先日、トヨタ自動車が米国ラスベガスで開催された世界最大規模のエレクトロニクス見本市(CEO 2020)で、静岡県にある自社工場跡地に「ウーブンシティ(Woven City)」と呼ばれる実験都市を開発するプロジェクトを発表した。https://toyotatimes.jp/insidetoyota/047.html?padid=from_t-times_top_new_insidetoyota047_190101
ウーブンとは織る、組み立てる、考案するを意味するweave(英)の過去分詞で、直訳すれば「組み立てられた街」。実験ではロボットやAI、自動運転、MaaS(モビリティ・アズ・サービス/マイカー以外の交通手段をICTでつなぐ仕組み)、パーソナルモビリティ(次世代自動車)、スマートホームといった先端技術を人々の生活を通して検証していく。
場所は2020年末に閉鎖する同社東富士工場(静岡県裾野市)敷地の東京ドーム約15個分、約70.8万㎡。着工開始は2021年の予定で、初期には自社従業員や関係者など2,000名程度の入居を予定し、将来的には一般入居者も募集するという。
実験では網の目のように織り込まれた「道路」が舞台となる。一つは、速度が速い車両専用の道路。電動化やコネクティッドカーを活用した「e-Palette」など、完全自動運転かつ二酸化炭素や窒素酸化物などを排出しないモビリティのみが走行する。二つ目は、歩行者とスピードが遅いパーソナルモビリティが共存する道路。そして、三つ目が公園内にあるような歩行者専用道路になる。
この3つの道が人の身体を通る血管のように交通や物流において重要な役割を担う。また、SDGs(持続可能な開発目標)にも注力し、建物はカーボンニュートラルな木材で建設、屋根には太陽光発電パネルを設置するなど、環境との調和にも配慮する。住民は室内用ロボットなどの新技術を体験する他、センサーのデータを活用するAIで健康状態をチェックする。街の中心や各ブロックには、住民同士のコミュニティ形成やその他様々な活動をサポートする公園や広場も整備される。
まさに、これまでのモーターショーで公開されてきたコンセプトカーや万国博覧会で必ず見かける未来都市が現実のものとなり、直に体験、体感できるのだ。そして、それが人々の生活にどう影響し、暮らしをどう変えていくか。様々なデータがとられて、未来の暮らしとはどんなものなのか、具体的なプロトタイプが示されるのである。
プロジェクトを主導するトヨタ自動車では、様々なパートナー企業や研究者と連携する。技術やサービスの開発・実証を繰り返し、人々の暮らしを支えるモノやサービスがICTで繋がることで生まれる、新たな価値やビジネスモデルを見出してくという。実験データをもとにウーブンシティを人口減少が続く地方都市に生かせば、再び人口の流入が始まり、地域再生の糸口が掴めるのかもしれない。マイカーがないと生活できないという価値観が変わり、高齢ドライバーの暴走事故を防ぐ手段にもなると思う。
では、 ウーブンシティへのアパレルの関わりはどんなものか。あるとすれば、先端技術をもつ衣服「ウェアブル」だろうか。例えば、小さな子供は道路の真ん中で発作によって倒れ、不慮の事故に遭遇するかもしれない。そのような時にウェアブル技術を生かせば、体調の変化を家庭や走行中の車が未然に検知し、事故を防ぐことができる。
さらに身につけたウェアブル端末で高精度の生体情報を得られれば、企業が従業員の体調管理(実験ではセンサーのデータを活用するAIで健康状態をチェック)を行うことも可能だ。ウェアブルはモビリティやスマートホーム、インテリジェントオフィスとは親和性は高く、実証実験がウーブンシティで行われる可能性は十分にある。
車と衣服の需要は反比例?
