7月末、ららぽーと福岡に「キッザニア福岡」がオープンした。夏休みが終わったので、少しは混雑が解消したかと、平日の仕事の合間を利用し覗いてみた。
キッザニアは、3歳から15歳の子どもたちを対象に様々な職業を模擬体験できる施設で、福岡は東京・豊洲、兵庫・甲子園に次いで全国3カ所目になる。九州のような地方都市では、これまでキッザニアのような幅広い職業体験をできる施設はなかった。子供たちに限らず親の世代にとっても、待望の施設と言えるだろう。
というか、子供たちは在住する都市によって、どうしても職業観に差が出てくる。筆者が育った博多は、古くから大陸との交易で発展した性格から圧倒的に「商売人」が多い。小学校の同級生の7〜8割は親が何らかの物販、飲食、サービスの事業を営んでいた。だから、逆にサラリーマンや公務員の家庭はほとんど目立たない。どうしても関心が薄れてしまうのだ。
東京の子供たちはどうだろう。親が老舗の菓子舗や町工場を経営したり、放送局や出版社、映画会社、鉄道会社やホテルに勤めていたり。先祖の代から何百年も続く呉服店や海苔・佃煮のお店、材木商、劇場や料亭などの倅や息女もいるだろう。もちろん、著名な俳優や文化人のご姉弟、帰国子女も少なくないはずだ。子供は親の背中を見て育つというが、そうした家庭環境が職業観にも影響するのではないか。
もちろん、全国津々浦々でいろんな職業がある。地方では農林、畜産、水産に従事する人が多い。都会、地方を問わず医療、運輸、保健・介護・保育、電気・ガス・水道、ゴミ収集、消防、警察など社会に欠かせない「エッセンシャルワーカー」もいる。逆に医者や弁護士、研究者、プロスポーツ選手、歌手や俳優などは親がそうでない場合でも、夢や憧れの「なりたい職業」として捉えられる。小学生であれば、これもごく自然なことだ。
それが中学、高校に入ると部活動や受験勉強に身を置くことから、職業観が薄れていく。当面は選手として全国大会を目指す。志望を名門の高校、一流大学に設定して勉強に励む。また、スポーツや文化・芸術の分野で技術、能力を高めるために「〇〇留学」に進むケースもある。近い将来の目標やその方面の仕事のための学びなら、必然的に職業観は狭まってしまう。
ただ、現実的に夢や憧れの仕事を手に入れられる人、自分が好きなことを仕事にできる人は、ほんの一握りだ。逆に一流大学に進学しても、自分が思い描く就職がうまくいく保証はない。まして、昨今のようにビジネス環境が目まぐるしく変化する状況では、就職していても会社がいつ倒産してリストラされるかもしれない不安は拭えない。
安定を考えて地方の国立大学に進んだとしても、エリート学生にとって地元に就職の選択肢が豊富かと言えば、都市部との格差でそれも難しい。従来、一流大卒で文系、Uターン学生の受け皿となってきた地方銀行、ローカル新聞社、地方百貨店の3業種は、人口減少と経済衰退による構造変化で、先行きが見通せない状況だ。
理系を含め中央に出る。グローバルも視野を入れる。それがわかっていても、べンチャーを含めた金融は利ざや商売の限界が出ている。IT、バイオテクノロジーは、投資に左右されてしまう。好調なエレクトロニクスもひとたび円高に揺り戻せば、工場の撤退や従業員の解雇がないとも限らない。こうした弱肉強食のビジネス界に身を置くことを躊躇う層は、端から公務員試験や資格取得を目指す。だがその分、合格のハードルは高くなる。
だからこそ、幼少期から多様な職業に触れ、挑戦する勇気を育み、技術やノウハウの習得と伝承などの価値を知り、仕事の魅力を再発見する意義は大きい。各パビリオンを見て回りながら、ふとそんなことを考えてしまった。奇しくもコロナ禍では、子供たちがエッセンシャルワーカーの重要性を知る契機となった。社会に欠かせない仕事が一番安定していることも、多少は理解できたのではないか。
