂しい。軽井沢で賑わっているのは 日帰りのアウトレットツアーだけだ。
自然回帰のこの時代 軽井沢を 昔のように 静かな上質な避暑地にもどせるといいと思う。
地球の温暖化で 昔に比べたら夏もだいぶ暑くなり 避暑地と言い難くなったかも知れないが それでも東京よりは涼しい。
欧米でも”スロー”な生活感を維持した街や観光地って結構あるでしょ。日本にもそんなところが一つくらいあってもいいのではないだろうか?
そういう観点から 儲け主義だけでなく 長い目で 軽井沢を "保護" しつつ育てていける 地方自治体のリーダーが出てきてほしいと願う。
どうも最近 軽井沢にくると 昔は良かったと思うことが多い。 歳だな・・・
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