ただ、個人的には次世代の自動車や住宅、オフィスとアパレルとの関係については、悲観的である。すでにITがビジネス社会の浸透し、仕事のやり方は大きく変わった。テレワークなどで外出や対面せずに仕事をこなせるようになり、オフィスではカジュアル化が一気に浸透。それがスーツ需要を激減させた一因でもある。
ウーブンシティのイメージビデオに登場する人間もスーツや重衣料は着ていない。スマートホームでの仕事が増えると、オフィスへの通勤が減り、オフィシャルウェアの需要は減っていく。外出するにしてもモビリティは自宅やオフィスビルに格納されることも考えられるので、そのまま乗り込めば目的地に行けるだろう。電車などを利用した長時間の通勤がなくなれば、アウターは要らなくなる。散歩やレジャー、旅行など外出がなくなるわけではないがオケージョンが変われば、必要とされないアイテムやスタイリングも出てくる。
もっとも、こうしたケースは以前からあった。単純に考えて、車とファッションは利用者の嗜好や感覚、行動パターンで取捨選択される。そのため、需要の相関関係は反比例しがちだ。車にお金をかける層は、ファッションにはあまり関心がない。また、環境的に地方では車で移動する分、コートを着なくて済む。穿った言い方をすれば、ジャージを着てベンツに乗るお方もいる。すべてがそうとは言い切れないが、どちらかへの投資は減ってくる。収入が限られる若者ではなおさらだ。
昨今は若者の車離れが激しい一方、衣料品の低価格化でファッションへの関心も薄れている。一方で、改造車の展示イベント「東京オートサロン」は、今年の入場者数が3日間で33万6000人と過去最高を更新。また、アニメとゲームの市場規模は、経済産業省の調べでは3兆円(2017年度)にも及ぶ。つまり、その人の嗜好によって、投資するモノやコトの違いが際立っているのだ。そこで、トヨタは自動車メーカーとして、若者の車離れの中でどう市場を確保するか。それには街づくりの中で次世代の移動手段やコネクテッドからアプローチしていくしなかいと、考え始めたのだろう。
まあ、車とファッションとの関係をライフスタイルから振り返ると、米国西海岸のテイストが流行した70年代後半には、「丘サーファー」なるものが出現していた。レアもののアロハシャツを着てVWビートルなんかにサーフボードを乗せて街中を走り回るが、実際には波乗りはしない連中を揶揄したものだ。それ以外ではF1などのレースチームのユニフォームやシューズ、バイク好きの革ジャンスタイル、アメ車マニアのオールディーズファッションくらいか。クラシックカーレースに出場するドライバーの懐古ファッションは、異例だろう。
自動車用品のオートバックスセブンは、オーストラリア人と日本人のカップルが愛する「Café×Nature×Car life」をコンセプトにした新業態「JACK&MARIE」を開発した。西オーストラリアにあるサーファーの聖地を舞台にしたアウトドア&カーライフをベースにアパレルや雑貨を販売するものだが、背景にはファッション同様に車に対する価値観が変わったことがある。地方ではマイカーが生活の足として求められる反面、都会では若者を中心に車を持たない層が増えていることへの危機感からだ。しかし、狙い通りに行くかはわからない。
AIやICTによってコントロールされる新しい街が住みよさや働きやすさ、快適性をもたらせば、人々の行動範囲はより限定的となり本来、自然や四季と対峙して身体を保護し、体調を維持する衣服の役割も大きく変わっていく。かつてはそれがファッションスタイルを生み出したのだが、そうした文化的な価値さえ注目されなくなるのではないか。
人間は外出したい動物
ニューヨークにいた90年代半ば、現地で外食チェーンを展開する経営者と話す機会があった。その方曰く、「人間は外出したい動物なんだ」「人間が外出する限り、外食ビジネスがなくなることはないよ」。それまでレストランや料理の撮影は何度も行ったが、そんなことを言う経営者は一人も居らず、まさに金言だった。ちょうど、日本の「オタク」文化が米国にも伝播していた頃で、そうした風潮が外食にもたらす影響を意識しての発言だったのかもしれない。それにしても、ニューヨークには3万軒を超える飲食店があり、新陳代謝を繰り替えながらも絶対数が維持されることを考えると、頷ける話だった。