かつては小学生の子供たちには数学や化学、生物、天文の基礎を教えれば良く、社会学や経営学に触れさせる必要はないと言われていた。ところが、こうした教育論もバブル崩壊で、親がリストラの憂き目に遭うと通用しなくなった。毎日、家族のために一生懸命働いていたエンジニアの父親がある日突然会社に行かなくなる。その理由を子供たちにどう理解してもらうのか。それも企業や大人の役目なのである。
キッザニアでは、職業体験すると専用通貨「キッゾ」を給料として受け取ることができる。だから、自分の仕事がどれほどの報酬を得られ、それで何が買えるのかが理解できる。現実により近い職業の体験を通じて経済が回る仕組みがわかり、社会の中でどう生きていくかを考えられる。その意味では、非常によくできたシステムだと言える。
創作体験を通じブランドの魅力を刷り込む
一方、キッザニア東京では、宝飾ブランド「カルティエ」のパビリオン「ジュエリーアトリエ」が9月26日まで開催されている。(https://senken.co.jp/posts/cartier-220907)子供たちはカルティエの白衣を着て、思い思いにジュエリーデザインを楽しめる。ここで同社が他をリードするのは、デザインの基礎からきちんと教えること。まず講師がジュエリーや宝石の意味、カルティエの歴史やアイコンジュエリーから説明してくれる。
次いで、カルティエを代表する「Tutti Frutti」のアウトラインが印刷されたデザインシートと宝石カットの一覧、色鉛筆、ジュエリーをイメージした立体シール17種が配られる。子供たちはこの中から3種類を選び、独自の感性と自由な発想でデザインを行うのだ。
カルティエがジュエリーデザインの対象にTutti Fruttiを選んだのは、歴史と伝統、メゾンを象徴する=アイコンであること。また、色鮮やかな3大宝石を使用しているため、インパクトがあるからという。子供たちなら理屈抜きでデザインを考えるはずだ。大人が気づきもしない発想をするかもしれない。それはメゾン側にとっても収穫になるだろう。
11月にはこの体験をした子どもたちの中から10名(小学校4年生以上)を選抜し、銀座店で接客体験にも当たってもらうという。作ることを学んだ後は、売ることにも挑戦する。どんな作りのお店で、どんな応対をし、どんなお客さんが買ってくれるか。自分が日頃買い物しているコンビニやスーパーなどとは、どこが違うのか。店舗の格の違いを学べるのは、非常にいい機会になるはずだ。
では、カルティエのような高級宝飾ブランドがなぜ、子供たちのデザインや接客体験を始めたのか。カルティエ・ジャパンによると、「本物に触れる体験を子供たちに楽しんでほしい」ためだという。この発表を額面通りに解釈することはできないが、本音のところは「未来の顧客予備軍となる子供たちの青田買い」もあるのではないか。
子供たちの間では、ビーズのアクセサリー作りが定着している。煌びやかなアクセに魅せられる女の子は少なくない。子供の頃にジュエリーデザインを体験すれば、大人になった時に嗜好がアクセサリーからジュエリーに移るかもしれない。本物が欲しくなるわけだ。宝飾ブランドが子供の頃に本物に触れさせる狙いは、そこにあると思う。
カルティエが人気を博していたのは、今から30年以上前のバブル期だ。ルイ・カルティエが考案した「トリニティ・リング」は、愛を表すピンク、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエローのゴールド3色3連で、OL層を中心にヒットしていた。ギフトの定番でもあったが、女性が自腹で購入するには高額だったため、39800円(免税)の類似商品も人気を集めた。
ところが、バブル景気が崩壊すると、日本のジュエリー市場は3兆円から7000億円まで縮小した。その余波はカルティエにも及び、戦略の見直しを余儀なくされる。ちょうど、平成不況で東京の土地が下落し出店がしやすくなったため、カルティエは銀座に直営店を出店した。背景には1993年に傘下入りしたリシュモングループ(時計のボーン&メルシエ、IWC、筆記具のモンブラン、アパレルのシー・バイ・クロエなども傘下)の豊富な資金力がある。
