アパレル企業が高校にデザイナーを派遣して講義を行っているというのは、先のコラムで書いた。では、当のファッション専門学校はと言えば、かなり事情が変わってきている。若者の価値観が多様化し、コツコツ技術を磨いて自らのクリエイティビティを醸成する、いわゆるデザイナー志望が減少。少子化も手伝って学校側は学生の確保が難しくなり、学校間の競争も激化して閉校や撤退が相次いでいるのだ。
2008年、福岡県が福岡アジアファッション拠点推進会議の発足時に発表した数字に、「福岡には専門学校は18校、大学・短大6校から毎年約800人の卒業生を輩出」とあった。これは行政の担当者が事業予算確保のため、業界予備軍が多いと言いたかったのだろうが、その舌の根のかわかないうちに「九州ファッション専門学校」が閉校した。理由は経営者の体調不良(のちに死去)との報道もあったが、学生確保の厳しさがあったのは言うまでもない。
また、05年に開校した有名校も来年3月で福岡から撤退する。天神と博多駅の中間に位置し、派手なビジュアル演出と業界人を招いての体験イベント、学務スタッフの熱心な勧誘活動もあった。しかし、プロの仕事に対する意識付けの低さ、就職活動への啓蒙不足から、業界や学生の信頼を得るのは難しかったようだ。
既存校の間でも生き残るには、若者人気が高いスタイリストやプレス、バイヤー志望にカリキュラムを変更せざるを得ず、「アタッシュ・ドゥ・プレス」「ファッションエディター」「ショッププランニング」「ファッションディレクター」なんて、名前だけカッコいい授業を設けるところもある。
さらに学生のファッション離れから、ネイルやヘアメイクを合体させて何とか学科を存続させるところも少なくない。あるいは元来、グラフィックデザインがメーンで、ファッションは添えもの程度の学校も、そのグラフィックさえ厳しくなったためゲームやWeb、パフォーマンス(タレント養成)にシフトしている。
しかし、何のかんの言っても、ファッション業界が新卒を採用する時、企画職以外はほとんどが「販売職」。だから、接客やマナーアップ、コーディネート術、ディスプレイ、ストアコンパリゾン(企業リサーチ)、クレーム処理などの授業に取り組み、まずは第一関門の面接試験に合格しないと業界には入れない。なのにそうした教育がなおざりにされている嫌いがある。
そもそも、スタイリストがファッション業界の仕事か、ということから学生は誤解している。メーカーやショップから商品を借りることはあっても、仕事は雑誌なら出版社の編集者やカメラマン、CMなら広告代理店のディレクター、タレント直は事務所関係者などと行なう。つまり、実際に働くのは「メディアの世界」で、当然、ギャラもそこから支払われる。
服飾のディテールやトレンド用語の知識が全く必要ないとは言わないが、小物含めて商品や小道具の入手ルートから雑誌制作のフロー、グラフィックや写真撮影などの知識、現場での臨機応変な対応(裾のまつりやサイズ調整)などまで、習得しておかなければ、使いものにならないのだ。
プレスにしても然り。商品を貸し出し、雑誌やCM等に露出する。返却後は検品し、タグを付け、プレスルームで保管。掲載された媒体はチェックし、問い合わせに対応する。ただ、そんな程度の認識なら単なる“貸し出しのお姉さん”に過ぎない。
限られた予算の中で、いかに効率の良い販促企画やメディア戦略を考えるか。それはキャンペーンか、純広告か、編集タイアップか、インスタレーションか、コレクションショーか。あるいは投資家向け、一般向けのディスクローズとは何か。そうした活動の中でネームバリュや信頼度、ブランド価値を高めていくのがプレスの本当の仕事なのだ。
あるDCブランドメーカーのプレス採用試験で、こんな論文問題が出された。テーマは「記事と広告の違いを書きなさい」。 筆者はこれを見て目から鱗が出た。 まさに的を射た問題である。
おそらく、この答えが導き出せるのは、雑誌の編集者やコピーライター経験者だろう。つまり、メーカー側は即戦力としてのプレスにそうした能力を求めているのであり、それはファッション専門学校の卒業生レベルでは、あまりに高いハードルと言わざるを得ない。 もっとも、アタッシュ・ドゥ・プレスの授業なら学習して然るべき内容なのだが、実際に行なわれているかどうかは疑わしい。
ファッション業界は、「1枚の布を使って服を作り、それを売る」。しかし、そのプロセスには様々な技術や能力が必要で、それを身につけるには地道な勉強が不可欠。最近はビジネス革新が激しくなっているが、人が流行を追って服を着る限り、ファッションの仕事はなくならない。だから、専門教育も原点に帰ることだ。デザイナー志望がいなければ、売るための教育に専念すればいい。
