ロータリーエンジンは時代のお荷物か? 背泳はドルフィンキックの時代になっているというのに、未だにそれをやらない選手は勝てない。ハイジャンプは背面飛びの時代になっているのに、ベリーロールなんかじゃ記録がでない。しかしベリーロールは、背面飛びよりも美しいジャンプで芸術的なことには変わりがない。ロータリーエンジンも時代の遺物か?
マツダのRX8というロータリーに2年10ヶ月乗っている。それが壊れた。6万キロ走ったのだが、エンジンが壊れて、2週間修理工場にはいって、新品のエンジンに無料保障期間中で積み替えたという話だった。おいエンジンとは自動車の心臓部で、心臓移植したクルマは死人か?それとも再生人間か、新車か?
どこが壊れたのかときいても、売るときにはオニギリピストンを絵に書いて説明したくせに「圧縮ができなくなった」というだけ。壊れたというのに当たり前の説明するだけだった。ロータリーはデリケートですからと。バカヤロウ言い訳か? じゃ売るときに「このクルマは壊れる」と言え。
そして問題は、有償でプラグとバッテリーも交換したいと、3万円の請求がきた。さて、これを払うか払わないか。
もうこのクルマは、5年ローンの2年が残っているが、それで廃車にしたいというくらい私は怒っている。毎月5万円支払っている。ならば、2週間の修理期間というのは、同じクルマの代車を持ってこなかったことから(持ってくるわけがない)、その期間のリース料というのは、ほぼ同額である。だから支払わないという理屈がある。それを強硬にいって、相手は頭を抱えているのだが、当然だと思うが今後どうなるのか?
フランスの新幹線が時速500キロ出たと新聞に出ている。他方上海ではリニアが実用化して、これでも500キロくらいのスピードだ。一体リニアというのは、本当に世の中に必要なものなのか。日本じゃあんなものに30年も研究していて実用化の目処はない。ならば、一切辞めて普通の新幹線でいいじゃないのか。それに空港を茨城にも作ると息巻いている。一貫性がない。
ロータリーも実は同じだ。あんなものは世界になくてもいい。ただほとんど趣味的に存在するだけで、いわばそんなクルマに乗っているのは偏屈人間であって、リスクが大きいのだが、それはユーザーになってから初めて分かった。買うときに敵は説明しない。それにマツダも実はレシプロクルマを大いに売っているわけである。
時代のアダ花だといっていいわけだ。あるときに、時代の革命かと思い込んだのはいいのだが、時代が進めばそれは錯覚だったと認識新たにすればいいのだが、人間は一旦思い込むとそれをしない。
高校野球が一塁に滑り込むのと一緒で、あるいは送りバントも同じことで、こんなものは実は意味がないと否定されて当然なのだが、それで育った連中は、オナニーするのと同じで、自分のやったことに愛着がある。だから一塁に滑り込んで、二塁打でも滑り込んだ後に気が付く。ロータリーもそれだけのことだ。ホンダのCVCCだって、いまどきあんなことやっている車はないし、キャブレターだって時代の遺物だ。
さてマツダが私の言っていることを飲めば、少しは理解してやってもいいが、強硬だったら、私は徹底的に逆らうわけだ。これも人生の遊びか余禄か?いや必要なことだ。
マツダのRX8というロータリーに2年10ヶ月乗っている。それが壊れた。6万キロ走ったのだが、エンジンが壊れて、2週間修理工場にはいって、新品のエンジンに無料保障期間中で積み替えたという話だった。おいエンジンとは自動車の心臓部で、心臓移植したクルマは死人か?それとも再生人間か、新車か?
どこが壊れたのかときいても、売るときにはオニギリピストンを絵に書いて説明したくせに「圧縮ができなくなった」というだけ。壊れたというのに当たり前の説明するだけだった。ロータリーはデリケートですからと。バカヤロウ言い訳か? じゃ売るときに「このクルマは壊れる」と言え。
そして問題は、有償でプラグとバッテリーも交換したいと、3万円の請求がきた。さて、これを払うか払わないか。
もうこのクルマは、5年ローンの2年が残っているが、それで廃車にしたいというくらい私は怒っている。毎月5万円支払っている。ならば、2週間の修理期間というのは、同じクルマの代車を持ってこなかったことから(持ってくるわけがない)、その期間のリース料というのは、ほぼ同額である。だから支払わないという理屈がある。それを強硬にいって、相手は頭を抱えているのだが、当然だと思うが今後どうなるのか?
フランスの新幹線が時速500キロ出たと新聞に出ている。他方上海ではリニアが実用化して、これでも500キロくらいのスピードだ。一体リニアというのは、本当に世の中に必要なものなのか。日本じゃあんなものに30年も研究していて実用化の目処はない。ならば、一切辞めて普通の新幹線でいいじゃないのか。それに空港を茨城にも作ると息巻いている。一貫性がない。
ロータリーも実は同じだ。あんなものは世界になくてもいい。ただほとんど趣味的に存在するだけで、いわばそんなクルマに乗っているのは偏屈人間であって、リスクが大きいのだが、それはユーザーになってから初めて分かった。買うときに敵は説明しない。それにマツダも実はレシプロクルマを大いに売っているわけである。
時代のアダ花だといっていいわけだ。あるときに、時代の革命かと思い込んだのはいいのだが、時代が進めばそれは錯覚だったと認識新たにすればいいのだが、人間は一旦思い込むとそれをしない。
高校野球が一塁に滑り込むのと一緒で、あるいは送りバントも同じことで、こんなものは実は意味がないと否定されて当然なのだが、それで育った連中は、オナニーするのと同じで、自分のやったことに愛着がある。だから一塁に滑り込んで、二塁打でも滑り込んだ後に気が付く。ロータリーもそれだけのことだ。ホンダのCVCCだって、いまどきあんなことやっている車はないし、キャブレターだって時代の遺物だ。
さてマツダが私の言っていることを飲めば、少しは理解してやってもいいが、強硬だったら、私は徹底的に逆らうわけだ。これも人生の遊びか余禄か?いや必要なことだ。
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