あれから四半世紀。生活の基本である「衣」「食」「住」のビジネスは凄まじい変化を遂げた。特に衣は市場の縮小に歯止めがかからない。トヨタ自動車が進める新しい街で人々の行動範囲が限定的となれば、外出のパターンは大きく変わるだろうし、アウターを着る機会も確実に少なくなる。それでなくても暖冬で重衣料が売れなくなっている。颯爽とコートをなびかせて、冬の街を闊歩するというスタイルは、無くなってしまうのかもしれない。
産業革命以降、英国には工場が建ち並び、煙突から出る煙はスモッグとなって、ロンドンの街は霞んだ。だが、英国人はそれを詩的に解釈し「霧の都」と呼んだ。そこでは外套を着て帽子を被り、ステッキをもつ英国紳士のスタイルが実に絵になった。得てして環境の変化がファッション文化にもたらす影響は、多大との証しでもある。ただ、皮肉にもこれからは先端技術による環境変化で「粋なスタイル」さえ、奪っていくおそれもある。
時代が変わるのだから仕方ないと言っても、アパレルに携わってきた人間としては、やはり寂しい。人間が外出したいのは間違いないと思うし、人間は動物の中で唯一お洒落ができる存在だ。時代の変化、先端技術の定着は否定しないが、お洒落できる環境を残す意味でも、適度に抗いながら、生きていこうと考える。
そして、これからもマイカーには頼らず歩いて事足りる都会暮らしを続ける考えだ。幸い、筆者が暮らす「福岡市中央区」は昨年、大東建託が全国1896自治体に住む18万4193人を対象にした満足度調査で、「第1位」となった。https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/18/news123.htmlニューヨークから戻り24年目に入ったが、支店都市の性格から人の出入りは激しいものの、生活に必要なものがすべてコンパクトにまとまっている。ヒューマンスケールというか、ウォーキングタウンというか、一度住めばそれだけ暮らしやすいと感じる証左だろう。だから、これ以上、人為的な街づくりは必要としない。
これから高齢になるに従って、自分の行動パターンや範囲がどうなるのか。仕事はともかく、買い物ではドローンによる宅配が可能になる日もそう遠くはないだろう。ただ、歳をとってもリアル店舗で直に物を見て買い物する方を選択したい。なぜなら、自分は外出したいからだ。リタイアすれば、またパリやニューヨークにも行けるだろうし。 これからも着歩くお洒落を楽しもうと思う。
ウーブンとは織る、組み立てる、考案するを意味するweave(英)の過去分詞で、直訳すれば「組み立てられた街」。実験ではロボットやAI、自動運転、MaaS(モビリティ・アズ・サービス/マイカー以外の交通手段をICTでつなぐ仕組み)、パーソナルモビリティ(次世代自動車)、スマートホームといった先端技術を人々の生活を通して検証していく。
場所は2020年末に閉鎖する同社東富士工場(静岡県裾野市)敷地の東京ドーム約15個分、約70.8万㎡。着工開始は2021年の予定で、初期には自社従業員や関係者など2,000名程度の入居を予定し、将来的には一般入居者も募集するという。
実験では網の目のように織り込まれた「道路」が舞台となる。一つは、速度が速い車両専用の道路。電動化やコネクティッドカーを活用した「e-Palette」など、完全自動運転かつ二酸化炭素や窒素酸化物などを排出しないモビリティのみが走行する。二つ目は、歩行者とスピードが遅いパーソナルモビリティが共存する道路。そして、三つ目が公園内にあるような歩行者専用道路になる。
この3つの道が人の身体を通る血管のように交通や物流において重要な役割を担う。また、SDGs(持続可能な開発目標)にも注力し、建物はカーボンニュートラルな木材で建設、屋根には太陽光発電パネルを設置するなど、環境との調和にも配慮する。住民は室内用ロボットなどの新技術を体験する他、センサーのデータを活用するAIで健康状態をチェックする。街の中心や各ブロックには、住民同士のコミュニティ形成やその他様々な活動をサポートする公園や広場も整備される。
