INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(35)

2010年06月09日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市東区の「香椎小学校前」バス停。
「貸衣装学校前」ではない。

以前に比べて、この付近の道路もかなり広くなっており、西鉄香椎駅や国道3号方面とのアクセスも良くなっている。

バス停の行先案内には、「2番 青柳経由古賀駅、青柳四角こもの」が健在(?)である。

22番 こもの線」が福岡都心部に来なくなり、「香椎浜営業所」までの運行となったときに、ローカル線の「2番」となった。
「22番」のうちの「立花口系統」は、「135番」(佐屋~養護学校前)に衣替えし、現在は「マリンクス」の「山らいず線」に引き継がれている。
その後「2番」は、下原経由から産業大学南口経由に変更となり(この時点で、「香椎小学校前」は通らなくなった)、福岡市側の起点も「西鉄香椎」になり、一日数本の状態でかなり細々と運行を継続していたが、2009年4月1日、ついに終焉を迎えている。

かつてはここから、古賀市郊外の「こもの」まで行けていたという事実に対し、とても愛しいというか切ないというか甘酸っぱいというか、不思議な感覚を抱いてしまう。

現在このバス停から出るバスは、ほぼ全便が5つ先の「下原」で終点となるのだが(以前「香椎第三中行き」を妄想してみたこともあったが、今のところ実現には至らず)、深夜バスが一本だけ、かつての「22番」や「2番」と同じく「下原」から先へ向かう。
深夜バスは、下原の先で国道3号に合流し、平山から高美台大蔵夜臼を経由し(この区間は「新宮急行」と同じルート)、新宮緑ケ浜(新宮営業所)で終点となる(新宮営業所開設前は、大蔵から「230番」のルートで、行先案内にも出てくる「和白営業所」まで)。

下原~新宮営業所間には、「回送」のバスが結構走っているので、「46番」の「井尻六ツ角~雑餉隈営業所間」のように、近頃の流行(?)に乗って、回送区間を営業化してくれたら個人的には嬉しいのだが…。
(つづく)

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3 コメント

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Unknown (青葉台神宮駅)
2010-06-09 00:43:53
「22番」が都心まで行かずローカルになった当初は、香椎止まり(3号線上、アピロス前)で、番号もそのままだったような気もするのですが。曖昧な記憶なので、時系列がちがっているかも知れません。「2番」になったのは城浜香椎浜系統に番号を譲った時ではないかと。香椎浜行きや和白行きができたのは、ローカル化の時ではなくもう少し後ではなかったかと。
ここまでは少々記憶が曖昧ですが、香椎止めはアピロス前終点で、その後3号線をそのまま一バス停走って、女子大前のバスカットで待機して、その後、産大前バス停手前の交差点(香椎花園行きが分岐)でUターンして、始発になる香椎に回送していた姿は覚えています。行先表示も、ずっと昔、昭和40年代もしかしたら50年代の初めまでひらがなでなく、漢字で「薦野」と書かれてました。いつの間にかひらがなになっていて漢字の行先のほうがカッコよかったのにと思ってました。ちなみにこの小学校は母校です。私はバス通学はしてませんでしたが、下原、八尻方面から来てる子はバス通学でここで乗り降りしてました。今は新設校に校区が分かれてバスに乗ってくる子はかなり減ったのでは?
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Unknown (青葉台神宮駅)
2010-06-09 12:29:54
訂正です。香椎止まりだけでなく、香椎浜や和白行きの区間便が出来たのは都心行きが有ったころからでした。改番とローカル化の時期の関係はその頃の資料が見つからず「?」です。都心乗り入れやめたのは、自分的にはもっと昔のような気がしていましたが、平成になってからの様ですね。
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Unknown (soramame)
2010-06-09 12:34:00
青葉台神宮駅さん、こんにちは。

>「22番」が都心まで行かずローカルになった当初は、香椎止まり(3号線上、アピロス前)で、番号もそのままだったような気もするのですが。
>「2番」になったのは城浜香椎浜系統に番号を譲った時ではないかと。
>香椎浜行きや和白行きができたのは、ローカル化の時ではなくもう少し後ではなかったかと。

ありがとうございます。
私も思い込みで書いている部分が多々あるため、青葉台神宮駅さんの言われるのが正しいような気がしてきました。

135番の養護学校~佐屋ができたとき、朝に一本だけ和白営業所発(新宮駅前経由)佐屋行きというのがあって、当時のバス停の時刻表には、「22」と印字されていたような記憶もあり、そう考えると、「ローカル化」と「2番への改番」が同時ではなかったのかもしれません。

和白行き(こもの~香椎~和白)については、22番の時代に、天神(中央営業所)行きと併存していましたね。
そして、ローカル化以降は、和白行きというのはなかったような気がするのですがいかがでしょう…?
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