そうした基本的な教育を学校ができないというなら、アドヴェンチャーグループのように業界がもっとやるべきだろう。かつてリクルートの求人広告に「服が好きですか。ハイ、売るほど好きです」というコピーがあった。業界が厳しくなっている今こそ、原点に帰って「糸へんが好き」という若者を育てなければならないと思う。
2008年、福岡県が福岡アジアファッション拠点推進会議の発足時に発表した数字に、「福岡には専門学校は18校、大学・短大6校から毎年約800人の卒業生を輩出」とあった。これは行政の担当者が事業予算確保のため、業界予備軍が多いと言いたかったのだろうが、その舌の根のかわかないうちに「九州ファッション専門学校」が閉校した。理由は経営者の体調不良(のちに死去)との報道もあったが、学生確保の厳しさがあったのは言うまでもない。
また、05年に開校した有名校も来年3月で福岡から撤退する。天神と博多駅の中間に位置し、派手なビジュアル演出と業界人を招いての体験イベント、学務スタッフの熱心な勧誘活動もあった。しかし、プロの仕事に対する意識付けの低さ、就職活動への啓蒙不足から、業界や学生の信頼を得るのは難しかったようだ。
既存校の間でも生き残るには、若者人気が高いスタイリストやプレス、バイヤー志望にカリキュラムを変更せざるを得ず、「アタッシュ・ドゥ・プレス」「ファッションエディター」「ショッププランニング」「ファッションディレクター」なんて、名前だけカッコいい授業を設けるところもある。
さらに学生のファッション離れから、ネイルやヘアメイクを合体させて何とか学科を存続させるところも少なくない。あるいは元来、グラフィックデザインがメーンで、ファッションは添えもの程度の学校も、そのグラフィックさえ厳しくなったためゲームやWeb、パフォーマンス(タレント養成)にシフトしている。
しかし、何のかんの言っても、ファッション業界が新卒を採用する時、企画職以外はほとんどが「販売職」。だから、接客やマナーアップ、コーディネート術、ディスプレイ、ストアコンパリゾン(企業リサーチ)、クレーム処理などの授業に取り組み、まずは第一関門の面接試験に合格しないと業界には入れない。なのにそうした教育がなおざりにされている嫌いがある。
そもそも、スタイリストがファッション業界の仕事か、ということから学生は誤解している。メーカーやショップから商品を借りることはあっても、仕事は雑誌なら出版社の編集者やカメラマン、CMなら広告代理店のディレクター、タレント直は事務所関係者などと行なう。つまり、実際に働くのは「メディアの世界」で、当然、ギャラもそこから支払われる。
服飾のディテールやトレンド用語の知識が全く必要ないとは言わないが、小物含めて商品や小道具の入手ルートから雑誌制作のフロー、グラフィックや写真撮影などの知識、現場での臨機応変な対応(裾のまつりやサイズ調整)などまで、習得しておかなければ、使いものにならないのだ。
プレスにしても然り。商品を貸し出し、雑誌やCM等に露出する。返却後は検品し、タグを付け、プレスルームで保管。掲載された媒体はチェックし、問い合わせに対応する。ただ、そんな程度の認識なら単なる“貸し出しのお姉さん”に過ぎない。
限られた予算の中で、いかに効率の良い販促企画やメディア戦略を考えるか。それはキャンペーンか、純広告か、編集タイアップか、インスタレーションか、コレクションショーか。あるいは投資家向け、一般向けのディスクローズとは何か。そうした活動の中でネームバリュや信頼度、ブランド価値を高めていくのがプレスの本当の仕事なのだ。
あるDCブランドメーカーのプレス採用試験で、こんな論文問題が出された。テーマは「記事と広告の違いを書きなさい」。 筆者はこれを見て目から鱗が出た。 まさに的を射た問題である。
おそらく、この答えが導き出せるのは、雑誌の編集者やコピーライター経験者だろう。つまり、メーカー側は即戦力としてのプレスにそうした能力を求めているのであり、それはファッション専門学校の卒業生レベルでは、あまりに高いハードルと言わざるを得ない。 もっとも、アタッシュ・ドゥ・プレスの授業なら学習して然るべき内容なのだが、実際に行なわれているかどうかは疑わしい。
ファッション業界は、「1枚の布を使って服を作り、それを売る」。しかし、そのプロセスには様々な技術や能力が必要で、それを身につけるには地道な勉強が不可欠。最近はビジネス革新が激しくなっているが、人が流行を追って服を着る限り、ファッションの仕事はなくならない。だから、専門教育も原点に帰ることだ。デザイナー志望がいなければ、売るための教育に専念すればいい。
そうした基本的な教育を学校ができないというなら、アドヴェンチャーグループのように業界がもっとやるべきだろう。かつてリクルートの求人広告に「服が好きですか。ハイ、売るほど好きです」というコピーがあった。業界が厳しくなっている今こそ、原点に帰って「糸へんが好き」という若者を育てなければならないと思う。