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路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信のブログ

「お茶の水の街にファックされた」

2022-09-07 13:05:31 | お茶の水博士と歩く楽器街
この前、お茶の水を徘徊した時、
イシバシのベテラン、白井さんから、
「こんなに楽器屋をまわる人はいない」的な
お言葉を頂戴した。

1984年。足利南高校を卒業して、
文京区の白山に住んでから、
基本、何の予定もなければ、
土日は、お茶の水の楽器店をパトロール(笑)
してきた。

「でも、どうして、こんなに
お茶の水に憑かれるのだろう」と考えた。

勿論、「お茶の水に沢山の楽器店が
集まり、面白い楽器がある」という
基本はあるが、
恐らく、東京住まいを始めた1984年に、
「何だ。この街は!!」と脳天を
ぶち抜かれる程の衝撃を受けたからでは
ないかと思う。

要素は、4つ。
1.「学生運動の立て看板」
2.「田舎には少ない強力なパンクス達が
大挙していた」
3.「エロ本の専門店。ビニ本ブーム」
 むしろ、一番、最後のインパクトが
「レア楽器の存在」ということに
なるのかもしれない。

お茶の水のメインストリートには、
明治大学がある。
しかし、現在のようにきれいに
建て替えられる前で、
古びた学舎の前には、
学生運動の朱書きされた巨大な
立て看板がいくつもあった。
これが、「お茶の水なんじゃこりぁ~」
の入口だ。

次は、大挙したパンクス。
日本のパンクバンド、アナーキーが、シングル、
『ノット・サティスファイド』、アルバム、
『アナーキー』でデビューがしたのが、1980年。
スターリンの結成も同じ年。
青柳さんが、お茶の水に出入りを
始めた1984年には、パンクの勢いがあり、
学生街であるお茶の水には、
髪を立ってた革ジャンのパンクスが
目立った。
日参したディスクユニオンの店内は狭く、
「ぶつかった」
「いや、ぶつからねぇ~」なんて言葉を交わして、
緊張しながらレコードを探しまわった
記憶がある。

そして、驚いたのは、
エロ本専門店の存在。
「若気の至り」の話なのだけれど、
栃木の足利時代、エロ本は隠れて買う
ものだった。それが、お茶の水、
そして、隣接する神保町のすずらん通り
などには、何と「エロ本専門店」があり、
よくよく見ると無修正のビニ本が
売られていた。

ビニ本は、1970年代後半から売り出され、
アダルトビデオが盛り上がる
1985年頃まで、ブームになった。

今では、紳士的に振る舞って、
ボランティア番組の顔になっている
アリスの谷村新司などは、
エロ本マニアとして雑誌で
発言をしていたっけ(笑)。

もちろん、無修正のエロ本は、
合法ではない。それが、おおぴらに
売られている街。それは、
「何だこりゃ~!!」だ(笑)。

そして、最後の最後に、
栃木県では、なかなかお目にかかる
ことのできない舶来ものの
フェンダーやギブソン、マーチンの
楽器がわんさかあり、
よくよくまわると「オールド」の
ギターも見ることができた
(当時は、ビンテージというより
「オールド」という呼称であった)。

もちろん、もうよい年なので、
エロ本専門店に行くようなことは、
卒業してしまった。

しかしながら、
この「何だこりゃ~!!」の衝撃波が、
今でも、続いている。だから、
お茶の水通いをやめることが
できないのかもしれない(笑)。

「シェケナ・ベイビー」の内田裕也さん
的な表現を使えば
「お茶の水の街にファックされた」
ということになるのだろう。

路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信


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