一方、顧客の若返りを図らなければならず、ブランドの活性化も課題だった。今の20代〜30代はカルティアを知らない層も多いだろう。知っていても「ド・宝飾」のイメージが強すぎて、購入するには腰が引けてしまう。若返りや活性化がどこまで達成できたかはわからないが、子供たちからカルティエに親しんでもらうのも、その一手と考えてもおかしくない。家族を含めてブランドの啓蒙にもつながる。
ただ、大人でも高級ブランドを購入するには、ある程度の年収が必要になる。逆にジュエリーはウォンツ商品だから、欲しいと思う人しか買わない。だが、それにばかりに頼っていたのでは、ブランドの活性や成長は不可能だ。「少し背伸びすれば、カルティエのジュエリーが買える」。顧客予備軍にそう思わせるには、潜在意識の中にカルティエを好きになる気持ちを醸成すること。それもジュエリーアトリエの目的だとすれば、合点がいく。
キッザニア側は体験内容やカリキュラムは各企業に任せているはず。もちろん、子供たちは純粋だから、大人の卑しい商魂などには目もくれない。ただ、高級ブランドが他社と同じレベルの体験を実施しても、子供たちにその良さは伝わらない。格差社会が進行する中で、高級ブランドが富裕層だけを相手にしていても、成長はない。識者の中には「ブランド化したからと、売れるわけじゃない」と宣う方もいる。じゃあ、どうすればいいのか。明確な答えは出せていない。
筆者は単なるブランドではなく、それを創る側に身を置いてもらうことで、仕掛けていく方法もあると考える。高級ブランドを購入するには一定規模の収入が必要だが、好きになってもらうのに年収は関係ない。その気持ちが大人になるまで切れなければ、頑張って働いて稼いで購入してもらえばいいわけだ。カルティアはそこに行き着いたのではないか。
企業側には、そうしたマーケティングの狙いとして、キッザニアを活用する方法もあるということ。その意味で職業体験にはいろんな目的、効能があるような気がする。
キッザニアは、3歳から15歳の子どもたちを対象に様々な職業を模擬体験できる施設で、福岡は東京・豊洲、兵庫・甲子園に次いで全国3カ所目になる。九州のような地方都市では、これまでキッザニアのような幅広い職業体験をできる施設はなかった。子供たちに限らず親の世代にとっても、待望の施設と言えるだろう。
というか、子供たちは在住する都市によって、どうしても職業観に差が出てくる。筆者が育った博多は、古くから大陸との交易で発展した性格から圧倒的に「商売人」が多い。小学校の同級生の7〜8割は親が何らかの物販、飲食、サービスの事業を営んでいた。だから、逆にサラリーマンや公務員の家庭はほとんど目立たない。どうしても関心が薄れてしまうのだ。
東京の子供たちはどうだろう。親が老舗の菓子舗や町工場を経営したり、放送局や出版社、映画会社、鉄道会社やホテルに勤めていたり。先祖の代から何百年も続く呉服店や海苔・佃煮のお店、材木商、劇場や料亭などの倅や息女もいるだろう。もちろん、著名な俳優や文化人のご姉弟、帰国子女も少なくないはずだ。子供は親の背中を見て育つというが、そうした家庭環境が職業観にも影響するのではないか。
もちろん、全国津々浦々でいろんな職業がある。地方では農林、畜産、水産に従事する人が多い。都会、地方を問わず医療、運輸、保健・介護・保育、電気・ガス・水道、ゴミ収集、消防、警察など社会に欠かせない「エッセンシャルワーカー」もいる。逆に医者や弁護士、研究者、プロスポーツ選手、歌手や俳優などは親がそうでない場合でも、夢や憧れの「なりたい職業」として捉えられる。小学生であれば、これもごく自然なことだ。
それが中学、高校に入ると部活動や受験勉強に身を置くことから、職業観が薄れていく。当面は選手として全国大会を目指す。志望を名門の高校、一流大学に設定して勉強に励む。また、スポーツや文化・芸術の分野で技術、能力を高めるために「〇〇留学」に進むケースもある。近い将来の目標やその方面の仕事のための学びなら、必然的に職業観は狭まってしまう。
