土曜日に横浜市内某所に立ち寄ると、昨年末以来知り合った方々がいらっしゃったので話の輪に加えていただきました。
しばらくすると何かの話から、白井さんがクィシサーナさんに私の拘りについて聞いてみなよと話を振ってくれましたが、残念ながら自覚している拘りなんて無いに等しいのでした。たまに人に指摘されてそうかなと思う程度です。
帰り際、最近初めて訪ねた店について白井さんに感想を聞かれたので、インポート物がいっぱいに詰まっているけれど一点一点の内容が乏しくあまり芳しくなかった印象をお話しました。
会社の大小に関わらず商品の事にくらい人が発注にからむと、その結果として出来上がった品揃えはそれを反映したものにならざるを得ません。或る程度の地位の方の強権発動だったりすると尚更修正がきかないままその路線を進むことになり、現実に苦労されている現場の方も少なくないようです。
解かる人に任せられる、あるいは本当に商品に精通した経営者なり管理職なりを上にいただく組織が羨ましい、なんて悲痛な話も聞きます。
私も本業では果たせないフラストレーションからか、消化率100%を目指して自分でこまごま仕入れた物を一頃売っていた事がありました。当初喜ばれていたものの、拘りの品質が安くても次第に売れ難い状況になったりつき合いで自分が選んだ以外の物も扱ったりする内に、サイズのある物は知らず知らず在庫になり危うくなる前に休止しました。9年ほどやってかなり100%に近いところまで消化しましたが、それでも何点かは残りました。本当に難しいものです。
学生の頃、電気店の中のレコード売り場へアルバイトに行きました。三か月を迎える頃には少しは信頼されはじめたのか、自分の得意分野について売場責任者から意見を求められるようになりました。
ほどなくその分野の発注を担当するよう言われ、或る日電話で取引先の小さなレコード会社の社長とお話する機会がありました。
事務的な用件が終わると、「最近担当の方は変わりましたか」と仰います。ボケていて意味を測りかね、売場担当者である上司は変わっていないのでそう伝え、怪訝そうなのでその先を伺うと「いぇ、以前と発注内容が変わったので」と肯定的な意味の話を続けてくれました。今更アルバイトの私ですとも言えず、そのままにした記憶があります。
そこで解かったのは、発注というのは人に寄って変わるという当たり前の事だったんですね。
上司が私に引き継いだ分野を担当していた時には、ただ単に時間が足りないので例えば発注数量を一律にしていたかも知れないところを、私の専門分野は全くの新譜は少なく内容を知っている物も多かったので相応の凸凹をつけただけです。
発売後には評価の高まることが予測され内容も良く売って行きたい物で追加の利かない物は、説明して余分に持たしてもらう等ごく基本的な発想でしたが消化も順調で喜んでもらい、当初は冷めた感じの職場が月日と共にチーム・ワークも良くなり楽しく働かせてもらいました。
その一年ちょっとの間には、自分では買うことがない洋楽邦楽のヒット・チャートものを死ぬほど聴かせてもらいました。各社が押す話題の曲をタイ焼き君じゃありませんが毎日毎日一生分かと思うくらい刷り込まれたのですが、そんな中にこれはと思う音で、クレジットを見ると大抵この人というくらい素晴らしいセンスで丁寧な仕事が光るアレンジャーの方がいました。お顔も何も存じ上げませんが、その人は大村雅朗さんという方でした。
しばらくすると何かの話から、白井さんがクィシサーナさんに私の拘りについて聞いてみなよと話を振ってくれましたが、残念ながら自覚している拘りなんて無いに等しいのでした。たまに人に指摘されてそうかなと思う程度です。
帰り際、最近初めて訪ねた店について白井さんに感想を聞かれたので、インポート物がいっぱいに詰まっているけれど一点一点の内容が乏しくあまり芳しくなかった印象をお話しました。
会社の大小に関わらず商品の事にくらい人が発注にからむと、その結果として出来上がった品揃えはそれを反映したものにならざるを得ません。或る程度の地位の方の強権発動だったりすると尚更修正がきかないままその路線を進むことになり、現実に苦労されている現場の方も少なくないようです。
解かる人に任せられる、あるいは本当に商品に精通した経営者なり管理職なりを上にいただく組織が羨ましい、なんて悲痛な話も聞きます。
私も本業では果たせないフラストレーションからか、消化率100%を目指して自分でこまごま仕入れた物を一頃売っていた事がありました。当初喜ばれていたものの、拘りの品質が安くても次第に売れ難い状況になったりつき合いで自分が選んだ以外の物も扱ったりする内に、サイズのある物は知らず知らず在庫になり危うくなる前に休止しました。9年ほどやってかなり100%に近いところまで消化しましたが、それでも何点かは残りました。本当に難しいものです。
学生の頃、電気店の中のレコード売り場へアルバイトに行きました。三か月を迎える頃には少しは信頼されはじめたのか、自分の得意分野について売場責任者から意見を求められるようになりました。
ほどなくその分野の発注を担当するよう言われ、或る日電話で取引先の小さなレコード会社の社長とお話する機会がありました。
事務的な用件が終わると、「最近担当の方は変わりましたか」と仰います。ボケていて意味を測りかね、売場担当者である上司は変わっていないのでそう伝え、怪訝そうなのでその先を伺うと「いぇ、以前と発注内容が変わったので」と肯定的な意味の話を続けてくれました。今更アルバイトの私ですとも言えず、そのままにした記憶があります。
そこで解かったのは、発注というのは人に寄って変わるという当たり前の事だったんですね。
上司が私に引き継いだ分野を担当していた時には、ただ単に時間が足りないので例えば発注数量を一律にしていたかも知れないところを、私の専門分野は全くの新譜は少なく内容を知っている物も多かったので相応の凸凹をつけただけです。
発売後には評価の高まることが予測され内容も良く売って行きたい物で追加の利かない物は、説明して余分に持たしてもらう等ごく基本的な発想でしたが消化も順調で喜んでもらい、当初は冷めた感じの職場が月日と共にチーム・ワークも良くなり楽しく働かせてもらいました。
その一年ちょっとの間には、自分では買うことがない洋楽邦楽のヒット・チャートものを死ぬほど聴かせてもらいました。各社が押す話題の曲をタイ焼き君じゃありませんが毎日毎日一生分かと思うくらい刷り込まれたのですが、そんな中にこれはと思う音で、クレジットを見ると大抵この人というくらい素晴らしいセンスで丁寧な仕事が光るアレンジャーの方がいました。お顔も何も存じ上げませんが、その人は大村雅朗さんという方でした。