HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

産学連携は予算獲得の麗句と化したか。

2013-05-22 21:30:22 | Weblog
 今日の日経ビジネスオンラインで、ファッションライターの南充浩さんが、産学連携によるブランド開発は「絵に描いた餅」と仰っていた。実例として、「ファッション専門学校と生地産地の組合との帽子づくり」をピックアップされている。
 行政や学校が好きな言葉を借りれば、コラボレーションで生地産地が生地を提供、学生が帽子をデザイン・製作し、合同展示会に出展するというもの。出展先は繊研新聞などが主催するインターナショナルファッションフェアだったそうだ。
 
 産地はブランド化することができれば強力なPRになるし、専門学校もビジネスにつなげられると思ったのかもしれない。ところが、そうした思惑に反して、「受注ゼロ」に終わったという。
 つまり、産学連携とか、学生と業界のコラボレーションとか、行政は聞こえのいい言葉をあげるが、それは所詮、絵空事ではないかということだ。

 南さんはその理由としては、

1.もし数十個以上の注文が入った場合、学生に製造させるのは不可能だろう。
2.量産する場合、縫製工場に支払う工賃は、どちらが支払うつもりだったのか。
(注文した小売業者は、帽子が納品されて代金を支払うが、縫製工場は一部を前金として要求したり、縫製が完了すれば代金を請求するだろうから、そのタイムラグが生じる)
3.商品が売れた場合の追加発注に対し、在庫はどちらが抱えるつもりだったのか。

 をあげている。

 産学連携に限らず、一般のビジネスであれば、条件や契約内容まで想定して取引に及ばなければならない。当然、それらを左右するのは、コストや価格、売上げ、利益である。それを行政や学校がどこまで考えて、産学連携を押し進めているのか、甚だ疑問である。

 話を福岡に転じても同じようなことが言える。2008年にスタートした「福岡アジアファッション拠点推進会議」では、設立総会で配られた趣意書には以下のように記されている。

 「福岡県がファッション産業に一大拠点になる5つのポテンシャル」として、

1.自社ブランドにより全国あるいは海外展開している(しようとしている)デザイナー、アパレルメーカーの存在
2.全国有数のファッション関連教育機関から生み出される多くの優秀な人材の存在
3.デザイナーが連携できる関連産業・企業(素材・製造・流通など)が多数存在

があると。

 正直、これを目にしたとき、業界人として「えっ」「どこが」と感じた。こうした構造は福岡に限らず、東京や大阪は当たり前に言えることだ。なおさらそちらの方が優れているし、事業基盤も底堅い。ただ、行政がこうした美辞麗句を用いて、もっともらしく書けばそう思えてくるから、不思議なものだ。
 ところが、 福岡アジアファッション拠点推進会議の関連事業が始まって5年、これまで産学連携で事業に柱になるようなものは、ほとんど行われていない。事業資金の大半が客寄せイベントのFACoと、東京からの業界人をよんだ講演・セミナーにつぎ込まれているからだ。
 強いてそれらしい事業を見つけるとすれば、同会議の企画運営委員長が校長を務めるファッション専門学校がイオンのPB、トップバリュコレクションと組んだ量販ブランドの「FACo × Route 80」くらいだろう。

 それとて、専門学校生がすべて製造したわけではない。商品を見ると、おそらくスタイル画程度をイオン側に渡し、あとは商社経由でOEM生産したのだろう。いや専門学校生のレベルだから、「この程度ではとても縫製できない。仕様書をつけてほしい」とアパレル工場からクレームをつけられ、ODMにまで堕ちたのかもしれない。
 それはそれとして、商品が並ぶのは郊外に店舗を構えるイオンで、都市部のファッションビルではないから、産学連携が目的とする学生のモチベーションアップや事業化にどこまでつながっているかは未知数だ。
 もっともこの学校としては、「こんなことやってますよ」とサイトで公開し、学生集めやプロモーションに活用している程度だというのがよくわかる。

 まあ、公職にあるものが、公共事業の産学連携を自校の利益に利用するのはもってのほかだ。だが、それ以上に産学連携と言えば、崇高なイメージで受け取られる事業環境に問題がある。
 南さんは「受注ゼロのその後」まで詳しく論じていらっしゃらなかった。でも、その後の会議などで「受注ゼロ」の理由として「アピールが足りなかった」という意見がでると、必ず「ポスターやチラシ、サイトなどのツールを充実させない」と結論に行きつくことが往々にしてある。今度はそれが広告やプロモーションの利権にすり替わるかもしれないのだ。

 公共事業には先に予算の確保が不可欠だから、担当者が企画立案において内容や効果を針小棒大に表現するのは、当たり前のことだろう。 ただ、それなら産学連携による「もの作り」に使われるべきなのだ。しかし、実際には産学連携という言葉だけが一人歩きし、何の効果も及ぼしていないように思える。
 それを絵に描いた餅と呼ぶか、絵空事と呼ぶか。 産学連携と事業企画書に書けば、予算獲得ができる美辞麗句であるのは確かである。利害関係者にとっては、格好の「打での小槌」になっているような気がしてならない。
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