ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
ピンキーと清原!?
毎度 古い話。小学生高学年のころのアイドルはまずパティ・デューク それと団令子・吉永小百合・・・・
中学生になると 小橋玲子 小橋玲子はもともと女の子の雑誌モデルでその後、ヤング720という若者向けワイドショー番組があってこの司会(司会者は曜日で変わる)だった。歌も出したようだが全く売れていない。で、このヤング720はその名のとおり朝の7:20から始まる。番組が始まって即、一発目にグループサウンズのバンドが1曲演奏。これを見てから家を出ると 駅までおもいっきり走って電車に乗らないと学校に遅刻するというスリリングな日々・・・・
このころすでにバンドをやっていて 頭の中は 音楽・ファッション・・・
部活の水泳と勉強は遊ぶために仕方なくしなくてはいけない義務ってか服役のようなものだった。
そのころ ピンキーとキラーズ というダービー・ハットにタキシードのいでたちのボーカルの女性を中心としたバンドが登場。”恋の季節” という曲が200万枚以上の大ヒットでで一世を風靡した。ピンキーこと今陽子は少々太っていたがスラッと伸びた身長と愛くるしい表情、即刻とりこになった・・・・
中学2年の秋、同じ敷地内の大学の文化祭でホールで森山良子とピンキーとキラーズのコンサートがあった。
前列から3番目くらいのとても良い席で見れた。
森山良子が最初で、早く終わらないかなあ と思いつつも 彼女のつまびくマーチンのたぶん00か000あたりの これまでに聞いたことのない すばらしいつぶだちのよい音に驚いた。 ああやはりいい楽器はスゴイ!と思った。 うちに帰ってMorrisの12,000円のフォークギターを弾いたら愕然として これを最後に このギターはベッドの下にお蔵入りした。
(Morris社が悪いのでなく当時すでに20万円していたものと比べることがマチガイ)
(Martin 000-18)
さていよいよピンキーとキラーズ登場。まず最初の曲は 恋の季節。
ああ、ちょっと音あわせ時間不足だったのか、ベース、音でかすぎ。ただでさせスッゴイ大きさのアンプ。
あらら パンチョさん、ドラムやや もたり・・・
でもリードのエンディ山口のギター、Gretsch の6122 カントリー・ジェントルマン、キラキラいい音。
ああやっぱりエコーはBinson Echorec だあ!! もちろんテープエコー。 いい音だけどプレイは難易度Cだった・・・
(Gretsch 6122)
今陽子の声量はバツグンで ステージでも音程はしっかりしていてみごとだった。
セルジオ・メンデスとブラジル66のカバーのボサノバぽい曲や大人っぽい英語でのスタンダードナンバーもそつなく歌いこなしていた。
その後、ピンキーとキラーズは 隆盛を極め 歌のみならず自分らが主役の映画・テレビ番組などに出まくる。
皮肉にも恋の季節がヒットして 歌いすぎで せっかくの今陽子の美声はかすれ 天性のこぶしとビブラートでカバーしているのが痛々しかった。
この頃 今陽子、若干17才 堂々と大人びたステージマナーと驚異の歌唱力。このままいったらスーパースターのオーラさえ感じた。
いまでもミュージカルなどで大活躍 元気でガンバっているようだが なんか もっと大物になれたような気がしてならない・・・
大物になれたような気がするといえば・・・
超高校級 天性のバッティングセンスをもちあわせていたが 大した結果を残せず 先日引退した無冠の帝王 "清原和博” もったいなかったなあ。と思う・・・
入団1年目で3割30本を記録する。たぶん、これで舐めたのだろう。2年目打率が.259まで落ちる。ここからもう引退まで三割を上回ること1度だけ。以降本塁打はそこそこ打つがタイトルは取れずなんとなく強打者のまま、野球人生を終える。
この2年目がどうもキーだったような気がする。このときの彼の野球に対する考え方や周りの指導者次第でもっといい選手になったかもしれない・・・
選手として一番 伸びて花開く年代の 20代後半から30代前半に 低打率が定着したまま 凋落の一途を"誇る"チームへの移籍。
裸の王様と化した彼を象徴する およそ野球と関係なさそうな格闘家のような体型と あまり上品でない趣味嗜好・・・・
(まっ、そういうことは 結果がよけりゃ、いいんですけど・・)
西武入団以来 若き清原のファンだった吉永小百合が 巨人に移籍するときに 言ったらしい。
"もうオーラがない” って・・・・・