富山きのこクラブ

富山のきのこ情報・きのこ料理の情報が集まります。

モディリアーニ展

2008年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

朝から雨。
出張を延長して、妻と息子と乃木坂にある国立新美術館のモディリアーニ展を見てきた。
よく知っている絵が何枚かあって、とてもボリュームのある展示だった。久々に得した気分。ついでに観たエミリー・ウングワレー展は?????であった。
美術館に併設されているPAUL BOCUSEでランチを取って、満足して帰ってきた。
インターネットで調べると、明日は有峰林道の開通日だ…(^^;


クロフチシカタケ

2008年05月24日 | きのこ

富山きのこクラブの皆様へ
5月18日、氷見市柳田にある氷見海岸のチップの道で採集した写真のきのこを紹介します。(きのこは乾燥していた)
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1、傘の色は焦げ茶を帯びた濃いグレーで表皮は分厚く、条線はなく、粘性もない。
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2、柄の内部は中実で白い絹のような艶を持ち、根元は膨らんでいる。
3、ひだは、ごくごく薄い焦げ茶にピンクを帯びた白で、黒っぽい縁取りが見られる。
4、特徴のある辛い不快臭を持っている。

 このきのこは倒木(腐植)から生えており、ひだがややピンクを帯びているのでウラベニガサ科が考えられる。また柄の下部は膨らんでいるが、つぼが見られないことからウラベニガサ科でも、フクロタケ属ではなく、ウラベニガサ属のきのこであることがわかる。
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且つ、顕微鏡観察で、ひだに厚膜で頭がカギ型をした側シスチジアが見られることからウラベニガサ節に所属していると思われる(側シスチジアが薄膜でカギ状突起がない場合はウラベニガサ属ベニヒダタケ節)
さらに、縁シスチジアが有色のカラシ色であるため、ひだには焦げ茶っぽい縁取りがみられることからウラベニガサ(別名:シカタケ)(Pluteus atricapillus(Batsch)Fayod)ではない。 080520_004 
そして、傘表皮の菌糸にクランプが見られることからクロフチシカタケ (Pluteus tricuspidatus (Konrad) Kuhner) である事がわかった。

 このきのこは「北陸のきのこ図鑑」にも載っておらず、北陸地域で最初の記録である可能性がある。 その後山渓カラー名鑑日本のきのこ 179ページの中に、よい状態で育ったクロフチシカタケの写真を見つけた。
一部抜粋
<夏から秋、針葉樹の倒木、おがくずなどに発生。可食。北半球温帯以北に分布するがあまり普通ではない。>

_/_/_/_/_/ きのこ部会  黒川 悦子_/_/_/_/_/


北陸3県交流会のご案内

2008年05月22日 | きのこ

友の会きのこ部会の皆様へ

植物園の橋屋です。
今年の3県交流会のご案内と経路の案内を添付ファイルで送らせていただきます。
今年の交流会は担当が石川県で、会場は富山県に接した医王山の西山麓であるキゴ山周辺です。
また宿は源泉かけ流しの温泉があり何時でも入浴できます。
ぜひご参加ください。
なお、富山県分はきのこ部会で保険をかける関係から、6月15日までに植物園の橋屋まで申込みいただきますようお願いいたします。こちらで集約してから石川きのこ会へ申し込もうと思っています。どうぞよろしく。

石川きのこ会からの案内文「3kenkouryu_Annai.doc」をダウンロード
経路の案内図「3kenMap.doc」をダウンロード


ツバナシフミヅキタケ

2008年05月19日 | きのこ

富山きのこクラブの皆様
先週持ち帰ったきのこはとうとう胞子が落ちなくて、昨日、再び採取に行ってきました。
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橋屋さんいわく「襞の色が白いのは、胞子が出来ない不稔のタイプかも知れない」との事で、近辺を探してみると、襞が淡褐色のものがありました。Dscn0137
持ち帰って、一晩放置しておいたところ胞子紋が取れました…褐色でした。Dscn0145
胞子の形や大きさは「北陸のきのこ図鑑」の記載とよく似ています。Oil_100_
閑話休題
立山寺で変わったトンボを見つけました。体が緑銅色で羽を立ててとまります。あまり観たことが無いのですが…ご存知でしょうか?Dscn0049
結局、神通川左岸河口の砂浜⇒上市町/立山寺⇒吉峰(昨日、熊がでてけが人が出た!)とうろつきましたが、目ぼしいきのこにはお目に掛かれませんでした。
松林に出るという、指名手配のキツネノサカズキも出会えませんでした。
こんな事なら、ススタケ取りにでも行けば良かったと…あとの祭りでした。
_/_/_/_/_/ 伊藤春雄 _/_/_/_/_/