まさに、これまでのモーターショーで公開されてきたコンセプトカーや万国博覧会で必ず見かける未来都市が現実のものとなり、直に体験、体感できるのだ。そして、それが人々の生活にどう影響し、暮らしをどう変えていくか。様々なデータがとられて、未来の暮らしとはどんなものなのか、具体的なプロトタイプが示されるのである。
プロジェクトを主導するトヨタ自動車では、様々なパートナー企業や研究者と連携する。技術やサービスの開発・実証を繰り返し、人々の暮らしを支えるモノやサービスがICTで繋がることで生まれる、新たな価値やビジネスモデルを見出してくという。実験データをもとにウーブンシティを人口減少が続く地方都市に生かせば、再び人口の流入が始まり、地域再生の糸口が掴めるのかもしれない。マイカーがないと生活できないという価値観が変わり、高齢ドライバーの暴走事故を防ぐ手段にもなると思う。
では、 ウーブンシティへのアパレルの関わりはどんなものか。あるとすれば、先端技術をもつ衣服「ウェアブル」だろうか。例えば、小さな子供は道路の真ん中で発作によって倒れ、不慮の事故に遭遇するかもしれない。そのような時にウェアブル技術を生かせば、体調の変化を家庭や走行中の車が未然に検知し、事故を防ぐことができる。
さらに身につけたウェアブル端末で高精度の生体情報を得られれば、企業が従業員の体調管理(実験ではセンサーのデータを活用するAIで健康状態をチェック)を行うことも可能だ。ウェアブルはモビリティやスマートホーム、インテリジェントオフィスとは親和性は高く、実証実験がウーブンシティで行われる可能性は十分にある。
車と衣服の需要は反比例?
ただ、個人的には次世代の自動車や住宅、オフィスとアパレルとの関係については、悲観的である。すでにITがビジネス社会の浸透し、仕事のやり方は大きく変わった。テレワークなどで外出や対面せずに仕事をこなせるようになり、オフィスではカジュアル化が一気に浸透。それがスーツ需要を激減させた一因でもある。
ウーブンシティのイメージビデオに登場する人間もスーツや重衣料は着ていない。スマートホームでの仕事が増えると、オフィスへの通勤が減り、オフィシャルウェアの需要は減っていく。外出するにしてもモビリティは自宅やオフィスビルに格納されることも考えられるので、そのまま乗り込めば目的地に行けるだろう。電車などを利用した長時間の通勤がなくなれば、アウターは要らなくなる。散歩やレジャー、旅行など外出がなくなるわけではないがオケージョンが変われば、必要とされないアイテムやスタイリングも出てくる。
もっとも、こうしたケースは以前からあった。単純に考えて、車とファッションは利用者の嗜好や感覚、行動パターンで取捨選択される。そのため、需要の相関関係は反比例しがちだ。車にお金をかける層は、ファッションにはあまり関心がない。また、環境的に地方では車で移動する分、コートを着なくて済む。穿った言い方をすれば、ジャージを着てベンツに乗るお方もいる。すべてがそうとは言い切れないが、どちらかへの投資は減ってくる。収入が限られる若者ではなおさらだ。
昨今は若者の車離れが激しい一方、衣料品の低価格化でファッションへの関心も薄れている。一方で、改造車の展示イベント「東京オートサロン」は、今年の入場者数が3日間で33万6000人と過去最高を更新。また、アニメとゲームの市場規模は、経済産業省の調べでは3兆円(2017年度)にも及ぶ。つまり、その人の嗜好によって、投資するモノやコトの違いが際立っているのだ。そこで、トヨタは自動車メーカーとして、若者の車離れの中でどう市場を確保するか。それには街づくりの中で次世代の移動手段やコネクテッドからアプローチしていくしなかいと、考え始めたのだろう。
まあ、車とファッションとの関係をライフスタイルから振り返ると、米国西海岸のテイストが流行した70年代後半には、「丘サーファー」なるものが出現していた。レアもののアロハシャツを着てVWビートルなんかにサーフボードを乗せて街中を走り回るが、実際には波乗りはしない連中を揶揄したものだ。それ以外ではF1などのレースチームのユニフォームやシューズ、バイク好きの革ジャンスタイル、アメ車マニアのオールディーズファッションくらいか。クラシックカーレースに出場するドライバーの懐古ファッションは、異例だろう。