ただ、現実的に夢や憧れの仕事を手に入れられる人、自分が好きなことを仕事にできる人は、ほんの一握りだ。逆に一流大学に進学しても、自分が思い描く就職がうまくいく保証はない。まして、昨今のようにビジネス環境が目まぐるしく変化する状況では、就職していても会社がいつ倒産してリストラされるかもしれない不安は拭えない。
安定を考えて地方の国立大学に進んだとしても、エリート学生にとって地元に就職の選択肢が豊富かと言えば、都市部との格差でそれも難しい。従来、一流大卒で文系、Uターン学生の受け皿となってきた地方銀行、ローカル新聞社、地方百貨店の3業種は、人口減少と経済衰退による構造変化で、先行きが見通せない状況だ。
理系を含め中央に出る。グローバルも視野を入れる。それがわかっていても、べンチャーを含めた金融は利ざや商売の限界が出ている。IT、バイオテクノロジーは、投資に左右されてしまう。好調なエレクトロニクスもひとたび円高に揺り戻せば、工場の撤退や従業員の解雇がないとも限らない。こうした弱肉強食のビジネス界に身を置くことを躊躇う層は、端から公務員試験や資格取得を目指す。だがその分、合格のハードルは高くなる。
だからこそ、幼少期から多様な職業に触れ、挑戦する勇気を育み、技術やノウハウの習得と伝承などの価値を知り、仕事の魅力を再発見する意義は大きい。各パビリオンを見て回りながら、ふとそんなことを考えてしまった。奇しくもコロナ禍では、子供たちがエッセンシャルワーカーの重要性を知る契機となった。社会に欠かせない仕事が一番安定していることも、多少は理解できたのではないか。
かつては小学生の子供たちには数学や化学、生物、天文の基礎を教えれば良く、社会学や経営学に触れさせる必要はないと言われていた。ところが、こうした教育論もバブル崩壊で、親がリストラの憂き目に遭うと通用しなくなった。毎日、家族のために一生懸命働いていたエンジニアの父親がある日突然会社に行かなくなる。その理由を子供たちにどう理解してもらうのか。それも企業や大人の役目なのである。
キッザニアでは、職業体験すると専用通貨「キッゾ」を給料として受け取ることができる。だから、自分の仕事がどれほどの報酬を得られ、それで何が買えるのかが理解できる。現実により近い職業の体験を通じて経済が回る仕組みがわかり、社会の中でどう生きていくかを考えられる。その意味では、非常によくできたシステムだと言える。
創作体験を通じブランドの魅力を刷り込む
一方、キッザニア東京では、宝飾ブランド「カルティエ」のパビリオン「ジュエリーアトリエ」が9月26日まで開催されている。(https://senken.co.jp/posts/cartier-220907)子供たちはカルティエの白衣を着て、思い思いにジュエリーデザインを楽しめる。ここで同社が他をリードするのは、デザインの基礎からきちんと教えること。まず講師がジュエリーや宝石の意味、カルティエの歴史やアイコンジュエリーから説明してくれる。
次いで、カルティエを代表する「Tutti Frutti」のアウトラインが印刷されたデザインシートと宝石カットの一覧、色鉛筆、ジュエリーをイメージした立体シール17種が配られる。子供たちはこの中から3種類を選び、独自の感性と自由な発想でデザインを行うのだ。
カルティエがジュエリーデザインの対象にTutti Fruttiを選んだのは、歴史と伝統、メゾンを象徴する=アイコンであること。また、色鮮やかな3大宝石を使用しているため、インパクトがあるからという。子供たちなら理屈抜きでデザインを考えるはずだ。大人が気づきもしない発想をするかもしれない。それはメゾン側にとっても収穫になるだろう。
