「2015年6月で三陽商会とバーバリーとのライセンス契約は終了される」。 先日、一般紙や経済紙までが大きく取り上げたニュースだ。海外ブランドとのライセンス契約終了はよくあるケースだから、業界人にとっては別に珍しくも何ともない。
相手は世界市場の攻略を狙う海外ブランド。しかも、ロイヤルティを守りつつ、効率的にグローバル戦略を押し進めている。いくらアジアの中心マーケットで、生産ノウハウをもつ日本のアパレルメーカーと言えど、一取引先に過ぎない。
契約なんて自社の利益のためなら、簡単に反古にするということである。図らずも日本市場だけを相手にしてきたアパレルのノー天気さを露呈させた格好だ。ただ、ある程度、予測はできたことだから、一方的に理不尽だと断じることはできない。
業界にははるかに露骨なケースがあるからだ。海外ブランドがいつ頃から日本に入ってきたのか。60年代に「ブティック」という中高年の女性を対象とする高級婦人服専門店が直接海外に出向き、生地やプレタポルテを買い付けたのが始まりだと思う。
当時、1ドルは360円で、為替の持ち出し額も制限されていた。だから、専門店のバイヤーの中には、「闇ドルをこっそり隠し持っていった」ものも少なくなかった。
こうしてイタリアから仕入れた生地で注文服を受けたり、フランスの卓越したデザインと高いクオリティの既成服を販売し、ミセス層を少しずつ顧客化にしていった。ジバンシーやランバン、ニナリッチ。フェンディやミッソーニ、ミラショーンなどだ。
こうして海外ブランドは、70年代にイタリアのアルマーニやベルサーチが上陸。さらに80年代にはヤングにも飛び火し、フランスのアニエスb.の登場につながった。
仕入れのスタイルは現地の展示会でサンプルを見て、自店のお客にあったアイテムを少しずつ買い付けるもの。ブランドも側も規模がそれほど大きくなければ、そうした小口の取引先を優遇してくれたのである。
ところが、ブランドがメジャーになると、メーカーはちまちました取引より、大量に買い付けてくれるところと取引したくなる。そう、「商社」のお出ましである。そして、さらに成長したブランドは、日本法人を設立して、直販に乗り出したのだ。
いわゆる「ジャパン社」の登場である。専門店は同じブランドを売りたければ、ブランド側から商社経由の取引を指定された。となると、間に二次卸が介在することになり、同じ価格で販売すると、荒利益は圧迫されるというわけだ。
こうしてメジャーとなったブランドは、百貨店に直営店が並ぶようになった。そうした光景を見せられ、「せっかく、うちが育てたブランドなのに。売れるようになると、商社と百貨店が根こそぎ持っていく」と、嘆く専門店経営者は少なくなかった。
専門店側も新たなブランドを開拓するなどの手は打ったものの、既存ブランドについた顧客を呼び戻すまでの力は、簡単につかない。その時、海外ブランドとの取引の「理不尽さ」を思い知らされる。ブランド頼みの商売は、いずれこうなる運命ということを。
ただ、ことはそれだけで終わらない。先日、懇意にするフランスの「卸」の担当者がある「一件」について話してくれた。この卸は自国はもとより、イタリア、スペインなどのアパレルの商品を開拓し、ニューヨークやミラノ、アムステルダムなどのセレクトショップに卸している。
ユーロテイストのレディスが主体で、価格も値ごろだ。そのため、どの国のセレクトショップとも結構、売れている。しかし、某優良取引先から大量に返品を受けたという。理由は商品にあった「汚れ」や「疵」。中には「針」が混入していた例もあったとか。
卸側は「メーカーの生産管理のもとで、商品をチェックして輸出している」のに、なぜなのか。しかも「他の取引先では何のクレームもない」。明らかに腑に落ちないという。もちろん、取引先ショップのお客さんがケガをしたわけでもない。