自動車用品のオートバックスセブンは、オーストラリア人と日本人のカップルが愛する「Café×Nature×Car life」をコンセプトにした新業態「JACK&MARIE」を開発した。西オーストラリアにあるサーファーの聖地を舞台にしたアウトドア&カーライフをベースにアパレルや雑貨を販売するものだが、背景にはファッション同様に車に対する価値観が変わったことがある。地方ではマイカーが生活の足として求められる反面、都会では若者を中心に車を持たない層が増えていることへの危機感からだ。しかし、狙い通りに行くかはわからない。
AIやICTによってコントロールされる新しい街が住みよさや働きやすさ、快適性をもたらせば、人々の行動範囲はより限定的となり本来、自然や四季と対峙して身体を保護し、体調を維持する衣服の役割も大きく変わっていく。かつてはそれがファッションスタイルを生み出したのだが、そうした文化的な価値さえ注目されなくなるのではないか。
人間は外出したい動物
ニューヨークにいた90年代半ば、現地で外食チェーンを展開する経営者と話す機会があった。その方曰く、「人間は外出したい動物なんだ」「人間が外出する限り、外食ビジネスがなくなることはないよ」。それまでレストランや料理の撮影は何度も行ったが、そんなことを言う経営者は一人も居らず、まさに金言だった。ちょうど、日本の「オタク」文化が米国にも伝播していた頃で、そうした風潮が外食にもたらす影響を意識しての発言だったのかもしれない。それにしても、ニューヨークには3万軒を超える飲食店があり、新陳代謝を繰り替えながらも絶対数が維持されることを考えると、頷ける話だった。
あれから四半世紀。生活の基本である「衣」「食」「住」のビジネスは凄まじい変化を遂げた。特に衣は市場の縮小に歯止めがかからない。トヨタ自動車が進める新しい街で人々の行動範囲が限定的となれば、外出のパターンは大きく変わるだろうし、アウターを着る機会も確実に少なくなる。それでなくても暖冬で重衣料が売れなくなっている。颯爽とコートをなびかせて、冬の街を闊歩するというスタイルは、無くなってしまうのかもしれない。
産業革命以降、英国には工場が建ち並び、煙突から出る煙はスモッグとなって、ロンドンの街は霞んだ。だが、英国人はそれを詩的に解釈し「霧の都」と呼んだ。そこでは外套を着て帽子を被り、ステッキをもつ英国紳士のスタイルが実に絵になった。得てして環境の変化がファッション文化にもたらす影響は、多大との証しでもある。ただ、皮肉にもこれからは先端技術による環境変化で「粋なスタイル」さえ、奪っていくおそれもある。
時代が変わるのだから仕方ないと言っても、アパレルに携わってきた人間としては、やはり寂しい。人間が外出したいのは間違いないと思うし、人間は動物の中で唯一お洒落ができる存在だ。時代の変化、先端技術の定着は否定しないが、お洒落できる環境を残す意味でも、適度に抗いながら、生きていこうと考える。
そして、これからもマイカーには頼らず歩いて事足りる都会暮らしを続ける考えだ。幸い、筆者が暮らす「福岡市中央区」は昨年、大東建託が全国1896自治体に住む18万4193人を対象にした満足度調査で、「第1位」となった。https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/18/news123.htmlニューヨークから戻り24年目に入ったが、支店都市の性格から人の出入りは激しいものの、生活に必要なものがすべてコンパクトにまとまっている。ヒューマンスケールというか、ウォーキングタウンというか、一度住めばそれだけ暮らしやすいと感じる証左だろう。だから、これ以上、人為的な街づくりは必要としない。
これから高齢になるに従って、自分の行動パターンや範囲がどうなるのか。仕事はともかく、買い物ではドローンによる宅配が可能になる日もそう遠くはないだろう。ただ、歳をとってもリアル店舗で直に物を見て買い物する方を選択したい。なぜなら、自分は外出したいからだ。リタイアすれば、またパリやニューヨークにも行けるだろうし。 これからも着歩くお洒落を楽しもうと思う。