11月にはこの体験をした子どもたちの中から10名(小学校4年生以上)を選抜し、銀座店で接客体験にも当たってもらうという。作ることを学んだ後は、売ることにも挑戦する。どんな作りのお店で、どんな応対をし、どんなお客さんが買ってくれるか。自分が日頃買い物しているコンビニやスーパーなどとは、どこが違うのか。店舗の格の違いを学べるのは、非常にいい機会になるはずだ。
では、カルティエのような高級宝飾ブランドがなぜ、子供たちのデザインや接客体験を始めたのか。カルティエ・ジャパンによると、「本物に触れる体験を子供たちに楽しんでほしい」ためだという。この発表を額面通りに解釈することはできないが、本音のところは「未来の顧客予備軍となる子供たちの青田買い」もあるのではないか。
子供たちの間では、ビーズのアクセサリー作りが定着している。煌びやかなアクセに魅せられる女の子は少なくない。子供の頃にジュエリーデザインを体験すれば、大人になった時に嗜好がアクセサリーからジュエリーに移るかもしれない。本物が欲しくなるわけだ。宝飾ブランドが子供の頃に本物に触れさせる狙いは、そこにあると思う。
カルティエが人気を博していたのは、今から30年以上前のバブル期だ。ルイ・カルティエが考案した「トリニティ・リング」は、愛を表すピンク、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエローのゴールド3色3連で、OL層を中心にヒットしていた。ギフトの定番でもあったが、女性が自腹で購入するには高額だったため、39800円(免税)の類似商品も人気を集めた。
ところが、バブル景気が崩壊すると、日本のジュエリー市場は3兆円から7000億円まで縮小した。その余波はカルティエにも及び、戦略の見直しを余儀なくされる。ちょうど、平成不況で東京の土地が下落し出店がしやすくなったため、カルティエは銀座に直営店を出店した。背景には1993年に傘下入りしたリシュモングループ(時計のボーン&メルシエ、IWC、筆記具のモンブラン、アパレルのシー・バイ・クロエなども傘下)の豊富な資金力がある。
一方、顧客の若返りを図らなければならず、ブランドの活性化も課題だった。今の20代〜30代はカルティアを知らない層も多いだろう。知っていても「ド・宝飾」のイメージが強すぎて、購入するには腰が引けてしまう。若返りや活性化がどこまで達成できたかはわからないが、子供たちからカルティエに親しんでもらうのも、その一手と考えてもおかしくない。家族を含めてブランドの啓蒙にもつながる。
ただ、大人でも高級ブランドを購入するには、ある程度の年収が必要になる。逆にジュエリーはウォンツ商品だから、欲しいと思う人しか買わない。だが、それにばかりに頼っていたのでは、ブランドの活性や成長は不可能だ。「少し背伸びすれば、カルティエのジュエリーが買える」。顧客予備軍にそう思わせるには、潜在意識の中にカルティエを好きになる気持ちを醸成すること。それもジュエリーアトリエの目的だとすれば、合点がいく。
キッザニア側は体験内容やカリキュラムは各企業に任せているはず。もちろん、子供たちは純粋だから、大人の卑しい商魂などには目もくれない。ただ、高級ブランドが他社と同じレベルの体験を実施しても、子供たちにその良さは伝わらない。格差社会が進行する中で、高級ブランドが富裕層だけを相手にしていても、成長はない。識者の中には「ブランド化したからと、売れるわけじゃない」と宣う方もいる。じゃあ、どうすればいいのか。明確な答えは出せていない。
筆者は単なるブランドではなく、それを創る側に身を置いてもらうことで、仕掛けていく方法もあると考える。高級ブランドを購入するには一定規模の収入が必要だが、好きになってもらうのに年収は関係ない。その気持ちが大人になるまで切れなければ、頑張って働いて稼いで購入してもらえばいいわけだ。カルティアはそこに行き着いたのではないか。
企業側には、そうしたマーケティングの狙いとして、キッザニアを活用する方法もあるということ。その意味で職業体験にはいろんな目的、効能があるような気がする。