下山後の筋肉痛は快感でもある。エクスタシーさえ感じる。関節痛は耐えられないけど、それはない。
越後三山にある、駒ケ岳小屋、中ノ岳避難小屋、丹後山避難小屋は、すこぶる評判がいい。中ノ岳には宿泊して、丹後山では休憩したのだが。稜線の小屋に水がないというのはいつも悩んでしまうことだが、雨水でも上手に溜めておけばかなりの量になるみたいだ。満水だったし、日影に置かれていたから冷たくてさわやかだった。
小屋や登山道の管理というのは、毎年6月に始まる。荒沢岳は登山道途中の長い鎖を、毎年秋に外して、初夏に取り付ける。雪崩で壊されてしまうのか、季節外に変な人が登って来ないためなのか。剣真砂沢小屋前の本流を渡る橋も、過去には倒木が渡されていたが、今は鉄骨橋になっている。しかしこれも秋に外して夏に取り付ける。積雪で壊されてしまうから。白馬鑓の温泉や、白馬雪渓尻の小屋にしても、秋に小屋そのものを解体して更地にして、夏にまた1ヶ月くらいかかって組み立てて夏の営業を始める。手間暇かかるものだ。
越後の避難小屋の評判というのは、鉄骨造りで50年は持つといわれたものを15年位前に建設して、毎年夏に管理人に登らせて、登山道を電動ノコで笹薮切り開いて整備して、屋根に樋をつけてタンクに天水がたまるようにする。秋には樋を取り外すのだろう。
手間暇とはいうが、そもそもどの山だって国立公園の中にあって、地元の自治体が少しの予算をつければ、このくらいはできるものなのだ。年にわずかに200人くらいの宿泊と、500人くらいが休憩に訪れる小屋であっても、そこに快適な小屋があるということは登った人が広く流布するし、厳しいけど登ってみたいという希望を、登っていない人に与えるわけだ。人が少なければ意味がないというのは違っていて、ならどうして国立公園や国定公園にそこが該当しているのだ。知床なんて無人で熊しか生息していないぞ。ある程度の予算をつけるのは必然性。鉄骨組むくらいなど、自分の一戸建てにそのくらいの金かける人さえいる。
そういう基本的なことをほったらかしにしているのは、多分群馬県の新治村のことで、平標の小屋の評判の悪さと、仙ノ倉から万太郎にいたる道は、夏でもまったく野放しにしている。草刈さえしないと、「だらしない」と、対岸の水上町では言っている。何もしなければ、数年で道は元の状態に戻ってしまって、じゃ、そこは何のための公園で登山道にしているのかと疑問になる。
北アの三俣と湯俣と水晶の小屋のオヤジは、戦後山賊と友達だったという有名キャラのオヤジなのだが、国が借地権支払えというのを裁判で拒否して負けて、しかし国に嫌がらせくらって、その古い小屋を新しくできない。いつまでたっても古くて、登山者に嫌われて、間もなく「小屋がなくなる」と心配した人がいた。
逆に南アの光小屋などは、こんな不便なとこは百名山だからこそ客が行くのだが、この静岡県の小屋は、50歳よりも若い人には飯を出さないとか、夕方4時以降に付いた客にも飯を出さないとか、山の中で登山客の虐待をしているとんでもない小屋でもある。小泉のいう行政改革とはまさにこのことで、役人に客の生死を分ける小屋の営業などできるわけがない。誰かがここで餓死して社会問題にでもならない限り問題は解決しない。
北アの大天井にも役所の小屋があったが、案の定簡単に潰れて、今は民間に委託されている。
未だにくそ生意気な小屋や、気分の悪い小屋はいくらでもある。しかし世間の60歳代の百名山オヤジでも、そのくらいのことは十分に承知で、少なくとも寝袋、ツエルト、少しの食料は持参して、うるさい親父にボッタ繰られるよりも、天水の整備された鉄骨の無料避難小屋があることが、最良だと思っているらしい。私も何となくそう思う。考えれば、北ア以外の日本中の山は、営業採算上、このような形態が最良じゃないかとも思えるほどだ。私は、丹後の小屋の善意の箱に思わず千円投入してしまったぞ。
丹後山なんてところにいく、十字峡からの道が、あんなに整備されているとは驚いた。どうせ山の整備代金なんて知れている。人夫3人1週間くらいの人権費で相当整備できるだろう。そこにそういう素晴らしい山を所有しているのだから、地元はけちなこと言わずに、環境庁にしても、適当な予算をつけて、しっかり守ってもらいたいと思うのだ。多少の赤字くらいは文句を言うな。
どうしても嫌だというなら、越後三山永久保存の債権でも発行してくれ。少しくらいなら購入するぞ。その代わり私の登山時期には、登山口で三山美人が整列して「いってらっしゃいませ」と掛け声掛けろよな。
