sptakaのブツブツDiary

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コロナ緊急入院からの復帰生還

2021-09-04 17:59:30 | ブツブツ日記
コロナ緊急入院からの復帰
 日光街道で前を走っていた個人タクシーに時速10キロ以上で衝突したらしい。相手営業中ではないようで、同乗者が救急車で運ばれたという人身事故。何をしていたんだお前というのは、私のことで、今となっては「コロナ陽性でフラフラ状態の運転」だった。衝突場面だけはわずかに記憶があるが、そのとき、路肩に寄せた私に、相手運転手さんが「人身事故の衝突だから」といいにきて「今救急車呼んだ」と。私は、はいそうですかとぼーっとして、クルマの中で横になったまま(倒れた)。思い出せば、その時私は事故の加害者だか、被害者なのかの区別も知らなかった。それだけぼーっとしていた。
 エンジンかけっぱなしは嫌いで、エンジン切ると、あの日は真夏日で、すぐに車内は炎天下。いよいよ抜け出して、歩道に出ればそのコンビニ前に何やら人だかりはあったが、立っていられないと、歩道に横になり、そういうひどい態度を街中で取ると、いよいよちょうど到着した救急車から、ストレッチャーが飛び出してきて、あっという間に乗せられ、車内に入れられると、なんと涼しい極楽かという快適環境で、ただ乏しい記憶のまま、気持ちよくて昼寝した。2021/8/11水曜日の昼間だ。

 私は彼らと満足に会話できなかったらしい。妻の元に連絡がきた。実は同じころ妻も感染だろう呼吸が苦しくなっていたというのだ。そこに「ご主人の事故ですが」云々で、「夫はコロナに感染しています」という。電話口の向こうの救急隊員が「コロナだ、コロナだ」と騒ぐ声が聞こえたと後から聞くのだが、ああそういう経過か。昏睡状態の私がそこで言っていたとしても、それは寝言だったのだろう。
 彼らはそこで化学兵器対応の防護服着たかどうかは多分なかったが、よくぞ捨てられなかったとも思う。今時にいきなり患者が医療に突っ込んでは、有難迷惑になるらしい。いや、私をそうした政府に責任があるのに、逃れようとするなと堂々と思う。が~す、お前爆死だろ。

 小一時間すると「収容先がありましたよ」と隊員に言われて、そのまま収容。わずかな時間に、事故の影響の検査、さらにコロナの私の体の被害状況みて、「呼吸が苦しそうだった」とは、あとから救急隊員にも、事情聴取の警察官にも言われた。その自覚がないというのは、昼寝ではなくて、昏睡状態だったと解釈してもいいのかも。それが救急車の中でなかったら、私はどこかで昼寝と称する昏睡状態になって、そのまま死んでいたかもしれないと思う(いや人通りがあれば、簡単には死にませんよ)。(隊員、警察、妻などからも)最悪は十分にあり得ると言われた。ならば軽い交通事故は運がよかったことになるのか。その収容先とは事故とは全く関係のないコロナの患者としてだった。国立感染センター。新宿の超一流の入院先。ああ、わずかな期間だけどこの日から一週間ばかりの入院生活(病院に入院するのは人生初めてだったが)始まった。

 つまりいったいこれは何なんだ。私はこの1週間前から、コロナ陽性だった。あまりに気分が悪くて、近くに診療所に「コロナだと思う。PCR検査くらいはやってくれるのか」と連絡した。何しろ保健所もどこも愛想が最悪で、病人に対して「自宅にいろ」という不貞腐れた政権だったのだ。だからそのボケ菅総理は、さっさと退陣した。程度は学級委員を「できねえよ」と秋田の田舎村長がいっていただけ。
 
診療所では「とにかく来てください。検査だけは午後からできる」と言われて、検査受けて「結果は明日」。その翌日8・3日に「陽性でした」。「今後は保健所から指示があります」コロナに感染した。
妻はその感染が「悪いことだ」という。いつ、どこでと。数日前に悪寒がして、ちょっとフラフラした、その日なのだろう。ただ誰からと言われても、人に面と向かっていないし、仕事で六本木にはいたが。
感染症にかかるのは、仕方ないことで原因などはないと思っていた。自宅閉じこもりじゃなくて、外で出入りする仕事なら、何かの拍子にけったいなものにぶつかったって、それは必要悪でしかないと思う。ところが世間とは、不純異性交遊しているから、コロナに感染すると、相当でたらめな解釈をする。もう勝手にしろと怒鳴り散らす。
 陽性なのに自宅療養が、結局8月11日まで1週間以上続いていた。その適当さはメディアでも散々報じられて、「収容できない自宅療養」とは、やはりその通りかと自分を思う。保健所の指示とは、毎朝午前中にその保健所から電話がある。医者は電話じゃ何もしゃべらず、OK聞くだけでも診察に来いという殿様商売なのに、保健所は電話かよと怒る。連中に対しては、子供の頃から生意気だと知っていたが、保健所もそうだった。「体温は、血中酸素は」これだけを電話で聞いてくる。大体寝ているのに起こされて「うるさいさいなあ」。そんな質問に答えてどうなる。「熱は平熱36・3度。覚えてしまったよ、自分の体温を。血中酸素も十分」その程度のやり取りだから、保健所も「自宅にしておけ」という程度のものだ。平熱で濃度十分で患者になったら、ダメかこの馬鹿。
一週間で刻々悪くなっていたのだろう。敵の仕事は、間抜けな患者への「警戒電話(様子見の適当電話)」というもので、「死んだなら電話にでない」と、ああその程度の悪ふざけですか。私もまともに相手にしなくなったら、妻からメールで(隣の部屋にいても会話できない)「明確な回答がないから、こちらに来ると相手がいっています」と。無連絡でいいからさっさと来い。こちとらコロナだ。相手は、熱がなければ何もしないと、これがコロナの医療か。だったら戦後、頭が痛いとか、咳が止まらないとか、呼吸が苦しいとかの風邪の症状で診療所にかかっていたのはみんなウソということになる。今それをすると「自宅療養」か「免疫で治せ」。この70年分くらい医療はそこまで逆戻りした。