ただ、心当たりが無くはなかった。この取引先は、セレクトショップとしての知名度が高まり、急速にSPA化を進めていたのである。バイヤーレベルではこの卸が提案する商品を気に入ってくれたが、はたして経営トップはどうだったのか。
また、SPA化ではODMなど商品調達で「商社」が噛んでいるのは言うまでもない。店側も多店舗化を進める上では、商社の手を借りなければ商品確保はままならない。もちろん、商社側はトータルでMDに介在した方が売上げも効率もいい。
当然、小規模な納入業者を排除する思惑があっても不思議ではない。その行動が商品にわざと「汚れ」「疵」を生じさせ、はては「針」を混入させたのかもしれないのである。真っ当な取引をしてきた卸にとっては、全く理不尽な仕打ちである。
卸の担当者は「ennuie」と言っていたので、おそらく「嫌がらせ」だと気づいているようだ。取引先にはきちんと追跡調査を行い、報告書を提出したという。でも、ショップ側からは「お客さんのクレームが怖い」と、再納品が許されることはなかったそうだ。
何の証拠も無いから、法的に訴えるのは厳しい。卸より小売りの方が規模が大きいから、このまま泣き寝入りするしかないようだ。こんな時に「ビジネスに完璧なことはない」というフランス人の意識も影を落とす。でも、今回、それを言われるのは筋違いだ。
グローバルビジネスはいろんな相手と取引しなければならない。自国の価値観が通用しないというのは、三陽商会とバーバリーの一件を見ればわかる。ただ、世界中のどの民族も決して完璧ではないのだから、その分を割り引いて考えなければならないのだ。
洋の東西を問わずアパレル流通の現場で、「理不尽なこと」は日常茶飯事で起きている。その中で、生き残っていくには、どこまで堪えられ、前向きに考えきれるか。並行してリスクヘッジも考えておかなければならないということだ。
卸の担当者は起きたことはしょうがないから、「Recherche d'autres comptes.」と気持ちを切り替えていた。でも、自分ならどこまでの平常心でいられるだろうかと、つくづく考えてしまった。
相手は世界市場の攻略を狙う海外ブランド。しかも、ロイヤルティを守りつつ、効率的にグローバル戦略を押し進めている。いくらアジアの中心マーケットで、生産ノウハウをもつ日本のアパレルメーカーと言えど、一取引先に過ぎない。
契約なんて自社の利益のためなら、簡単に反古にするということである。図らずも日本市場だけを相手にしてきたアパレルのノー天気さを露呈させた格好だ。ただ、ある程度、予測はできたことだから、一方的に理不尽だと断じることはできない。
業界にははるかに露骨なケースがあるからだ。海外ブランドがいつ頃から日本に入ってきたのか。60年代に「ブティック」という中高年の女性を対象とする高級婦人服専門店が直接海外に出向き、生地やプレタポルテを買い付けたのが始まりだと思う。
当時、1ドルは360円で、為替の持ち出し額も制限されていた。だから、専門店のバイヤーの中には、「闇ドルをこっそり隠し持っていった」ものも少なくなかった。
こうしてイタリアから仕入れた生地で注文服を受けたり、フランスの卓越したデザインと高いクオリティの既成服を販売し、ミセス層を少しずつ顧客化にしていった。ジバンシーやランバン、ニナリッチ。フェンディやミッソーニ、ミラショーンなどだ。
こうして海外ブランドは、70年代にイタリアのアルマーニやベルサーチが上陸。さらに80年代にはヤングにも飛び火し、フランスのアニエスb.の登場につながった。
仕入れのスタイルは現地の展示会でサンプルを見て、自店のお客にあったアイテムを少しずつ買い付けるもの。ブランドも側も規模がそれほど大きくなければ、そうした小口の取引先を優遇してくれたのである。
ところが、ブランドがメジャーになると、メーカーはちまちました取引より、大量に買い付けてくれるところと取引したくなる。そう、「商社」のお出ましである。そして、さらに成長したブランドは、日本法人を設立して、直販に乗り出したのだ。