越後三山にある、駒ケ岳小屋、中ノ岳避難小屋、丹後山避難小屋は、すこぶる評判がいい。中ノ岳には宿泊して、丹後山では休憩したのだが。稜線の小屋に水がないというのはいつも悩んでしまうことだが、雨水でも上手に溜めておけばかなりの量になるみたいだ。満水だったし、日影に置かれていたから冷たくてさわやかだった。
小屋や登山道の管理というのは、毎年6月に始まる。荒沢岳は登山道途中の長い鎖を、毎年秋に外して、初夏に取り付ける。雪崩で壊されてしまうのか、季節外に変な人が登って来ないためなのか。剣真砂沢小屋前の本流を渡る橋も、過去には倒木が渡されていたが、今は鉄骨橋になっている。しかしこれも秋に外して夏に取り付ける。積雪で壊されてしまうから。白馬鑓の温泉や、白馬雪渓尻の小屋にしても、秋に小屋そのものを解体して更地にして、夏にまた1ヶ月くらいかかって組み立てて夏の営業を始める。手間暇かかるものだ。
越後の避難小屋の評判というのは、鉄骨造りで50年は持つといわれたものを15年位前に建設して、毎年夏に管理人に登らせて、登山道を電動ノコで笹薮切り開いて整備して、屋根に樋をつけてタンクに天水がたまるようにする。秋には樋を取り外すのだろう。
手間暇とはいうが、そもそもどの山だって国立公園の中にあって、地元の自治体が少しの予算をつければ、このくらいはできるものなのだ。年にわずかに200人くらいの宿泊と、500人くらいが休憩に訪れる小屋であっても、そこに快適な小屋があるということは登った人が広く流布するし、厳しいけど登ってみたいという希望を、登っていない人に与えるわけだ。人が少なければ意味がないというのは違っていて、ならどうして国立公園や国定公園にそこが該当しているのだ。知床なんて無人で熊しか生息していないぞ。ある程度の予算をつけるのは必然性。鉄骨組むくらいなど、自分の一戸建てにそのくらいの金かける人さえいる。
そういう基本的なことをほったらかしにしているのは、多分群馬県の新治村のことで、平標の小屋の評判の悪さと、仙ノ倉から万太郎にいたる道は、夏でもまったく野放しにしている。草刈さえしないと、「だらしない」と、対岸の水上町では言っている。何もしなければ、数年で道は元の状態に戻ってしまって、じゃ、そこは何のための公園で登山道にしているのかと疑問になる。
北アの三俣と湯俣と水晶の小屋のオヤジは、戦後山賊と友達だったという有名キャラのオヤジなのだが、国が借地権支払えというのを裁判で拒否して負けて、しかし国に嫌がらせくらって、その古い小屋を新しくできない。いつまでたっても古くて、登山者に嫌われて、間もなく「小屋がなくなる」と心配した人がいた。
逆に南アの光小屋などは、こんな不便なとこは百名山だからこそ客が行くのだが、この静岡県の小屋は、50歳よりも若い人には飯を出さないとか、夕方4時以降に付いた客にも飯を出さないとか、山の中で登山客の虐待をしているとんでもない小屋でもある。小泉のいう行政改革とはまさにこのことで、役人に客の生死を分ける小屋の営業などできるわけがない。誰かがここで餓死して社会問題にでもならない限り問題は解決しない。
北アの大天井にも役所の小屋があったが、案の定簡単に潰れて、今は民間に委託されている。
未だにくそ生意気な小屋や、気分の悪い小屋はいくらでもある。しかし世間の60歳代の百名山オヤジでも、そのくらいのことは十分に承知で、少なくとも寝袋、ツエルト、少しの食料は持参して、うるさい親父にボッタ繰られるよりも、天水の整備された鉄骨の無料避難小屋があることが、最良だと思っているらしい。私も何となくそう思う。考えれば、北ア以外の日本中の山は、営業採算上、このような形態が最良じゃないかとも思えるほどだ。私は、丹後の小屋の善意の箱に思わず千円投入してしまったぞ。
丹後山なんてところにいく、十字峡からの道が、あんなに整備されているとは驚いた。どうせ山の整備代金なんて知れている。人夫3人1週間くらいの人権費で相当整備できるだろう。そこにそういう素晴らしい山を所有しているのだから、地元はけちなこと言わずに、環境庁にしても、適当な予算をつけて、しっかり守ってもらいたいと思うのだ。多少の赤字くらいは文句を言うな。
どうしても嫌だというなら、越後三山永久保存の債権でも発行してくれ。少しくらいなら購入するぞ。その代わり私の登山時期には、登山口で三山美人が整列して「いってらっしゃいませ」と掛け声掛けろよな。