きのこ部会講演会

2008年05月11日 | きのこ

池田先生の講演記録のメモ
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●花の色「アントシアニン」仮説を立てたものの実証するすべが無かった。
●昭和42年から教員。アメリカ軍の占領下で理科の教育が思うように行かず、人体の説明や紙飛行機を飛ばすことさえも許可されなかった。外をぶらぶらと野外観察する中で、子供たちが採取してくるきのこの説明ができなく、勉強を始めたのがきっかけ。
●金沢大学に相談に行っても「きのこのような下等植物は扱わない」と門前払いを食らわされた。
●一番最初に川村清一のカラー図入り図鑑を見て、彩色きのこ画を記録として残すようになった。当時はまともな絵筆も紙も無く、また、実践例も無く画材店に相談しながら試行錯誤を繰り返した由。
●当初、「きのこ」が指導要録に無かったので勤務時間外の作業であった。指導要録に載ってから、きのこの研究ができるようになった。標本の作製に関しても、きのこをそのまま貼り付けたり、ホルマリン漬けにしたり…いろいろ試したが、現在の乾燥標本にたどり着くまでに5年間掛かった。
●子供たちにきのこの培養をやらせた…子供の頃、マツタケを植えて栽培しようとして…父親にはばかにされ、母親にはもったいなことをしてとしかられた…胞子に色が付いていることや生育が早いことを条件にヒトヨタケを選び、ダンボールを培地に使ったらうまくいった。子供たちは喜んで家に持って帰ったが何に使ったやら。小学校の顕微鏡(300倍)で見える大きさの胞子のきのこ。

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●石川県は県外研修を認めておらず、1年に1回だけ先生に教えを乞いに伺った。今関先生の教え 最初の図鑑を見て、「君はこの絵をどのくらい時間をかけて描いているか?」と聞かれ「本郷は小さなきのこでも2時間、大きなものは1日かけて絵を描いている。」…と、当時1眼レフカメラで写そうと考えたが、「写真で記録する時に、本当にきのこを見た時間はいくらか?」
●教育とは⇒学習の仕方を教えるものだ。ドリルはやらない。練習問題を2題だけやらせ、早く正解した生徒に採点をやらせた。時間の余った生徒は他の問題をやって良いかと聞く⇒やりたければやれと答える。また、生徒に問題を作らせる。
●本郷先生の指導法「雛が卵の中から殻をつつき始めたら、親鳥は外からつついて助ける。」先生は、質問しない限り答えを返さない。
●石川のきのこ図鑑出版するまでに5年掛かった。石川で初めての横書きの原稿で、ラテン語の学名などもめちゃくちゃの配置となった。また、絵の原稿を印刷したことも無かったので、この図鑑は石川の印刷技術の向上に少なからず貢献したものと思われる。

「池田先生を囲んで」
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●最初にきのこの絵を書いたのは⇒キサケツバタケ
●白山の調査⇒家族総出で
●スッポンヤドリタケ⇒観察の帰り際に発見。最初は地面から突き出した指のように見え、気が動転してしまった。平静に戻らないまま写真を撮影したり、採取したりしたものだから何をしていたのやら、バスの時間にやっと間に合ったと思ったら…仮称が正式和名になっている。これは子嚢胞子が16個、キヌガサヤドリタケは8個…確認して貰いたい。
●好きなきのこ料理は⇒きのこは好んで食べない。きのこの研究を始めたのは子供たちとの約束であって、きのこが特別好きだからという訳ではない。好きなのは草花の栽培で、はやくきのことおさらばしてこちらをやりたい。
●現在、池田標本は全1885種の内、1400種が科学博物館へ移されることとなっているが、石川にはその標本番号の対比表は残そうと考えている。残りの485種をどうしようかと考えている。絵の残っていないものもあるし…