 思い出してもその一週間の自宅療養は、ベッドから起き上がるのが苦労で、トイレにも壁につかまり、本棚にも、部屋を一歩歩くにも苦労すると、コロナ陽性だからなと自分言い聞かせていたが、そんな呑気じゃどんどん進行して悪くなるに決まっている。ガンに無抵抗の無医療と同じだからね。

 ところでこの日私はどうして出かけたのだろうとは、未だに不明のままだ。ドラレコでは上野方面にいっているようだが、何故だ。後に退院して警察にも行くのだが「その理由が分からないと、検察がまた突っ返してくる可能性がある」と捜査警察官も警戒するほどで。
 記憶にないものはないし、今となっては交通捜査とはいえ、これ以上深入りも嫌だ。つまりこれは、私はその日夢遊病者だったのではないか。上野といえば、最近行きつけのゲーセンがある。但し夕方以降の場所なのに、昼間にそこへ行くかわけがない。仕事先にも感染で自由に動けない旨いっていて、仕事先の指示もない。ああ、少し体調がいい時間に、夢遊病ででたのだ。にしても人身とは、いくら保険ですべての治療を補填できるとしても、相手に迷惑かけてしまったことに、変わりはない。と離れたところにいる長男が出てきて、妻は大いに助かったと後にいう。
 
 こうして衝突事件から、収容された。どうやらステロイドなどの強い点滴を行って、それわずかな時間でも、体は救急車の中でも、どうもパソコンスパゲティにされて、容態が数値画面に刻々映っているらしいのだ。「薬の効果が明白ですねえ」「数値よくなっていますよ」とか、隊員の声が聞こえる。つまり、こういう見込みのある患者の場合には、収容先があるのかとも。治療に対して、体が反応すると、コロナが治ると期待されて、収容できる(病院扱い)という案件なのだろう。ここで何も効果もないと「自宅にいろ」。
 救急病院に夕方収容されて「貴方運がいいですよ」。こんな雨が降っている(夕立)ときに、夕方の時間にここに入れるなら。ぼおーと聞くだけで答えられない。

妻も自宅で感染したようで、数日後には119番して、「呼吸が苦しい」で、吸入器を借り出して、いよいよこれだけではダメだと救急で別病院に入院したらしい。夫婦で別途それぞれ入院とは、ただの家庭内感染で、それは夫婦が密で食事も一緒にしていればこうなるのは当然で、それが夫婦の所以。今でも私はなんとも思っていないが、周囲は、一緒にかからないように、他に方法はあったのではないかと、くだらないことをいうけれど。

 基礎疾患というなら、10年前から仮病の糖尿病だ。ある時に血糖が高いといわれて、基準からすればそうらしい。かつては成人病と言われたくらいで、成人なら誰でもかかる。日本の基準とは阿呆のように生真面目で低すぎるのだ。デブが早死にするというなら、アメリカ人もキューバ人もどうして同じくらい生きる。彼らが40歳で死ぬなら、大体みんな100キロ超えているぞ、日本の医療も信じようが、同じ80歳なのにどうして納得できるか。それはいまだに野外で98%までの人がマスクして、これがコロナに効果があると思っているのと同じだ。竹槍でB29を墜落させると思っていた同じきちがいである。
 まあその数値におかげで、最初は痛風疑いの薬と一緒に処方されていたが、今はダラダラ飲んで、2カ月に一度の血液検査するから、まあこれが健康の元か。大体本当の糖尿だったら、これだけ山が登れたか、これが仮病の基礎疾患と言われる。そうそう20代の相撲取りが過去に亡くなったが、あれにしても糖尿で相撲取りが本当にできるか。彼は滑稽な相撲する役で、でも元気にやっていたぞ。この話にもどこかウソがあって、いうなら相撲取りは全員が軽い糖尿で、それは数値がそう示すだけで、症状なんて誤差の範囲で何もない。日本は糖尿天国だ。