いわゆる「ジャパン社」の登場である。専門店は同じブランドを売りたければ、ブランド側から商社経由の取引を指定された。となると、間に二次卸が介在することになり、同じ価格で販売すると、荒利益は圧迫されるというわけだ。
こうしてメジャーとなったブランドは、百貨店に直営店が並ぶようになった。そうした光景を見せられ、「せっかく、うちが育てたブランドなのに。売れるようになると、商社と百貨店が根こそぎ持っていく」と、嘆く専門店経営者は少なくなかった。
専門店側も新たなブランドを開拓するなどの手は打ったものの、既存ブランドについた顧客を呼び戻すまでの力は、簡単につかない。その時、海外ブランドとの取引の「理不尽さ」を思い知らされる。ブランド頼みの商売は、いずれこうなる運命ということを。
ただ、ことはそれだけで終わらない。先日、懇意にするフランスの「卸」の担当者がある「一件」について話してくれた。この卸は自国はもとより、イタリア、スペインなどのアパレルの商品を開拓し、ニューヨークやミラノ、アムステルダムなどのセレクトショップに卸している。
ユーロテイストのレディスが主体で、価格も値ごろだ。そのため、どの国のセレクトショップとも結構、売れている。しかし、某優良取引先から大量に返品を受けたという。理由は商品にあった「汚れ」や「疵」。中には「針」が混入していた例もあったとか。
卸側は「メーカーの生産管理のもとで、商品をチェックして輸出している」のに、なぜなのか。しかも「他の取引先では何のクレームもない」。明らかに腑に落ちないという。もちろん、取引先ショップのお客さんがケガをしたわけでもない。
ただ、心当たりが無くはなかった。この取引先は、セレクトショップとしての知名度が高まり、急速にSPA化を進めていたのである。バイヤーレベルではこの卸が提案する商品を気に入ってくれたが、はたして経営トップはどうだったのか。
また、SPA化ではODMなど商品調達で「商社」が噛んでいるのは言うまでもない。店側も多店舗化を進める上では、商社の手を借りなければ商品確保はままならない。もちろん、商社側はトータルでMDに介在した方が売上げも効率もいい。
当然、小規模な納入業者を排除する思惑があっても不思議ではない。その行動が商品にわざと「汚れ」「疵」を生じさせ、はては「針」を混入させたのかもしれないのである。真っ当な取引をしてきた卸にとっては、全く理不尽な仕打ちである。
卸の担当者は「ennuie」と言っていたので、おそらく「嫌がらせ」だと気づいているようだ。取引先にはきちんと追跡調査を行い、報告書を提出したという。でも、ショップ側からは「お客さんのクレームが怖い」と、再納品が許されることはなかったそうだ。
何の証拠も無いから、法的に訴えるのは厳しい。卸より小売りの方が規模が大きいから、このまま泣き寝入りするしかないようだ。こんな時に「ビジネスに完璧なことはない」というフランス人の意識も影を落とす。でも、今回、それを言われるのは筋違いだ。
グローバルビジネスはいろんな相手と取引しなければならない。自国の価値観が通用しないというのは、三陽商会とバーバリーの一件を見ればわかる。ただ、世界中のどの民族も決して完璧ではないのだから、その分を割り引いて考えなければならないのだ。
洋の東西を問わずアパレル流通の現場で、「理不尽なこと」は日常茶飯事で起きている。その中で、生き残っていくには、どこまで堪えられ、前向きに考えきれるか。並行してリスクヘッジも考えておかなければならないということだ。
卸の担当者は起きたことはしょうがないから、「Recherche d'autres comptes.」と気持ちを切り替えていた。でも、自分ならどこまでの平常心でいられるだろうかと、つくづく考えてしまった。