 一週間の入院では、インシュリン不足だという設定で、糖尿病の薬をお腹に打ったり(そんなことは初めてだが)もされた。どんどん運び込まれる患者がいる。
 一時は大部屋ICUの中に、さらに低圧酸素のビニールハウスが簡易ICUとして設定された。その12畳くらいの広い酸素室に入れられて、それは酸素吸入もやり、マスクでの吸入もあったらしいが、これも効果的だったとか。つまり治療に対して体がどれだけ反応する体力残っていたかということらしい。普段薬はあまり飲まないから、治療などには敏感に反応する自分のことは、知っているつもりだか。病室は、夜10時過ぎまでジャズが流れ、これで病院なのかという高次元の病棟演じているみたいだ。その後でも監視治療が続くし、連中三交代だからミーティングやっているし、なんか高等医療とは、真夜中にゴソゴソ動いているものなのかとね。これで感染症にステロイドが効きだせば、それはノーベルに匹敵する日々前進の医療らしいし、世界中でコンタクトが取られていて、昨日の治療は今日には役に立たないと、医療もパソコンネットワークの真っただ中にあるわけだ。あの入院一週間とは何だったのかと、何やら遠い記憶。ナースの上司医師は、治療が効果的で呼吸器の回復が思った以上だから、間もなく退院できると言ってくる。ただナースと犬猿になるのは、「夜しっかり寝られましたか」と聞いてくる彼女に「入院患者は寝るしかないだろ」と答えたり。というのも、ナースもまたコンビニで買い物できますと言いながらそれは条件付きでほとんどダメ。携帯も通じない。新聞も読めないなかで、改善できる風の口きくのにそれは全部ウソなのだ。
一週間後の、退院の頃になっても、ベッドから立ち上がる苦労は同じようなもので、これで自力歩いて帰れるのかと自分のことなのに、他人事のように思う。自宅療養したときも、トイレに行くのが大仕事だったのと同じだ。踏ん張って壁や机に持たれて立ち上がり、移動しトイレにいく。自分でもおかしいと思う。点滴だけが数日あって、(この数日は食わなかった)腹が減って「入院患者らしく病院食でも食いたいよ」とナースにも言った。そしてICUを出て入院扱いに格下げにでもなったのだろうか。病院食が出てきた。しかし最初は半分しか食えない。体重がどんどん減ったのは退院して分かるが、1週間で10キロやせた。

 けっきょく1週間後、数値がよくなったのか退院になったが、が満足に歩けない。最寄りまでタクシーではいったが、地下鉄の乗り換えができなくて、うとうとしていて、駅を通り越し、逆方向で戻ってまた通り越し、俺は小学生か。都内近所なのに、2時間かけて、苦し紛れにふらふらで帰宅。これで本当に退院なのか。ああ車いすじゃないと移動できないくらいとはこのことだ(スキーで強烈な捻挫したとき、思い出した)。一人放り出された車いす難民のようだ。

退院した後に病院の経過を、下請けの医者に教える資料を私が運んで、それが下請け医療に戻る経緯にもなるのだ。糖尿などのかかりつけだ。
運んだ下請けが「強い薬ステロイドなどの治療が効果的だったようですよ。それで数値もどんどん下がって、退院できたんでしょう。最初などは血糖値が千を超えていたような」
その医者同士の秘密事項を少し漏らす。ああそうだったのかと、後からすべて知る。
 
 自宅に戻っても、トイレくらいが自分で可能な行動でも、近所の散歩などは神に願わないと実行されないほど。退院して1週間経過して、そのかかりつけにタクシー移動して、だんだん良くなった。今では20分くらいの散歩できるようになって、ああよかった。しかし体重10キロ減をかかりつけにいうと「それが理想です」。呑気だお前。これじゃ高校生時代と同じだ。私は由美かおるか。
 退院2週目には、人身事故だから過失運転致傷らしく、捜査に応じることも始まる。ああ、その当事者2人警察官も、当日の私見ていて、回復喜んでいる。記憶にないことが多い。何しろ当日私は何でマイカー外出したのか、今でも不明なのだ。ただ途中から気分悪くて帰宅途中に、低速度でも事故起こした。この程度でよかった。(すべてコロナのせいの夢遊病者にしたい)。

 その私の事故車も、ブルーシートで自宅にあったが、息子程度でも、ラジエータも垂れているし、もう修理程度じゃダメじゃねえのと、言ってくる。ディーラーにレッカーすると、修理70万円(保険有効)とかで、何だ。じゃ買い替えか、それが頭金になるみたいな話で、廃車なのか。ただそれさえ記憶薄く、平気なのは、ホンダ車といってもやはりプリウスなのだ。運転手に怪我がこない、今時は。ウソつくのは池袋の馬鹿くらいで、ブレーキ踏んだ車が90キロを超えるか。

 しかしなお思えば、だったら自宅で同じように昼寝と思ったのが昏睡だったら、私どうなったか。ならば昏睡するなら、昼間のコンビニの前がいいんだろ(実際そうだった)。目立つところで大騒ぎしないと、救急車も誰も不問に付す。それならあの事故が私の救世主で、違うなら歩行者青信号の真ん中で昏睡すれば、誰かに見られた。それでコロナから生還したということと、同義語だということになる。それだったことにしておこう。
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